見出し画像

二大政党制を阻む者の正体とその目的。


二大政党制とは、二つの主要な政党が、最近の主な選挙で大きな得票や議席数を保っている状態や、それを前提とした政治体制である。

Wikipedia「二大政党制」より


例に挙げるなら、アメリカの「民主党」と「共和党」ですね。
選挙の手法は首相制の日本のそれとは随分と違って、大統領制では政党が選んだ大統領候補を国民の選挙で選ぶ仕組みです。
「民主党」と「共和党」はリベラルと保守としてそれぞれに特色があり、大統領がどちらの陣営に属するかによって、政策や予算の配分なども異なります。
大統領選挙で国民の支持を多く集めた側が政権を握り、党の支持率が下がると次の選挙で政党が交代することもあるわけです。
自民党一大政党制(一党独裁?)の日本とはそこが違いますね。

日本で同じことをやろうと思えば、自民党に対抗できる力を持った政党を育てるか、野党の候補者一本化を進めるなどして、野党全体がひとつにまとまる必要があります。
が、現状では野党同士が対立して小さく分かれてしまっており、ひとつにまとまるどころか互いに足の引っ張りあいをして、自民党一強に貢献してしまっています。
なので、自民党政権がどれほど悪質かつグダグダで、国民の血税を湯水のごとく無駄にするようなことばかりやらかそうとも、長年つづいた自民党政治は覆らないだろうと考える有権者も少なくありません。

自民党議員や岩盤支持層がそう思うのは勝手なんですが、ロクデモナイ政権にやりたい放題されることにトサカにきている者もまた少なくないはずなんですが…。
なのに何故この国では滅多に政権交代がおこなわれず、何故か自民党一大政党制が続いています。
それはどうしてなんでしょう?


先月、菊地さんのエッセイのコメント欄で、この辺りについて過激な発言…もとい、あれこれ討論したので、興味のある方はそちらもご覧ください。


さて、ヒトのエッセイのコメント欄にて特定の政治家さんたちをコテンパンにこき下ろしてますが、あれはあくまでわたしの私的見解です。

ではなぜ今、二大政党制の必要性を問うのか?
それは安倍氏が長期政権のあいだに自民党一党(独裁)政権の存続を強化するシステムをつくったからです。
これを放置して、このまま自民党一強政治を続けていると、そのうち取り返しがつかなくなる(もうなりつつある?)と思うのです。

まだ序盤なのにもう『二大政党制を阻む者の正体と目的』を書いてしまいました〜(笑)
ここからは何故そう結論したかの考察になります。


わたしはべつに野党のどこかの党を特に支持しているわけではありません。無党派層ですしね。
ただ、自民党が自党の政権運営を有利にするためにつくりあげた仕組みや小細工は早めに壊しておくべきだと思うのです。
壊した後でまた自民党一強政治に戻るか戻らないかは有権者が決めることです。自民党にのみ都合の良いシステムを存続させないための政権交代が必要だという意見です。

自民党一強に対抗する勢力が存在し続けるためには、自民党がやらない、出来ないことをやって認められなければなりません。
例えば自民党がグダグダにしてしまった入管法や、LGBT理解増進法という名の「差別促進法」をもっとマシなかたちで成立させることができたらどうでしょうか?
優遇されてきた二世三世議員には制限を設けて、もっと若い世代や女性、異業種からの議員なんかも増やせるように、新しいシステムを構築して存続させることができたなら?

