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ファンキーな不動産屋の九州滞在記~4日目前半~。

2023,02,13~2023,02,18の5泊6日で訪れた長崎~佐賀~福岡~熊本、一人旅。

京都一ファンキーな不動産屋の実に偏った九州滞在記。

今回、そもそものきっかけは、エコビレッジ サイハテの坂井くんから来てよって言われた事。でも、遠くてなかなか行けないだろうと、近くの産業遺産、斜陽商店街、戦後のドサクサ飲み屋街、公営住宅に特化して、廻らせていただきました。

全行程で撮った写真は1,900枚。そこから選びに選んだ写真たちと旅の途中に綴ったメモ書きでお伝えします。

今回は4日目2023,02,16前半分。河原町繊維問屋街です。お付き合いくださいませ。

〇この日はついにメインイベントのエコビレッジサイハテに行く日。待ち合わせの時間があったんだけど、どうしても河原町繊維問屋街に行きたかったから、早起きして、行きましたとさ。

河原町繊維問屋街の前の建物
河原町繊維問屋街の前の建物

〇そもそも、再開発の波から漏れて、なぜ、ここが残っているのか?から行こう。ここ河原町は、第二次世界大戦後に焼け野原となった後、いわゆる戦後のドサクサ闇市を始まりとした店舗が多く立ち並んだ。しかし、昭和30年代に火事があり、すべて燃えてしまった。そこで、その翌年、共同出資でこの繊維問屋街が建てられたそうな。共同で建てられたが故、この問屋街の店舗の大家はすべて異なり、路地も所有権が細分化されているため、所有区分がとても複雑で、売却しようにも話がまとまらないんだそうだ。そういう理由で残る事もあるんだな。

河原町繊維問屋街

〇僕の知る国内での賃貸リノベーションプロジェクトはちゃんと外装をやるっていうのが多い。投資をしたのに、外壁から水漏れを起こしたり、剥落しないようにって、外装をちゃんとやる。当たり前だけど。でも、少し前に台湾に行った時に内装はリノベしているのに、外装そのままみたいな施設を見て、わぁ、すごいなー、知っててやってるのかなー?って思った記憶がある。その感じだな。所有者がバラバラで足並みが揃わないのか、単に工事をする資金がないのか、敢えてしないのか?その全部の理由なのか?僕は仕事を完全に横に置けば、このままの方が断然美しいと思う派なんだけどね。何がしたいかって言うと、外観は変えずに、このままの状態で保存できる方法を発明したい。

河原町繊維問屋街の外壁

〇2000年くらいから、新しい店やクリエイターのアトリエなんかが入居しだしたそうだ。僕が訪れたのが、早朝だった事もあり、ほとんどが開いていなかったけど、普通の時間に行ったら、また景色が違ったのだろう。ネット上のいろんな記事は10年前くらいのモノが多く、今も入居されている方は多いのだろうか?

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

〇こうして外壁に絵を描く感じも台湾でよく見た。

河原町繊維問屋街の外壁
河原町繊維問屋街

〇こういうところを表現するのに、どうしても、ノスタルジックとか、昭和レトロとか、映画のセットみたいだとか言いがちだけど、そういうの嫌なんだな。ノスタルジックとは、どこか遠い懐かしさを感じさせるものや、もう失われてしまったものに心惹かれる様子を表す言葉だそうだ。現に失われてないし、今あるし。昭和じゃないし、今だし。セットじゃないし、リアルだしってなるな。いろんな歴史を経ての今のリアルが最強なんだけどな。過去があって今があるんだからさ。やっぱさ、建物とか、商店街とか、集落とか、現在進行形で生きている姿が一番美しいのよ。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

〇この陰陽も素晴らしいのよね。暗いところはちゃんと暗い。今のまちはどこもかしこもLEDのキツイ白い外灯で照らされて、この世に一隅の暗闇も作らないもんね!感が強くて、気が滅入る。目も痛い。暗いところは暗くて良い。空間に奥行きと色気が出る。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

