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自分自身に誇りが持てるって、すごいことだ。

はじめに

みなさんは、いつ自分が生きていると実感しますか?

冒頭からなんともつかみどころがわからない、つかむところは一体どこか探ってしまうような問いかけですが。

これからする話は、わたしが2021年1月から学び通っている呼吸DOJOから得たことになります。

この最初の問いかけに入る前に、なぜこの問いが生まれたのかの流れを前置きで書きますので、しばしお付き合いいただければ幸いです。

わたしが呼吸・整体という言葉を知ったのは最近で

呼吸DOJOを主催する松永真美さん(以下、真美さん)は呼吸・整体の認定コーチです。
呼吸をととのえることとは?
・ととのえた先には?
・本来の自分とは?

興味ある方はぜひ覗いてみてください。

松永真美 | Mami Matsunaga
Breathe and Remember 主宰
※Aboutページの3を引用。

心身をととのえ本来の自分を生きるとは

わたし自身は直接的に呼吸・整体の考案者である森田敦史さんに学んでいるわけではないので、あまり言及ができなくて申し訳ないのですが、真美さんが呼吸・整体の認定コーチとして活動されるきっかけになった場所。それが今ここでわたしが書いていることにつながります。

体を育て直す呼吸・整体 K-Raku style
-深呼吸できる心地よい心と体をつくる-
呼吸・整体HPより

呼吸・整体についてはこちらから☟〉

呼吸で変わった、わたしの話

わたしが真美さんに出会ったのは、多分3年ほど前。

うろ覚えで大変恐縮ですが、知人から「瞑想的に生きることができるんだよ」と「は?」と口を開けて、ぽかんと一瞬止まってしまうようなことを言われたことが始まりでした。

ただそのとき、わたしは心身の不調以上に自分の心や精神的な不安の種を常に抱え、なにか不安なことや心配ごとがあると、それが頭から離れず、気持ちに引っ張られ、感情的になり、仕事もままならない、なんてことが日常茶飯事でした。

まるで、わたしはいやだ!と言ってるのに勝手にシーソーでめちゃくちゃガッタンバッコンと上下に揺らされてるような感覚です。

この状態が"ふつう"でしたので、当たり前に"つらい"が日常生活の中にあるものとして生きていました。

だから、知人からそう言われた時に「は?」と、理解不能になったのです。

いやいや、そんなのお坊さんでもあるまいし。
と、思いながらも、そうじゃない(いまの心身や感情の揺れに振り回されない)生き方があるのかもしれないと希望が微かに生まれたのでしょう。

わたしは真美さんが開催してる単発ワークに参加したいと、気づいたら知人に紹介してもらうようお願いしていました。

そこから何度か呼吸整体のワーク、真美さんの単発ワークに参加したようにおもいます。(うろ覚えです。)

はじめはなんだかよくわからない。なぜこの動きをやってるのか、この動きがそもそもなんなのか。よくわからないけどやってる。

1番初めはたしか、脊椎の調整をするワークで、そんなことを知らないわたしは、とりあえず言われるままにやる。

「合ってんのか合ってないのか、これはなんなんだ…」と、本当に思いながらやってました。

そもそも呼吸のワークだと気づいたのは、後からで、何回か真美さんの単発ワークを受けたひとつに「深呼吸の衝動」というワークがありました。

ここで、わたしは衝撃を受けます。

1時間、3つの動きで深呼吸をしただけなのですが、おわったあとの自分の中に静けさがあることに、衝撃を受けました。

こんなにも心が穏やかである、
こんなにも心が落ち着いている
こんなにも自分が大丈夫かも


とおもえるなんて目から鱗でした。

それ以前、なにか特段に変えたことがあったわけでもないのに、わたしはわたしの中にこんなにも静かな自分を作れるんだ。なんて、心地よいんだ。

この状態で生きていきたい!

そう強く思った記憶が鮮明に残っています。

人間は、思考と本能どちらもある生き物ですから、体験も記憶として刻まれます。

つまり、なんかいい感じのあの状態を知ってしまうと、だんだんそうじゃなくなる自分が辛すぎるのです。

だめだ!しんどい!苦しい!

