見出し画像

生きる。

これも、いつに書いた文章だろうな。

まぁ、いいや。とりあえず、投稿しよう。

うん、わかった事がある。

ひとまず、僕は僕の書いた文章が好きだ。僕が僕の文章の一番のファンだ。

おそらく、僕が書いた文章を一番よく読んでいるのは自分だろう。

まぁ、そもそも、人の目に触れる状況にする前に、何度も読み返す。

それは大前提、自分が感じた心の動きをしっかり咀嚼して、できる限り合う言葉へと頭で置き換え、誤解や誤差を生まないように丁寧に言葉を選び、文章を綴りたいからね。

自分の書いた文章の何が良いって、自分が自分の文章を読んだ時に、自分がその文章を書いた時の気持ちを思い出せるじゃない?

例えば、初心忘るべからずとかいう言葉があるけれど、自分の書いた文章に染み込ませた想いは自分が一番わかってるじゃない?だから、その書いた時の気持ちに瞬時に戻れる。

だから、僕は初心どころか、その時々に自分の心が感じた事は大体引きずって生きているとも言える。

基本的には良い事を。良くない事も時間をかけて、良い事にして、引きずって生きる。

まぁまぁ、そんな事はそもそもわかっていたんだけど、何に気付いたかと言うと、僕の言葉はどこか切なさや寂しさ、生きる儚さを内包しているなと。底抜けな明るさを放つ文章は少ない。

俺も何とかやってるよ。レベルの文章だったり。俺なりに精一杯踏み出した小さな一歩だよ。的な文章だったり。自分には特に意味はない前提でこう思っているみたいな文章だったり、自分には特別な才能はないけど、頑張ってるぞみたいな文章だったり。今、悩みながらも、未来の光を求めて書いた文章だったり。願いや祈りにも似た文章だったり。

でもさ、世の中、底抜けに明るかったり、夢や希望だけを語る文章ってあるじゃない?特に発信や告知によく見かけるじゃないか。

そういう言葉を読んだ時に、そんなはずないんだろうなとか余計な勘繰りなんかを生む。みんなが自分の生きている現状、現実がそんな事ないのを知ってしまっているから。だから、どこかウソっぽくなってしまい、その時点で、伝わる純度は下がるよね。

僕は歯が浮くような、机上の空論のような上滑りする言葉を書く気はないんだよ。

ちゃんと伝わって欲しいから。できる限り、虚栄や虚像じゃなく、自分の心の動きに、できる限りウソのない文章を書きたい。

だって、未来の自分も読むんだから、過去の自分が書いた虚栄に満ち満ちた文章なんて読みたくないじゃないか。

そういう、何て言うんだろうな。自分がぐっと来たという感動みたいなものをちゃんと咀嚼して、言葉に落とし込んで伝えたいのよ。自分がちゃんと言葉にぐっと来た想いを込められれば、自分や誰かがその文章を読んでくれた時にぐっと心に来る文章になるはずじゃないか。

もしかしたら、僕みたいに僕の文章で励まされてくれる人が一人でもいるかもしれないし、僕の文章で一歩踏み出せたり、誰かの背中を押せるような文章を書けたらなと思う。

いや!違った。

文章の前に、そういう生き方をしたいなと思うわけだよ。そういう生き方をしているからこそ、初めて、そういう文章が書けるんだと思う。

そもそも僕は、過去の自分や未来の自分に恥じないように胸を張れるように、今を生きようとしている。

それが、その僕の生き様が、僕の文章を通して、誰かの目に触れて、その人の背中をそっと押せたり、その人の手をそっと引っ張ってあげられたり、疲れた時や辛い時は、大丈夫だよって安心させてあげられるような、そんな言葉を綴りたいなと。

何が言いたいかって言うと、近頃、気難しいと言われる俺だけど、気難しいって思われるくらいに自分の好き、嫌いや自分が綴る言葉や人とのやりとりの中での行動なんかの誤解や誤差は嫌だなと思っているという事。

生きるってさ、切なくてさ、寂しくてさ、儚いけどさ、それ、みんな一緒だから!そればっかじゃないし、そういう気持ちがあるからこそ、ふとした時の人の暖かさや誰かとバカ笑いできる瞬間のうれしさや、そっと寄り添ってくれる人の温もりがさ、最高なんだよって事!

だからこそ、尊い瞬間ってのが、訪れるんだよ!って事!

時には二日酔いでグズグズの自分もいるだろう。そんな自分も愛してあげたり。自分の思う理想通りじゃない、うまくいかない日々を過ごす時もあるだろうよ。でも、そんな自分を許してあげたりさ。

理想とは、ほど遠い自分だったりする事もあるだろう。そうやって、ああだこうだ言ってる自分も自分だから。まずは、それを自分で認めて歩き出そう。

何かそんな事なんじゃないかな、生きるってさ。

何もかもが一足飛びにうまくいかない事ばかりでも、そんな、ただの繰り返しのように見える日々を飽きずに、焦らずに、少しでもご機嫌で過ごせるように、いつか訪れるチャンスを逃さないように自分自身を調律しながら、日々、知識や経験を積み重ね、そのひとつひとつを咀嚼し、心に蓄えながら、行動に反映させ、今日よりも、素晴らしい明るい明日からの未来を信じて、毎日、床につくんじゃないのかな。

そして、その淡々と続くように見える日々の繰り返しを続けるためにも、ほんの些細な達成なんかを誰も褒めてくれなくても、自分くらいは自分を最大限、讃えて、賛美して、労ってあげる。

身の丈に合わないデッカイ夢は自分を苦しめるだけだ。デッカイ夢と今の自分を見比べて、卑下して、自己嫌悪に陥って。

そんな事をしているより、毎日毎日、着実に一歩一歩、できる事をやり続ける。

生きるってさ、そういう事なんじゃないかな。

知らんけど。

ああ、なんだ、この終わり方。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?