ただ現状はですね、こうした主張をする党がとにかく不人気なんですね。
野党勢力として「自分たちが中心になるべきだ」と意気込みすぎて、ずっと空回りしたまま弱体化の一途をたどっています。
二大政党制を目指して、自分たちで野党を上手くまとめて代表に選ばれるのではなく、最初から「野党第一党は我々だ」という自意識か本音がダダ漏れなんじゃないでしょうか?
その結果、見切りをつけた一部の野党勢力が与党の側に流れるような現象まで起こっている始末です。
おかげで自民党はますます呵呵大笑。野党の分断と支持率の低下だけが進むという迷走ぶりです。


ところで、無党派層界隈には、岸田政権に不満でも、「もともと安倍政権以前もこんなものだったでしょ?」という意見があります。
じつはこれ「安倍さんはスバラシカッタ」というヒトも「ロクナモンジャナカッタ」と思ってたヒトも、どういうわけか似たような意見だったりするんです。

なにも岸田氏だけが特に横暴だったり無能なわけでもない。
要は安倍氏や安倍政権が特別だっただけで、それ以前に戻っただけ?
う〜ん…言われてみればそうかもしれません。確かに一理あると思われる意見です。
というよりも、これは政治に無関心だったり、野党にも不満な無党派層の人々からよく聞く意見ですよね。
「だから選挙になんか行かないし誰の支持もしない」という結論になるアレです。

その気持ちは非常によくわかります。わたしも無党派層のひとりですから。たしかに野党第一党はあの体たらくだし、与党にすり寄る野党勢力とか意味不明ですしね。
でもこのままだと、自民党が図に乗ってやりたい放題を加速させるだけだと思うのです。
わたしは岸田氏を見ていてそう思うのですが、これを読んでるアナタはそうは思わないのでしょうか?

わたしは安倍アンチですが、ひとつだけ彼の功績を認めています。
安倍っちが「露骨にやり過ぎた」おかげで露見したり、赤裸々になったアレコレは、裏が取れずにただ疑うしかなかったそれ以前とは比較になりませんから。確かにそこは彼の功績です。
功績はもうひとつありました。
安倍長期政権では、一方に安倍信者、もう一方にはアンチが存在して、それ以前とは比べものにならないほど政治談義やネットでの論戦なんかが活発化しましたよね。
それがそのまま投票率に繋がらなかったことは今でも不思議です。

もともとこの国の有権者の何割かはあまり政治や選挙に興味がなく、だから投票率はずっと低いままだという、調べなくても大抵の人が知ってる事実がありますよね。
選挙に行っても行かなくても、ほとんどずっと自民党政権が続いているし、政権交代しても何も変わらなかったという声もよく聞きます。
このままでも特に不満はないと変化を嫌う人達もいますしね。

一方には「悪夢のような民主党政権」という言葉を安倍政権時代に頻繁に耳にして、それがそのまま刷り込まれているひとも多いでしょう。
でもこれ本当は先に「悪夢のような自民党政権」があったから、自民党が選挙で大敗して旧民主党に政権を奪われたことを忘れていませんか?
そうじゃなかったら自民党が政権を失う理由がないわけですから。
なのに少なくない人々が誰かさんの巧みなミスリードに乗せられて、自民党政権でなければダメだと思い込まされたんです。

ほんの少し想像してみてください。
たとえ旧民主党政権が現自民党政権と同じくらいどうしようもなくても、対抗馬としての位置に今も残っていたとすればどうでしょう?
「自民党の暴走の多少の抑止力ぐらいにはなった」んじゃないかと思いませんか?
やり過ぎれば政権を失うかもと思えば、少しは自重するなり真面目にやるなりするだろうと思うのは、わたしだけですか?
二大政党制って、そういう部分こそが大切なのでは?
有権者にしても、どっちの政権がマシかを自分たちで選べるほうが、ロクデモナイひとつの政党にやりたい放題を許すよりもまだマシな気がするんですけどね。
じつは安倍氏は「そこのところ」を全力で潰しにかかったのだとわたしはみています。


長期政権の間に、安倍氏は、このままずっと自民党が与党でやりたい放題できるようにと、そのための環境づくりや、一部の過激なネトウヨや岩盤支持層の取りまとめと強化を目論んだ…というのがわたしの見方です。
これには自民党が政権を失ったことが大きく関係しているはずです。
与党自民党の立場を確固たるものにすべく、安倍氏はこれまで内輪でなんとなくなぁなぁでやってきた仕組みを、合法的な手段として確立させることに尽力しました。
すなわち『官邸一強と数こそが正義』の方針の確立ですね。
ソレがどういうシロモノだったのかは、改めて説明が必要ですか?