と、思っては習ったワークを5分くらいずつやる。深呼吸の衝動の1つ目の動きだけ仕事の合間にやる。

そしてしばらくすると、酸素足りなくなりました!酸素ボンベください!みたいな、文字通り息切れぎれの状態になりつつ、やらないと気持ちがしんどいから、やるを繰り返していました。(書いてておもいますが、まあまあ末期でした)

呼吸整体と出会って半年後、2019年12月に真美さんが呼吸合宿を開催してくださり、1日だけ日帰り参加をしました。

合宿はものすごいしんどかったのですが(笑)
おわったあとの心身の静けさの継続が続き、その静けさが波紋のように身体に余韻として残ります。

この感動を誰かに話したい!と思い、身近な人に話し始めました。

「なんか呼吸すごい」

その後、諸々社会の中でパンデミックが起こり、わたしは飲食店で働いていたものですから、職を失いかけ、呼吸整体をやってる余裕がなくなり、半年ほど呼吸についてはなにもせず過ごしました。

真美さんのInstagramを横目でみながら、やりたい…が、今は無理だ。というような具合で。

2020年9月、真美さんが再度呼吸合宿を開催してくださり、間が空いていたけれども、参加。内容は3日間、朝7時から夜22時まで基本的に食事以外ずっとワーク(笑)

参加した理由は身体が楽になること以上に自分が求めるものがなかったからだし、心身ともに静けさ、心地よさはなによりも変えがたく、その体験のアップデートをしたかったのです。

やったあとの楽さは言わずもがな。日常のスムーズさ、コミュニケーションのスムーズさ、対人関係のスムーズさ、生きていくことすべてに波及していました。

自分を更新し続けられるとは何か

まだ最初の問いにつながる経緯が続きます。もうちょっとです。

2021年1月から真美さんの主催する呼吸DOJOという継続クラスに参加。

1年間、1ヶ月単位で1つずつテーマを学び、オフライン、オンラインも交えながら淡々とその月のテーマを実践していきます。

その時の自分の状況も踏まえつつ書き起こすと、1〜3月は人間関係もボロボロ、家が無くなる。というツッコミどころ満載。すべてが足元から崩れ落ちていく、というような時期でした。

呼吸DOJOのオフラインで、真美さんがその時は「この1か月、どうお過ごしでしたか」と参加者のみなさんに問いかけ、その度に泣いていました。

生活がガタガタだったのもあり、呼吸ワークをやっていた記憶より、リアルを整える方に意識が向いていた時期でした。

それでも、継続クラスに参加した手前、身体楽になりたいという気持ちはもちろんあったので、混沌とした日々を過ごしながら参加し続けました。

3月もすぎ4月、新しい生活に始まる。家という基盤が整ってきた頃、気持ちや感情面はもちろん、上がり下がりはその頃もあり、ただ生活を整えることで精一杯だったようにおもいます。

2021年6月、梅雨になり、自分の身体の状態が顕著に現れました。

朝から身体が重く大変体調が悪い。そんな日が続いて起きるのもやっと。身体が泥のようで、身体という形を保っているものの、中身は液状化してるような感覚でした。

身体が重くて、目も重くて、起きなくていい日は起きずに過ごす。
身体がずるずる斜め後ろに常に引っ張られている。
でも起きなければいけない日は無理矢理起こして、重たすぎる身体を引っ張りあげるような感じ。

このあとすぐに「下垂」であると、言われ、「下垂」をなくすために(呼吸と身体のワーク)全部やることになるのですが、さらに長くなるのでそれはまた別の機会で。

梅雨から夏、自分が「下垂」であることの弊害は凄まじく、生きる気力や動く気力など、すべてが垂れ流れていたのだといまはわかります。

ワークは淡々と自分なりにやるようにしていたけれど、その頃、自分の心と向き合うことで頭もいっぱいになり、かなりもどかしく、振り子が戻ってくるたびに頭に打ちつけられるようなことが多くありました。

けれど、そのなかでも呼吸のワークをやることでの感動は逐一起きていました。

泥のようなぬたりとした身体を起こすことから始まっていた朝が、

目は開き、スッと上半身をベッドから起こせる。
なんも滞りがなく身体が動く。
そしてそのまま起きられる。

こんなにも身体が軽くなったのは27年間生きていて初めてだったもので、このときの感動は忘れられません。

生きることに対してのハードルを感じるのは、日々自分が生きている日常の小さな所作や動きの違和感(重さ、痛さ、固さetc.)であり、

起きた時の怠さがない朝ほど爽快であることは、容易に想像ができるのではないでしょうか。

そんな朝を2021年10月に体験し、またこんなふうに生きていきたいが、アップデートされました。

一旦、人生の小休止

ここから、去年12月から直近3月くらいのお話になります。

わたしの個人的なことも含みますので、書いてあることに他意はないこと、そして、ここでこのような文章を書けるほど、体調が回復し、徐々に社会復帰していることを記させていただきます。

