真剣さの度合い:感情移入、責任感、一貫した意志

私たちは映画を見て感動したり、ハラハラしながらコンピュータゲームで遊んだりします。一方で、映画に感情移入せずに冷めた目で観たり、ゲームに気持ちを入り込ませず淡々と作業のようにこなしたりする場合もあるかもしれません。

これは、映画やゲームのような架空の世界においてだけではありません。現実の世界に対しても同じです。周囲の人や社会の事に感情を揺さぶられたり、自分にできることに真摯に取り組んでいる人がいます。その一方で、現実世界で起きていることを冷めた目でみて、物事に真剣に向き合わない人もいます。

ここには、真剣さという尺度があります。映画でもゲームでも現実世界でも、真剣さは人によって異なります。

この記事では、この真剣さについて、詳しく考えていきます。

■映画、ゲーム、現実世界における私と世界の相互作用

私と、対象の世界との間の関係について、少し整理します。

映画の世界の場合は、私は世界を観察することができます。しかし、私から世界に影響を与えることはできません。ただ見る事しかできません。

ゲームの世界の場合は、私は世界を観察するだけでなく、私の代理になるキャラクターを操作できます。

映画とゲームは、私から世界への一方向の関係です。世界の方から私を見たり、私に直接の影響を与えることはありません。そういう意味で、映画をどのような態度で見ても、また、ゲームの世界の中でどんな行為をしても、私が危害を受けることはありません。また、世界の中にいるキャラクターが、私の事を直接認識する事はありません。

現実世界においては、私は世界を観察し影響を与えることができます。同時に、世界の物事は私に直接影響を与え、世界にいる人は私の事を認識します。現実世界は、その意味で特別な世界です。

■真剣さ

しかし、たとえ私に直接影響を加えることがなく、私を認識することがない映画やゲームのような世界に対しても、私は真剣になる事が出来ます。真剣になるということには、感情移入、責任感、一貫した意志の3つの形態があります。

映画のように、観察だけができる世界には、感情移入といった形でのみ真剣さが発揮されます。一方、ゲームや現実世界は操作も可能です。その場合は、感情移入だけでなく、責任感や一貫した意志の形でも真剣さは現れます。

感情移入すると、それが架空の世界であろうと、現実世界であろうと、私たちの感情は揺さぶられます。そして、その中の物事に願望を抱きます。例えば、主人公が敵に勝ってほしいとか、二人の登場人物の恋愛が成就してほしいといったことを願います。

責任感を持つと、その世界の中の人から期待される役割を果たすように行動しようと考えます。つまり、期待を裏切らないように最善を尽くそうとするのです。また、たとえゲームの世界であっても、非人道的な行為や後ろ指をさされるようなことはしないように心がけます。

一貫した意志を持つと、その世界において自分が成し遂げたいことを実現するように行動します。ゲームは映画とは違って、自分で操作をしないとクリアできませんし、多くのゲームはクリアするためには努力を必要とします。その努力はもちろんゲームの楽しさから来るものもあります。しかし、本当に苦痛に思えるような難しさに直面することもあります。そのような場合でも投げ出さずにやり遂げようとする時、一貫した意志を持ってゲームに向き合っていると言えるでしょう。

■真剣さと世界との相互作用

真剣になると、感情移入、責任感、一貫した意志が芽生えます。そうすると、私は世界から感情を揺さぶられます。そして、世界に対して影響を与えることができるのであれば、何かを果たすために深く思考し、工夫や努力をするでしょう。

真剣さを発揮するには、対象から影響を受けるかどうかは関係がありません。現実世界のように私と世界が相互に影響を与え合う関係でなくても、真剣さは発揮することができるのです。

■短期的視点、あるいは極限状態での意志決定

世界に対する真剣さには3つのパターンがあります。その世界の中の他者への真剣さ、自己への真剣さ、そして、他者からの評価への真剣さ、の3パターンです。

短期的な視点で考えてしまう場合、あるいは、十分に長期的な視点で物事を考える余裕がない場合には、この3パターンのどこにより高い真剣さを持っているかが、その人の意志決定に大きな影響を与えます。

たとえば、愛情を持っている他者を守るため、自己の犠牲や悪評を受けることは、構わないと考える事があるでしょう。

また、自己を守りたいがために、他者や評判を犠牲にすることを選ぶ場合もあるでしょう。同様に、他者からの評判に高い関心がある人は、自己や一部の他者を犠牲にしても、最も関心が寄せられる選択肢を取るかもしれません。

■長期的視点での意志決定

一方で、時間や資源に余裕があり、長期的な視点で考える場合については、状況が異なってきます。

真剣さが3種類のどのパターンであっても、それがポジティブな真剣さであれば、この3種類をそれぞれ維持、強化するような選択肢を選ぶように意志決定を行う事になります。

それは、自己の状態が健全でなければ、他者を守り、良い評価を得ることが上手くできなくなるためです。同様に、他者を守らなければ、自己や良い評価を維持することが難しくなります。他者からの評価も、他者や自己を守るための保険になります。いざという時に、協力やサポートを得ることができる可能性が高くなるためです。

このように3種類のどこに関心があるとしても、長期的な視点では、それぞれに配慮した意志決定が行われる事になります。

ただし、この議論には注意すべき前提があります。

それは、他者や評価を犠牲にしても、長期的に自己の状態を維持できるような力を集めることができる主体が登場する場合です。そうしたスーパーパワーを持つことができる主体の場合には、ここで挙げた長期的な意志決定が必ずしも多方面に配慮した選択にはならないかもしれません。

