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資料で広がる世界観を見せてくれた片渕須直監督

 アニメ映画「この世界の片隅に」
 この映画を作った片渕須直監督を広島や呉でお見かけした。
 今回はその時の思い出話になります。

私にとっての片渕須直監督

 片渕須直監督を知ったのは広江礼威先生原作の漫画「BLACK LAGOON」のテレビアニメであった。
 時に2006年(平成18年)である。
 原作も好きだったし、アニメも原作の再現度とアクションの動きにクライムアクションとしての退廃的な雰囲気も完成度が高く好きな作品となった。
 また、作中では原作にはないドイツ軍Uボートの場面を追加して描写の濃い場面にもなっていた。

 ミリタリーにも造詣が深い片渕監督、旧軍の航空機で使われた塗装についても研究していて、戦史を扱う雑誌「歴史群像」でも零戦の色についての記事を書かれいる。
 2018年9月には呉市大和ミュージアムで大戦機修復家の中村泰三氏と共に零戦について語るトークショーもありました。
 私にとっての片渕監督はミリタリーに造詣が深いアニメ監督です。
 「BLACK LAGOON」テレビシリーズ放送後に片渕監督が広島や呉を舞台にした作品を作ると言う話がどこからか聞こえて来た。
 それが「この世界の片隅に」でした。

資料で語る片渕監督

 直に片渕監督を目にしたのは2015年の広島市にあるJMSアステールプラザで行われた「日本マンガ学会第15回大会」の時でした。
 この時は「この世界の片隅に」戦前から戦中・終戦直後の呉市や広島市についての資料で片渕監督は語ってくれました。

 また2017年11月の広島国際映画祭で「この世界の片隅に」で憲兵役であり広島弁指導も行った栩野幸知さんとのトークショー
 「この世界の片隅に」で描かれた場面についての片渕監督と栩野さんのトークが面白かった。

 どのトークショーでも片渕監督はノートPCを繋いで自身で集められた資料をスクリーンに出して紹介しながらのトークでした。
 アニメや映画の話では無く、歴史の講演会と言る感じでした。
 それがディープで知的好奇心を刺激して楽しい。

 呉市の軍港内を見せないように呉線沿線に立てられた壁、その壁が夏場では日光を反射して列車内を熱くしてしまい、乗客から苦情が出た事
 戦中から戦後も長く残った呉市にあった謎の小屋
 原作者こうの史代先生が答えを出した戦中に呉市を走ったバスの色
 「この世界の片隅に」を作る為に集められた多くの史料、トークイベントでは集めた資料の半数は作品では使われなかったと片渕監督は語る。
 作品の時代を追及した片渕監督と言う沼の深さを感じました。


片渕監督と飛行機で話す

2018年の呉市大和ミュージアムで零戦について語る片渕監督

 片渕監督と直に話せた時がある。
 呉市の映画館、呉ポポロでのサイン会
 広島市にある八丁座で「この世界の片隅に」の場面追加版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」舞台挨拶後のサイン会
 この2回だけだ。

 呉でのサイン会で私は吉島の場面で登場する飛行機について質問した。
 答えは一式双発練習機だった。
 片渕監督は続けて、広島に原爆が投下された直後に吉島から陸軍機が飛び立った話をしてくれた。
 初めて聞いた話で興味深かった。
 この原爆投下直後に吉島から飛んだ陸軍機は、広島での状況報告の為に山口県にある小月飛行場へ向かった機体だった。

 二度目は八丁座
 ここで作中に呉市上空を飛行する双発機について質問した。
 私は呉が海軍の軍港があるので、海軍の夜間戦闘機「月光」なのかなと思い「月光でしょうか?」と尋ねます。
 片渕監督の答えは陸軍の二式複座戦闘機「屠龍」でした。
 同じ夜間戦闘機でしたが、山口県防府にある飛行場から飛んで来た陸軍機でした。
 この八丁座でお話した時に「飛行機について訊きたいのですが」と尋ねた時に片渕監督の輝く目が今でも忘れられません。

 映画「この世界の片隅に」
 ここまで監督に近づけて見れた作品は他にありませんでした。
 


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