どなたがこの文章を読んでいるのかは、わたしにはわからないのですが、ここに至るまで、関わっていたクライアント様、去年の12月におやすみ、また辞めさせていただく旨を快く承諾してくださったクライアント様に改めて感謝の意を表します。

2021年12月、わたしは「うつ病」であると精神科医の方に診断を受けました。

きっかけは、親しくさせていただいて大変お世話になってる方から、「病院に行ってみても、いいかもしれませんね」という言葉をもらったことでした。

振り返ってみると、去年秋頃からわたしは毎日泣いていて、泣かないでいられる日はないのではないかというくらい涙が止まらない日々を過ごしていました。

うつ病の診断を受けたとき、膝から崩れ落ちるような感覚に見舞われたのと同時に、「やっと楽になれるのか」という安堵すらありました。

自分なりに一生懸命に生きていたつもりだったけれど、その自分なりは自分なりではなく、いつのまにか、わたしの心のキャパシティと、身体のキャパシティはとうに限界を超えていたことにそこでやっと気がつきました。

近しい方々にサポートをいただきながら、その時関わらせていただいていたクライアント様にお詫びをし、おやすみ、またお仕事を辞退する、というような流れを組ませていただき、

その時にはじめて、「もうできないことが何かわかった」ようにおもいます。

いままで力んで、息を止め、身体に圧をかけて生きてきたことがここで完全に溢れ、身体がこれ以上は無理だよ、と最終警告をしてくれたのでしょう。そして、心も身体もボロボロだったので、もうそこに素直に従うしか選択肢はありませんでした。

思い返してみると、身体はまだ大丈夫だと、騙し騙し生きていたなとおもいます。わたしの身体のHPがHP100になることはなく、HP50からHP5になって、死にかけたら身体のケアをし、HP50までなんとか戻す。そんなことの繰り返しをしていました。

命辛々、生命力を常に削っていくような感覚だったようにおもいます。必死で生きていくことが正義であると、大変なこと、辛いこと、しんどいことをすることが当たり前であると思い込んでいました。

簡単ではいけない、そんな簡単に楽になってはいけないんです。といわんばかり、何もかもを詰め、身体を酷使していました。

だから拠り所がほしくて、衝動的に飢えた野犬のように安心を求め、縋りつく何かが欲しくてたまりませんでした。

話を戻しますと、12月にそのような症状であることがわかり、直近3月まで療養をしていました。

(完全に回復ではないため、わたしの身体や心との相談をしつつ、動いていくことが長期的には必要であることは明示させていただきます)

そんな中で、呼吸コーチの真美さんにご相談させていただき、自分の体調を見つつ、DOJOは参加するということで、呼吸DOJO2年目、呼吸のワークは続けていくことを決めました。

何より、うつの方は身体を圧でパンパンにしているので、圧抜きが必要とのこと。そのことを聞いて、呼吸のワークはきっと続けていくのがいいのだろうなあとぼんやりおもっていました。

今みてる世界は変えられる

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。ここから最初の問いのわたしの中のひとつの答えを書いていきます。

少し抽象的な話なるかもしれません。というのも、身体を通した体験をできるだけわたしなりに言語化してお伝えするからです。

全然意味わからないかもしれないし、なんとなくぼやっとしてるかもしれません。あくまでわたしの呼吸のワークをやり続けた結果、

みてる世界が変わった、というお話です。

2022年1月、呼吸DOJO2年目がスタートし、今年から真美さんの開催する回数が去年より増えました。真美さんから教わる呼吸ワークの時間が、多くて月4回、最低でも2回は受けられるようになってました。

ここで、わたしの願いはただひとつ。

楽になりたい、楽を選択できる自分になりたい
身体も、そして精神的にも

療養はしつつ体調などみながら、受けられる範囲でできるだけ時間が合えば参加し、徐々に自己実践をする時間を増やしていきました。

とにかく「下垂」にアプローチするために全部やるしかなく、もう下垂やだ(泣)と、うだうだ言いながら、時に子供のように「だってできないんだもん〜!」泣きじゃくることもありました。

