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やりたくないことは、やりたくないし。

このゴールデンウィークは、すぐに打ち返さないと致命的になる案件がなかったのも幸いして、一切仕事の予定を入れない10連休になった。ありがたいねぇ、と、ちょっと心配……が半々ぐらいなのは自営業のサガなので諦めるとして、実家に帰省したり、近県を巡ったりして、家族でのんびりした休日を楽しんでいる。

朝起きてから、夜眠るまで。すべての時間に子どもがいる。それは楽しく嬉しいことだし、同時にそれなりにストレス負荷の高い時間でもある。

娘たちは本能に忠実だ。恥も外聞も無い(少ない)。沸き起こる、遊びたい! テレビ見たい! 腹減った! という欲求を全力でぶつけてくる。叶わなかったら泣く、拗ねる。スーパーマーケットで大の字に寝っ転がって泣き叫ぶ子どもを床からひっぺがして、肩に担いで車に押し込んだあとの疲労感は結構すごいものがある。

仕事の方が全然ラクだ。なんていっても、僕にできる仕事しか来ない。もちろん未経験やハードルが高い案件もあるけれど、少なくとも僕のキャリアの延長線上にある仕事だ。必ず解決できる。

しかし、子育ては違う。答えがないし、コントロールできなさすぎる。そんな可愛くて理不尽な生き物と接していると、平日にときどきワンオペをお願いしている妻に感謝しかないし、もっと労ってやらねばという気持ちになる(そういえば母の日が近いね)。

ま、それはさておき。

コントロール不能なものはストレス

という話に戻る。制御不能なものは、もちろん子どもだけじゃない。一番身近で厄介なのは、自分の心そのものだ。喜怒哀楽幸不幸、あらゆる感情はコントロールできない。

特に他者への感情はなんともならなくて、たとえば嫉妬とか妬みとか最たる類。こういう感情が生まれているときは何も手がつかない。相手を変えることはできないので解決のしようもなく、砂漠に水をまくように、ただ相手を呪うだけ。

……そういった極端な例だけじゃなく、もっと些細な、日常的に起こる制御不能な感情ってなんだろう、って考えたら、「やりたくない」だった。

部屋の片付け「やりたくない」
玄関の掃除「やりたくない」
トイレの掃除「やりたくない」
お皿洗い「やりたくない」
税金の支払い「やりたくない」
テープ起こし「やりたくない」
スケジュール管理「やりたくない」
請求書のとりまとめ「やりたくない」
etc...

自分がめちゃくちゃ怠惰な男に見えてきたぞ。

この「やりたくない」って、かなり反射的な感情で、食べ物の好き嫌いとか、音楽の合う合わないとか、付き合いたい異性のタイプのような、かなり生理的な感情のように捉えている。

僕の心は、割合好き嫌いが激しいやつらしく「やりたくない」が多い。だからいろんな行動には「やりたくない」感情がつきまとう。

やればできることは分かっている。やり始めればすぐに終わることも分かっている。しかし、やりたくないのだ。やり始めるまでに、めちゃくちゃ時間がかかる。

作業にかかる時間を「作業コスト」、作業に手をつけるまでの時間を「開始コスト」として図にすると、僕の場合こんな感じになる。(図が適当すぎてびっくり)

テープ起こしとか、すごく「やりたくない」から、やろうと思ってから数日はかかる。ときに1週間とか引き延ばす。ひどい開始コストだ。だから最近は完全に外注化した。

自分は、なるべく開始コストが低いものを手がけることで、生産性を上げていく。この動きは今後さらに加速していくだろう。

誰だったか、「努力を必要としないことが、あなたの才能です」と言ってたっけ。まあ、そういうことです。

ちなみに、こんな風に自分を捉えられるようになったのはごく最近の話。昔はもっと自分に期待していたから、「俺にはもっとできるはず!」と息巻いて、努力でどうにかなると思っていた時期があった。慣れれば上手くやれるはず、ってね。でも無理だった。だってやりたくないんだもの。コントロールできないものを相手に頑張っても、やっぱり難しいよ。

ところで、「やりたくない」があれば、当然「やりたい」もあるわけで。僕がいま一番やりたいこと、つまり開始コストゼロの行動は「漫画を読む」です。ちなみに妻に白い目で見られます。あー漫画喫茶いきたい。

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