〇2016年の火事によって、裏側にあった木造建築が燃えてしまったそうだ。ああ、ほら、そういう事だ。無くなってからでは遅いのだ。ああ、その景色も見たかったな。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

〇旅行中に小耳に挟んだんだけど、全国的に新しい商品とかができたら、一旦、感度の高い人が多い熊本で試してみて、反応良かったら、全国展開するみたいな話を聞いた。どこまでホントか知らないけれどね。でもね、ここを訪れたら、その話の真実味が一気に増す。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

○ここらで、一回はっきり言っておきたいのは、河原町繊維問屋街、最高だ。直さないで良いところはそのままで。新しい店やオフィス、アトリエも入居しているっぽいし、とても良い感じ。こういう斜陽商店街系で、今までで、一番良いかも。この九州旅行、何気に川端史上一位多いな。

河原町繊維問屋街

〇なんだろうな、ここは全体的に、過去から今までの歴史、ここが生きてきたストーリーへのリスペクトを感じるんだな。敢えて、そうしている感じ。敢えて、触ってなかったり、敢えて、残している感じ。いや、敢えて、守っているとも言えるかも。それは、商店街全体的から感じ取れるから、誰かが音頭を取っているのかな。もし、それを所有者や借りた人、それぞれが考え、感じ、自然にできているのだとしたら、よりスゴイ事だよね。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

○1日目の夜も、2日目の夜も、3日目の夜も、明日は、朝から、相当移動するから、早く寝て早く起きましょう。となりました。一日も飲みに出てない。こう見えて、意外や意外、一人ぽっちで飲みに行けないというのが強いけど。ラーメン屋さんでビール飲んで、コンビニでビール買って飲んでいた。毎日、21時過ぎには宿にいた。

河原町繊維問屋街

〇翌朝は早くから、たくさん回りたいし、日暮れになると写真が撮れなくなるから、17時半くらいまでが行動時間。だから、有意義に時間を使うために早く起きないといけないという気持ちからか、2時間おきくらいに目が覚めて、毎朝、目覚まし時計が鳴る前に止めていた。普段の僕じゃ考えられない。

河原町繊維問屋街

○今回の工程は完璧で、行きたかったところはすべて行けて、電車とか、船とかツアーとか遅れたらアカンものはすべて間に合った。時間にルーズな自分を知っているがゆえに、完璧にやり切った自分自身を完全に褒めてあげたい。ありがとう、俺。

河原町繊維問屋街

〇いちいち、めちゃくちゃいい。僕が今、関わらせてもらっている集落、施設なんかが数十年後、こうして残っていて、その時代の若者?その時代の人たち?から愛されて大切に使ってもらえたとしたら、うれしいな。そういう覚悟、意気込みでやってるぜ。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

○僕は、ず~っと、映画スワロウテイルのYEN TOWNの世界観が好きや言うてるけど、いよいよ、駅前の周りの飲み屋街の裏側の朝方とか斜陽商店街とか、大体全部、YEN TOWNの空気感があるのよ。再生の素材として、とても魅力的。いや、これも映画のセットみたいな話になるのか、ああ、こういう表現も良くないな。

河原町繊維問屋街

〇こうして今、この建物、この商店街があるのは、過去から今までに大切に使う誰かがいたから、残っているのであって、そのすべてが奇跡的な事だと言えるよな。誰も使わなかったら、今、ただの廃墟になっているか、潰されて、更地になってしまっているかだもんな。そうしたら、僕は、この時に会えてない。

河原町繊維問屋街
河原町繊維問屋街

○いろんなところ、いや、そんなに行ってないか、まだまだ、行きたい。行った中で、今までで最高の斜陽商店街と最高の公営住宅にこの旅で出会えた。もっと、いろんなところに行かなきゃいけないなと強く感じた。そこがあるうちにね。

河原町繊維問屋街

〇次は、ファンキーな不動産屋の九州滞在記~4日目後半から6日目~に続きます。

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