頭では「やりたくない」でも、身体は楽になることを知っている

だから頭がどれだけ嫌でも、やらずにはいられない。けどやりたくないという頭と身体のいたちごっこを繰り返したことも多々あります。そしていまもあります。

けれど、どうせやる。もう下垂の状態で生きていきたくない。やらないと身体が無理!ー下垂の状態で生きることの感覚がありありわかってきてしまったからーと抗えなくなってきて、身体の声を優先させられるようになってきました。

約1年3ヶ月程、継続して身体と対話し続けてることに目の前の自分の身体に向き合ってる時は完全に忘れており、ある時「なんで(呼吸のワーク)をやってるんだっけ?」とやる理由を探し始める自分が出てきました。

身体が確実に楽になってるのをじわじわと実感し始めた時です。

身体が楽になってきた。

喉から手が出るほど欲しかった
「心穏やかな日々、平穏な日々」が
叶い始めている。

外に出かけて帰ってきても
疲れていない。

前は帰ってからぐったりして、
ご飯も作れない、
お風呂にも入れない、
メイクも落とせないような重力に負けるような日々だったのに、

それが、ない。

だから、「なんでやってるんだっけ?」とともに
「もうやらなくていいのでは…」という頭(マインド)の声でいっぱいになりました。

そう感じ始めたある朝、だるさ、やる気のなさでベッドから起きられず、うだうだうだうだしていました。やりたくないやりたくないやりたくない…とそこにしゃがみ込んで泣いてる子供のように、立ち止まっていて布団の中で泣いていました。

しかし、お昼頃に外に出なければならなかったため、とりあえず起きるしかない。とりあえず、ちょっとだけ呼吸ワークをやるか。ちょっとだけ…(やりたくないけど)

たったの30分でしたが、いつもしてるワークをし始めると、頭(マインド)が感じてる怠さと身体は別物で、頭からベッドに傾れ込むような気持ちになったことをおぼえています。なぜなら、身体の感覚はものすごいよかったから。

おい、全然大丈夫じゃないか。

頭と身体はちぐはぐ、あべこべで身体の感覚があまりにもクリアなものだから「なんなんだ一体…」とムカつきさえもしました。

その時に、

もう身体が楽だからやるしかないや。

と、頭(マインド)が身体に頭(身体の部分)を下げて、屈服したような気がします。

そのあとに、身体がいままで積み上げてきた1年と3ヶ月の対話は本物なんだなとおもったのです。

3年前、身体との対話に1日5分から始まり、いまは1日1時間以上対話する時間を設けられる時も増えてきました。

短いなりにいままでしてこなかったことを始めたときから、身体の変化は起きており、その積み重ねが日常の中でみえる世界や、実感にまで落とし込むまでには、ひとつひとつ淡々と積んでいく必要がありました。

点での変化は感じていたし、泥のように起きていた日が減ったり、肩こりや、腰痛がなくなったり。日々生きていく時に必要のない、いつのまにか積み上がった小石を下ろしていくことを、地道に。まさに雨垂れ石を穿つでした。

ある一定の量の重さの小石がなくなって、軽くなったとき、電車に乗っていたわたしは、「ああ、大丈夫だ」。太陽の光が差し込む電車の窓へ目を向けました。

いままで積み上げてきたものをすっかり忘れてしまっていたけれど、振り返るとわたしの後ろにはしっかりと土台が積み上げられていて、少し揺らしても、踏みつけても、大丈夫な土台がありました。

そしてここまで自分の身体、そして心と対話し続けてきた自分に対して、誇りに思う、と自分に自然と尊敬の念が生まれて、

「ああ、自分を信頼しよう。信頼すると決め続ければいい。そうある自分でい続けるための努力をし続けよう。」

そんなことが浮かび、やさしく太陽が差し込む電車の中で涙が出て、この感動はなににも代え難い。わたしがわたしのために築いてきた礎なのだ

と同時に、自分が今まで見てたものはリアルではなく、虚像の自分であることもわかりました。

今やってる先になにかあると
今の自分の先を見て、今の自分を見ず、
今の自分は理想とは違うと思い込み、
虚像の自分の理想を見続けて、
いまの自分を見ようとしなかった。

