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夢の偏りに思うこと

□イラスト提供 いまがわゆい様( @othellolapin )

夢は記憶のデフラグらしい。
寝ている間に脳に収まっている情報を整理しているんだそうだ。
だから、基本的に見聞きした経験のないものは夢には出てこない。
強く何度も想像したことは夢として見ることもあって、そこの因果がねじれて『予知夢』になることもあるんだとか。

夢判断とか夢分析とか夢占いとか、そういう話はさておいて。
そういえば、北村薫の『空飛ぶ馬』の1作目「織部の霊」は夢解きの話だったなあ。初めて読んだ日常ミステリだったから、最初は何の話かよく分からなかった。あれももう25年くらい前になるのか。

25年前。大学生だった。今にして思えば夢のような4年間だった。
そこにつながる高校時代も安穏としていて楽しかった。
夢に出てくるのは、この辺りで出会った人たちや情景が多い。舞台だけは現在の職場だったりするけれど、そこで当時の友人知人が働いていたりする。
時折、小学校や中学校の頃に関わった人も出てきたりする。

自分自身がどういうつもりでその中にいるのか分からないし、夢の視点は自分では無いこともあるのでその立ち位置ははっきりしないけれど、目が覚めた時に体を包んでいるのは、なんとなく当時を生きていたという実感。
懐かしいような心地いいような、目覚めたその時がいつなのかすぐに分からなくなるような、ぼんやりとした感覚。
親しさの度合いに関係なく脈絡もなく登場するので、あんな人いたななんであの人なんだろうと不思議に思うことも多い。
引っ張り出して整理してるのか、最後に眺めて捨てようとしてるのか分からないけど、あれは本当に不思議だ。

最近、そういう夢をよく見る。
夜中にちょくちょく目を覚ましては、夢見てたなあと少しぼんやりする。
その大半が10代の頃のこと。
20代や30代の頃のことはあまり出てこない。新しく出会った人も少ないというのもあるんだろうけど、ほとんど夢に出た記憶がない。
夢は毎晩見てるけど、覚えてるか覚えてないかの差があるだけらしいので、見てないのではなく印象に残っていないだけなのかも知れない。
そうだとしても、夢を見たと実感できているものに非常に偏りがあるのを感じる。

そして、それに妙に納得している自分がいる。
30代は今の仕事を始めた年代なのでまだしもだが、20代なんて本当に何も残っていない。寝ている時だけでなく、起きていても、通過点として生きてはいたが、何をしていたやらさっぱりだ。
ある意味で、現在のワープアとしての基盤をしっかりと築いていたと言えなくもないが、だからこそあまり思い出したくはない。そもそも思い出せるほどのこともない。
もうとっくに整理して捨ててしまったのか、思い出すものもないのか、夢に出てこないことに何の疑問もない。

夢を見るたびに自分の中の記憶のありようが分かって面白い。自分の意識にあったものを、無意識下でもそういう認識なのかと再確認しいている感じ。
それともあと10年ほどしたら20代の頃の整理も始まったりするのだろうか。
その時には脳の底に沈んでしまった出来事や人物が表層に出てきたりするのだろうか。
それはそれで少し楽しみかも知れない。

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