見出し画像

第三極の落日

こんにちは
久しぶりに記事を書いていきます。
今回は第三極の落日ということで、日本の第三極政党がとうとう立憲民主党を超えることができなかったという点について述べてゆきます。

昨日、いわゆる三補選が行われました。政治とカネ問題で自民党への不信感が深まる状況における選挙でしたが、蓋を開けてみれば立憲が全勝。
政権批判票の受け皿になったのは立憲民主党であることが証明されました。

候補者乱立の東京第15区

中でも注目されたのが、東京第15区の補選。
自民は不戦敗という状況の中で行われた今補欠選挙、野党同士が争う構図となり、事実上の予備選挙のような様相を見せていました。

結果は以下の通り、立憲民主党公認の酒井候補の勝利。
いわゆる「立憲共産党」の候補が勝利を得た形です。

https://www3.nhk.or.jp/senkyo2/shutoken/20507/skh54852.html

下町っ子の想いを乗せ、自転車を漕いだ須藤元気

そして二位はなんと、完全無所属の須藤元気候補でした。
この結果を予想できた人は殆どいなかったのではないでしょうか?

私も当然、ここまでの結果となることは予想できませんでしたが、意外ではありませんでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA%E5%88%86%E5%9B%B3.png

東京15区といえば東京23区における江東区に当たる地域です。
23区の東部、いわゆる下町と呼ばれる地域の一角を占める区であり、この地域の有権者は保守的な色彩を持っています。

私が居住するのは東京都墨田区、江東区の隣の地域ではありますが、風土としては近いところもあり、江東区の保守的な風土は肌感覚として理解できます。

そんな中で須藤候補が選んだ選挙戦は、自転車しか乗らないという戦い方でした。
一見、非効率には見えます。このデジタル社会でそれはどうなの?とも思います。しかし、それが結果に結びついたのです。

保守的な江東区において、自転車を自ら漕いで、直接地域の有権者と握手を交わすという地道でアナログな手法が下町っ子の心を掴んだのだと思います。
各政党が江東区を置き去りにした批判合戦に明け暮れる中、愚直なこの姿勢が評価に繋がり、他の候補の追随を許さなかったのだと思います。
まさに、下町人情あっての健闘と言えます。

須藤元気にも及ばなかった第三極の候補者たち

二位という好成績を収めた須藤候補と対照的なのが、いわゆる第三極の候補者たちです。
政党の支援や推薦を受けながらも、完全無所属の須藤候補にさえ及びませんでした。
その敗因は様々あると思いますが、以下にざっと書いていきたいと思います。

「立憲共産党」批判に勤しむ維新幹部

まず、維新の金澤候補の敗因はシンプルだと思います。
問題は金澤候補の資質ではないと思います。
金澤候補自身、五年もの間江東区で活動してこられた方であり、候補者個人の資質は申し分ありません。

ただ、党執行部が前に出過ぎました。
今補選において、維新幹部はしきりに「立憲共産党」批判を繰り返しました。これが実に問題でした。

私個人、今回の立憲と共産の共闘に積極的に肯定できませんでしたが、それとこれとは話が別です。
先ほど、下町を自転車で漕いでいた須藤候補の話をしましたが、彼が自転車を漕いでいる間も、維新幹部はあくまでも野党批判にご執心だったのです。

さながら江東区を「立憲共産党」コールのステージかのように勘違いしていたのでしょうか、本当に「立憲共産党」というフレーズばかりが目立ちました。
同じく下町民として、維新のこの姿勢は下町に住む人々を馬鹿にしていると思いました。

下町の人々との向き合いではなく、あくまでも政争や自党の党利党略を優先し、「立憲共産党」コールに終始したこの選挙戦。
いくら金澤候補自身に資質があるとしても、こういった政党の都合ばかり見え透けるような選挙戦では、須藤候補にすら及ばなくて当然であると思います。

小池百合子の威光にすがった者たちの末路

そして乙武候補。
彼に至っては、日本保守党の飯山氏にすら及ばない五位という結果でした。

選挙戦においては国民民主党の代表である玉木氏や、東京都知事である小池氏、あるいはインフルエンサーで乙武氏の知人の西村ひろゆき氏などが応援に駆け付けましたが、そこまでしても日本保守党にも及びませんでした。

彼の敗因についても、彼自身の資質が占める割合はそう高くは無いと思います。私は、乙武氏が立候補するに至る過程に問題があったと思います。

まず、自民党が推薦するのかどうかという話から始まり、その立ち位置が与党寄りなのか、野党寄りなのか、非常にあいまいなところから始まりました。

最終的には無所属での出馬という形に落ち着きましたが、その候補者会見における乙武氏の背景はまさに異様でした。
無所属での立候補のはずなのに、小池百合子氏のポスターばかりが貼られている会見会場。これでは無所属と言われても通じません。

