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映画『憂国』 批評

彼の世界観は一本の日本刀のようなものだ。その物語は彼の信条と美意識とに貫かれている。凛然とした威厳を持ち、誰にも犯すことのできない崇高さと気高さがある。彼の創造する物語はどれも高尚なものだ。人間の理想と宿命と官能と生と死とが交錯する。それは彼独自の倫理体系だ。彼独自の倫理は彼自身において完成されている。

儀礼の中で死を完遂する凛然とした態度。儀礼の中にこそ生きる人間の態度。人間よりも儀礼が上にある。優越している。いかなる人間存在であってもその儀礼の中に己の生と死とを貫かねばならない。
彼には彼にこそ従うべき信条と大義とがある。世の人々が従っているものは怠惰な欲望と痛みへの慄きだけである。それは全くふしだらで何の一貫性も気高さも無い。それは惰性である。死の哲学、ひいては生の哲学が無いのである。そこにあるのは、醜くとて長く生けなければならんとする極めて浅はかで矮小で貧乏くささに満ちた倫理だけである。
例えそれであっても、人間は醜くとも尊厳を捨ててでも生きなければならないとするのか?
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同義なのである。生の哲学もない人間に人の死を語る権利は無い。彼らの人生が固執しているのはその浅はかな倫理だけであるからなぁ!
武士としての潔癖さ、それこそが日本男子の最も美しい内面的性質であろうに! 彼が彼である限り、その信条に逆らうことは禁忌なのである。

その死には一貫した秩序がある。
血肉を引き裂くとて、貫かねばならぬ尊厳がある。

 化粧を直して彼女も彼と死を共にする。
 美しい姿のまま、美しく死ぬ…
 女と男。最も美しい愛の体系… それぞれがそれぞれの美しさを保ちながら死にゆく。女を高尚にするもの、男を高尚にするもの。それはおしろい、それは軍服…
 最も女が美しい姿のまま、最も男が美しい姿のまま死にゆく。男と女、互いが互いに最も美しい姿で死を選ぶのだ。

 切腹は鍛錬された肉体に対する最大の侮蔑と最大の裏切り。その悲哀…
肉体から脱却し精神にのみ生きる人間の崇高さ。肉体が精神によって切り裂かれる。肉体は精神をもって終焉する。
精神を補完する為に肉体は存在するのではないのか?精神の完成の為にこそ肉体の死はあるのではないのか? それならば、精神の完成の間際までなんとしても肉体の死は留保されるべきであり、肉体の死は精神の完成の為にこそ用意されているべきである!
肉体は精神にいつまでも優越することはできない! それは肉体の宿命である!

帽に目元は隠れ、その口角と引き締まった頬のみが認められる。その冷徹な気高い頬に、死が浮かぶ。そこに神秘的な匿名性が与えられ、彼という存在を彼は彼自身によって隠してしまう。
これによって彼の死は匿名的な死となり、匿名的な美となる。彼の死ではなく、軍人の死となる。彼の美ではなく、軍人の美となる。彼は彼故に死ぬことを選ばず、軍人故に死ぬことを選ばんとす。そこにはエゴイズムに満ちた人間的な醜さは無く、己の生と宿命とを他物に預けんとする潔い自分の生に対する謙虚さがある。

https://youtu.be/qGtKpiY





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