それまでは「与党は自民党だ」という意識で、政権運営に都合の良いシステムが構築されてゆき、そのまま連綿と受け継がれてきました。
がしかし、旧民主党に与党の地位を奪われた自民党は、このままではまずいと主張する安倍氏のもとで一致団結します。
すなわち第二次安倍政権のあいだに
、自民党がニ度と野党落ちなどすることのないように、「数こそが正義の民主主義」体制の構築を図ったのです。

ようするに、完全な多数派としての立場を確立させて、さらに政治の中枢を自分たちに都合よく変える。
野党の分裂を煽り、とにかく負けない選挙をやる。やるべき改革や政策は遠慮なく進めて、反論異論は多数派の力で捩じ伏せる…そういうシステムをつくったのです。
国民が大反対したのに強引に可決された法案とか、一票の格差がどうしたとか、選挙に勝つために、遊説では自党の政策を語るよりも相手を貶めるような発言を連発するとか、いろいろやってましたよね?

「悪夢のような民主党政権」という言葉も、小泉元総理が得意としたパフォーマンス手法を真似た巧妙な戦略によって、その言葉だけが一人歩きして、それがそのまま国民に浸透してしまいました。
さらに、安倍政権ではメディアや官僚を抑えこみ、官僚の力を削いで官邸の発言力を強化。
鋭い意見が売りの番組やコメンテーターは露出を減らされるか追いやられ、いつしかテレビは人畜無害な番組や中身のない発言がウリの芸能人や評論家ばかりに…。
一方、ネットでは怪しげなネトウヨによる過激な野党批判や論戦を奨励するなど、これまでにない情報操作の手法も目立つようになりました。

これらを何のためにやったかというと、与党と野党で政権がコロコロ交代するようなことにならないように、そのためのシステムを構築したかったんじゃないかと思うのです。
安倍氏いわく「二大政党制なんて冗談じゃないよ。日本の与党は自民党なんだから」というわけです。

それに先立って一度は自民党から政権を奪った旧民主党も不運でした。
ずっと野党だったせいでノウハウが不足して政権運営に不慣れだったうえに、「3.11」東日本大震災が起こったのは2011年3月11日でした。
2009年に誕生した民主党政権は、基本的に自民党の下で固められた原子力政策を踏襲していました。たとえ政権が自民党の手にあったとしても、目を見張るほど良い対策が講じられたとは思えません。
しかも、あのような未曾有の災害にあっても自民党は非協力的で、自分たちは野党だからと高みの見物というスタンスの者もいました。
さまざまな不運が重なり、力不足から厳しい批判に晒され、一枚岩となるには時間が足りず、ついに民主党政権は瓦解。これによって野党の分裂が加速することに。

これらは後に安倍自民によって都合よく印象操作されました。
旧民主党政権の優れていた点や良かった部分は無かったことにされ、マイナス面ばかりを強調して野党の弱体化を企て、事あるごとに「悪夢のような民主党政権」と連呼したのです。
いやいや「もともと先に悪夢のような自民党政権があったから政権交代したんじゃないの?」という事実には口を拭って、全部まとめて民主党政権のせいにしちゃったんですね。

そうして今現在、岸田自民の支持率がドン底まで落ちない理由は、安倍長期政権がつくり上げ、のこした遺産のおかげなのです。
具体的に言うと、とにかくメディアの政権批判がかつてとは比較にならないくらい弱まりました。
岸田氏や岸田政権は、本来ならもっと叩かれて然るべきなのに、野党やメディアの弱体化におおいに助けられています。

岸田氏は「すでにあるモノをただ利用している」だけ。
誰かの仕事の継続や、自分で改革なんかしなくても、今でも十分やりたい放題できるだけの権力も余地もある。ならば権力のトップの座にある間に自分がやりたいことをやればいい…とか考えてるんじゃないでしょうか?

長くなりすぎたので続きます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?