自意識過剰な自分もいたことを認めました。

ただ、わたしがこの身体で感じた感動は、自分が今まで積み上げてきたものは嘘じゃない。それは本当で、紛れもない事実。

揺るぎない自分の礎を、自ら築いてこれたことはなににも代えられない自信でした。

身体に積み重ねてきた行動と時間は、
自分自身への自信と信頼に繋がる。

努力は裏切らないとか、
結果や成果という点ではなく、
身体を良くするために
積み重ねてきたプロセスは、

圧倒的な自分との
信頼関係が確立されてくる。

へこんでも、へたれても、
悲しくて、立ち直れなかったら、
わたしが手をのばして、
人に手を取ってもらったらいい。

そのためにやり続けることがある。
それをやり続けること。

すごいな、
こんなことを感じられる日が来るなんて、
思わなかった。

これは揺るぎない自分自身の礎であり、
それはやっとスタートラインに立てたと感じた瞬間でした。

世界は白黒からカラーへ

この話にはもちろん続きがあって、身体と呼吸の探求はいままだ始まったばかりで、むしろここから。

自分自身に誇りが持てるって、すごいことだ。と感じてから、わたしの見える世界はいっぺんしました。

世界はこんなにも色鮮やかであり、世界はこんなにも光りに溢れていたのか、と。街に繰り出すたびに視野を広げて、目に入る世界を見られるようになりました。

食べていたごはんは食べていなかったし、
お風呂には入っていたけど入っていなかったし、

食べるものがおいしく感じられたり
お風呂が気持ちよく感じられるようになったり、

朝起きて、同居人との微睡んだ時間に
「なんかしあわせだね」と分かち合ったり。

待ち望んだ平穏。

羨望していた心穏やかな日々。

ああ、生きているな。
本当に生きているんだなと、
目の前の世界が照らされていきました。

もちろん、生理前や寝不足や
いつもと違う身体の負荷がかかったり、
かけたりすれば、「気になる」箇所は
もちろん出てきます。

そして感情はより鮮やかになり、
悲しみも、喜びも、感動もあります。

ただ、そこはそうなんだなと認識すること。
(毎回呼吸のワークする前に身体に意識を戻す時間やわたしの心との向き合いの賜物)

しんどいと感じる時は
休むこと、人に頼ること、バランスを取ります。

人間にはバイオリズムがありますから
体調の変化、波は必ずあります。
ただ、それに上手に乗れるようになる感覚です。

乗ってるサーフボードから、たまに
落ちて溺れかけることもあるかもしれないけど、

ひとりで海の上にいるわけではないと、思い出すようにしています。

おわりに

この文章を書いていて大層な文量になっていくのを眺めながら、これが誰かの希望になればいいなとおもっていました。

おもっていましたという過去形であるのは、途中まではそう思っていて、いまもそう思いながらもわたし自身がこの文章に励まされ、改めて自分自身のことをここに書き始め、そして書き終えられたことに胸を撫で下ろしています。

自分の身体を徐々に感じ始めた時、この変わっていく見える世界を伝えていきたいなとおもい、感じたことをInstagramや Facebookで書き始めました。

おかげで呼吸に興味を持って、真美さんの単発のワークに参加してくださった方がいたり、わたしが知り合いにゴリ押しして、参加してくれたり(笑)

参加して感じたことを、わざわざお伝えしてくれる知人、そしてすでに身体と呼吸の探求を続けている方との横のつながりが生まれ、「ああ、書いて伝えて、よかったな」とおもっています。

今回、この大作(約9000字)の文章を書くにあたって、インスピレーションとそこからのつながりは呼吸DOJOの真美さん、呼吸DOJOや呼吸整体でつながってくれた方々、クライアントの皆様、見離さず支えてくれた皆様のおかげです。改めて感謝を申し上げます。

いままでわたしは、「生きててよかった」と、そう言ってくれる人たちの想いや気持ちを受け取れてませんでした。受け取れる器ではなかった、が正しいのかもしれません。けれどもう穴の空いてるコップではなく、もらうものを選び、そして満たしていく方に行くことができるようになりました。

ここまでひとりでは来れなかった。だから、この先にわたしができることをしていく。そう決めたからこの文章を書いています。

ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございました。

ではまた。

夏菜海(kanami).


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