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「ノート」を始めるきっかけなど

こんにちは。私はヨーロッパの小国オーストリア、その首都ウィーンで事務所を開く日本人建築家です。

本格的に仕事を始める前にヨーロッパの建築を体感しておこう、とウィーンに渡ってもう40数年。音楽ファンというのもありますが、ウィーンは近代建築のルーツですし、なによりも現地の在外公館からの楽観的な返事が、後押しとなりました。

やがて人の輪が広がってアルバイトが見つかり、ドイツ語で本が読めるようになってビックリ。有益な情報が日本語に翻訳されていないことが分り始めました。専門家たちはどうも独自の研究の枠を出ないようで、たとえば建築とか音楽とか、実践者にこそヒントとなるような情報に注目しないこと、それを痛感したのです。
だったら、そういう原書に眠ったままになっている情報を、原文から直接お伝えすることにも意味があるのではないか?

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というわけで、まず初めに最近手に入ったショパンの資料から。
1839年から42年まで彼の弟子だった23才の女性が、ウィーンの叔母に書き送った手紙の束が見つかり、学術的考証を経て出版されたのです。

題して「ショパンの愛弟子リケのレッスン報告」
パリに旅立ってショパンの門戸をたたき、その愛弟子となったウィーンの女性ピアニスト。そのレッスン報告集から、読み進むままにお伝えしようと思います。
日付順に最重要と思われる部分を意訳し、それに関連する部分は要約してお話しようと思いますが、質問などあればお気軽にどうぞ。

もう一つは、今日のヨーロッパを理解するうえで欠かせない「中欧」、つまり中央ヨーロッパについて。
上の地図はナポレオンが去った1815年当時のヨーロッパですが、これでお判りの通り、第一次大戦終了と共に解体された「オーストリア・ハンガリー二重帝国(地図のKaisertum Österreichと表記された部分)」は無視することのできない要素なのです。

ということで、こちらは「中欧から見たヨーロッパ」とでも題し、知っているとヨーロッパが  ー  いや、「世界」といっても誇張でないかも ー  別の角度から分かるような事実や出来事を、お伝えしたいと思います。

建築のことも、お話すべきことはありますが、それについてはまた後ほど。

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