■配慮に欠ける意志決定の問題

スーパーパワーを持つという例外を除いた場合、もし配慮に欠けた意志決定が行われるとすれば、その原因は、余裕がない状況、短期的視点、非合理的思考、真剣さの欠如、ネガティブな意志、の5パターンの何れか、あるいはその組み合わせです。

この事は、利己的であるとか、承認欲求が強いということが、問題の本質ではないという事を示しています。真の問題は、先ほど挙げた5パターンであり、こられのパターンに陥らないようにすることが重要ということになります。

余裕のない状況に陥らないという点は、個人の努力だけでは回避できないこともあるでしょう。この点は、社会的なサポートが必要になります。そうして余裕のある状況を作った上で、長期的に合理的に考えることを推奨することが大切です。

また、真剣さの欠如という点も重要です。どういった形にしても世界に対して真剣であり、それがネガティブなものでないようにすることが大切です。世界に対して何らかのポジティブな真剣さがあれば、長期的に合理的に考える事で、様々な面に配慮した選択を行う事になるはずです。

■時間軸への応用

ここからは、少し視点を変えて、時間軸の中で観察と操作について考えていきます。

過去は、記録や記憶を参照することができます。しかし、過去の自己を操作することはできません。これは、モニター越しに映画を見ている状況と同じです。

未来は、参照する事はできません。しかし、操作をすることはできます。正確には、未来を直接操作はできませんが、未来に影響のある操作を行う事はできます。

これは、単に今のうちから未来に向けて準備的な活動をすることを含みますが、それだけではありません。

例えば長期的に存在する建築物を建てる事は、未来にも高い確率で影響を与えます。物理的な実体を持つ物だけではなく、新しい学問的な発見をすることや、長く残る芸術作品やデザインの流行を作る事なども、未来に影響を与えます。

また、約束や契約などは、かなり直接的に未来を操作する方法です。特に、ブロックチェーン技術におけるスマートコントラクトは、時間が来ると自動履行されるような契約を作ることができます。

ブロックチェーン技術を使ったビットコインは、誰もコピーしたり消したりすることができません。これと同じように、スマートコントラクトは、未来において確実に予約された処理を実行します。

■未来への真剣さ

未来への真剣さは、これまで述べてきた何れのパターンにも当てはまらない特殊なものです。未来には影響を与えることはできますが、観察はできないという特殊な世界です。

未来に対しては、私たちは予測や想定や仮説を立てることで、観察の代用にしています。こうした先見性によって、ようやく私たちは、現在と同じように未来に対して、真剣になることができます。そして、未来へは感情移入だけでなく、責任と意志の形態での真剣さを発揮することができます。

これは、反対に言えば、予測や想定や仮説を立てる努力が必要という事です。それが無ければ、未来へ真剣さを持つことは困難です。未来への真剣さと先見の努力は、相補的であり、お互いを強め合う性質があります。

また、未来への真剣さが、長期的な視点を持つために重要です。長期的に考えることを推奨する際には、この未来への真剣さという考え方にも着目する価値があるでしょう。

■さいごに:リアリズムの道徳への帰着

真剣さの性質を理解すると、より深く考えるべき事が出てきます。

私たちが、この世界に真剣さを強く持っているとします。その場合、他の人たちも、この世界に真剣であることが望ましいです。

人間でも自然でも、アイドルやアニメのキャラクターへの感情移入でも構いません。家族や仲間への責任感でも良いですし、自分や所属する組織を成長させたいという意志でも良いでしょう。そうした強い真剣さを持ち、長期的に考えれば、真剣さの方向は違っていても、お互いにこの世界の物事を良い状態に保つ方向に力が働くはずです。

一方で、ニヒリズムのように世界の物事の価値を疑うような姿勢は、望ましくありません。そうやって客観的に世界を見ようと努めることは、一見合理的で賢いように見えるかもしれませんが、真剣に世界と向き合っている人達から見れば、非合理で愚かに見えるのです。

多数の人が参加するオンラインゲームやメタバースの中では、道徳が弱く、不快な行為が目立つことがあります。そうしたことが過度になると、そのゲームやメタバースは人気がなくなり、やがてサービス終了に至ります。このため、運営者も、そのサービスのファンとしての参加者も、それぞれの世界にルールや道徳を構築しようと努力します。現実世界も、同じです。

道徳は、弱者のきれいごとではありません。強く真剣に向き合っている対象があり、自分自身の力だけではその対象の存在を維持することができないことを認めた時に、発揮される知恵です。道徳は、同じ状況に置かれた人たちの間で結ぶ契約です。大切なもの、愛すべきものを守るために、世界をあるべき姿へと向かわせる基盤として道徳を活用する必要があるのです。

永遠の強者にはなれないことを自覚すれば、誰しも自ずと道徳に目を向けざるを得ません。歴史に学ばず永遠の強者を目指し続けるのは、夢想家であり、リアリズムの精神には相容れません。盛者必衰の世界で、真剣さを理解すれば、真のリアリズムは道徳へと帰着するはずなのです。


サポートも大変ありがたいですし、コメントや引用、ツイッターでのリポストをいただくことでも、大変励みになります。よろしくおねがいします!