また、選挙期間中においてもファーストの会が乙武氏の実働部隊として動いていることは明白であり、選挙妨害で話題になったつばさの党に対する対応にしても、都民の税金をフル活用したような厳戒態勢で臨むというものであり、とてもではないですが無所属候補のそれには見えませんでした。

総じて、小池百合子氏の威光や力にすがっている印象が強く、まさに寄らば大樹の陰という感を拭えないものでした。

更に言えば、乙武氏をファーストの会と共に推薦した国民民主党自体、トリガー条項における独自路線の失敗を経て、どうにか差別化を試み、小池氏の威光にすがるような状態でした。

終始、乙武氏の陣営は小池氏の威光をどうにか利用するという独自性の欠片もない人々の集まりであり、こういった他人頼りの状態では、保守党にすら及ばなかったことに不思議はないと思います。

立憲の代わりを構築できなかった第三極政党たち

ここまで、候補者単位の話をしてきましたが、今回の補選は野党にとっての一つの分水嶺でありました。

2021年以降の第三極のボーナスステージ

2021年、立憲は「立憲共産党」を前面に出すことによって敗北したわけですが、今回の補選三勝とはまさに「立憲復権」の一つの兆しと言えるわけです。
私は、2021年の立憲敗北以降の時期を第三極にとってのボーナスステージと捉えてきました。

立憲が沈んだ以上、第三極側として新たな政権の枠組みを構築できれば、立憲が息を吹き返すこともなく、野党内の勢力図が根本から入れ替わると考えていたのです。

ボーナスステージを無為にしないために

あくまでも第三極に期待をしてきた私としては、2021年の立憲敗北以来、アプローチの仕方を大きく変えました。
要すれば、第三極に対する自己批判のボルテージを強めていったのです。
それは同時に、立憲に対する批判のギアを下げてゆくことを意味しました。

これは別に、立憲に対して甘くなったからではありません。
新しい野党第一党、立憲に代わる政権政党として、第三極政党がその体裁を整える時期が来たと確信したがゆえの振る舞いです。

第三極政党として政権政党に代わる以上、他党批判ばかりをしていてはいけません。それでは立憲と同じ状態になってしまいます。
あくまでも粛々と、第三極政党自身を磨いてゆくことで、ようやく立憲に代わり得る枠組みを構築できると考えて来たのです。

終焉するボーナスステージ、無為に過ごした三年間

しかしこのボーナスステージの時期は、今回の補欠選挙を以て終焉したと断言して差し支えないでしょう。

国民民主党はこの三年間、独自路線なるものを模索してきましたが、その努力虚しく、保守党にすら届かぬ惨敗を喫しました。
頼みの綱であった小池百合子氏の力はもう存在せず、その独自性は真の意味で枯渇したと断言できるのではないでしょうか?

維新としても、今補欠選挙で「立憲共産党」コールを前面に出したうえで、須藤候補にすら届かぬ惨敗を喫しました。
「立憲共産党」コールとは、下町の人々の想いに寄り添わないという印象に加えて、政権批判をおざなりにし、他党批判に傾倒している維新の姿を有権者の目に植え付けたと思います。

地域柄、左派に対する反発が根強い関西地域ならばその手法でも問題なかったのでしょうが、東京下町地域は保守ではあっても反共ではありません
政権批判を棚上げにするほどの他党批判は、自民党に代わる存在としての維新の印象を薄めてしまったのではないでしょうか?

「立憲共産党」にすら及ばぬ第三極

今補欠選挙を以て、第三極政党のこの三年間の無力が可視化されたと言えるのではないかと思います。

真に、立憲に代わり得る政権政党の独自の枠組みを構築できていれば、今回、立憲共産党に後塵を拝する真似は起きなかったと思います。
これはもはや立憲共産党どうこうというよりは、第三極側のこの三年間が空虚であったことが大きく影響していると思います。

立憲共産党の悪名は既に浸透しきっていると私は認識しています。
その前提条件においてさえ、第三極政党は立憲の代わりの枠組みとして、有権者から見なされることは無かったのです。
まさに、三年間の無努力と怠慢にお灸が据えられた結果と断言できるのではないでしょうか?

未来を見据えて歩んでいこう!

さて、こんな話はもう良いのです。
過去は定数、もはや変えることはできません。
過去の無努力ばかりを嘆いていても前には進めません。あくまでも第三極として、未来を見据える必要があるかと思います。

とは言え、それは過去を直視しないことを意味しません。
しっかりと過去を直視し、省みることによってのみ、未来に向けて淀みなき一歩を進めることができるのです。

覧古考新という言葉があります。
言葉の意味としては文字通り、「古きを覧(み)て、新しきを考える」というものです。
過去の失敗は未来を考えるための材料でしかありません。

今回の失敗の総括を踏まえることにより、第三極はもう一皮むけるのではないかと、「立憲支持者」として期待しています。

以上です。ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?