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即興 そして、見る前に跳べ

東京都写真美術館へ、2つの展覧会を見に行ってきました。
①即興 ホンマタカシ
②見る前に跳べ(日本の新進作家vol.20)


即興 ホンマタカシ

 今回は「THE NARCISSISTIC CITY」を中心としたホンマタカシさんの展覧会とのことです。
 このシリーズは、ナルシスティックとあるとおり、自己陶酔のイメージを持っているとのことですが、その部分をなかなか読み取ることができませんでした。
 カメラオブスクラ(ピンホールカメラ)の手法を使い、都市の一室から都市を写すことで「都市によって都市を撮影している」とのことらしく、その行為が自己陶酔的なのだと思いますが、それによって何を伝えようとしているのか、私では理解が追いつきませんでした。

 そして、タイトルの即興ということについてですが、ホンマタカシさんの現在の興味が「即興性や偶然性」にあるようです。
 会場内のインスタレーションに偶然性を感じられる部分もありましたが、写真作品の部分で即興性や偶然性を理解することができませんでした。
 恐らく、カメラオブスクラやピンホールカメラの原理を理解していないとダメなのだろうと思いました。
 カメラオブスクラについて調べたうえで、その解像度の低さにじみによって、ホンマさんは、ナルキッソスの話に出てくる、水面に映る自分というものを元ネタとして、表現しようとしているのではないかと思いました。

 ただ、このホンマさんの表現がどのようなメッセージを持っているのか掴めなかったので、作品を味わう力の足りなさを感じました。

見る前に跳べ(日本の新進作家vol.20)

 続いては、東京都写真美術館が毎年行っている新進作家展の20回目として開催されている「見る前に跳べ」です。

 まずコンセプトである「見る前に跳べ」についてです。
 アメリカ同時多発テロや東日本大震災、新型コロナウイルスのパンデミックなど、大きなアクシデントが起きるたびに、人々は不安や恐怖を感じて、萎縮をしたり、孤独を強く感じたりしてきたはずですが、それをどう乗り越たのか考えると「見る前に跳べ」だったはずというのが、この展覧会のコンセプトです。
 今まさにロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナで戦争が起きている状況であり、世界が不安を感じる中、どう乗り越えていくのか、生きる希望を見出そうとする展覧会なのだと思います。

 会場に入るとまずあったのは、淵上裕太さんの展示でした。上野公園にいる人々を撮影しており、淵上さんが上野で撮るようになるまでのエピソードを踏まえると、そこに写る人々の見え方が変わりました。まるで誰であっても拒絶することなく受け入れてくれるような感覚を覚えました。これはバックグラウンドの理解や知識によって、同じ写真でも見え方が変わる良い例だなと思います。そして、人間を写した写真は、やはりインパクトが強いなと感じさせられました。

 夢無子さんの展示は「戦争だから、結婚しよう!」というもので、戦時下のウクライナに入り、そこで生活する中での写真を紡いだ映像が流されていました。鮮やかな色使いの写真は、戦争で荒れた場所であるはずなのに、その荒れ方にすら美を感じさせるようなものでした。恐らく、儚さや脆さから感じてしまう美しさなのだと思います。
 映像の中では、写真と共に当時の状況が分かる文章が出されていました。正確な言葉は覚えていませんが、
「(戦争という状況下で)苦しいなら死んでしまった方が楽なのではないかと思う人がいるだろう。しかし誰もがGun Meatなどという死に方はしたくないのだ。」
というような文章がありました。私はこれを見て「たとえ死ぬことで苦しい状況から逃れられるとしても、戦争で鉛の肥やしになるような、しようもない死に方は人としてしたくないよな」と感じ、生きることへの実感を覚えました。普段忘れている「生きているという感覚」が蘇ってきたことは特別な経験になりました。

 うつゆみこさんの展示は、ビビットで、グロテスクでもあり、夢の中に出てくるような非現実感もある作品でした。生と死(朽ちる、腐敗)を扱っているのだと感じました。色味と質感から印象的なものとなっていました。

 最後に、この展覧会で感じた「生きる実感」や「見出す希望」は、日々何事もない平和の中にいるからこそ、大切なものだと思いました。

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