見出し画像

何でこの本買ったんだろう…(._.)

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日本棚を整理して、自己啓発本やビジネス書の類を一斉検挙したこともあり、あぁ当時はやる気に満ち満ちていたなぁと、しみじみと考えていた。

本棚は自分自身を映し出す鏡というべきか、並んでいる書籍を見て、買った当時の自分に思いを馳せる。

ただ時折、何でこの本買ったんだっけと、思わず首をかしげてしまうこともある。何かに惹かれて思わず買ってしまったのだろうけれども、冷静になってから、何でだろうと思うことも多い。

まだ美術館を訪れた際に買ったアートブックとかなら分かる。都内の科学館や博物館を軒並み巡っていた頃に買ったであろう歴史や科学に関する本も、若干熱が冷めているがいずれ読もうと思える。

しかし、恐らく相当気分が滅入っていたんだろうなという本も少なくない。

実例を出すと、ポイズンちゃんの「この世界で1人くらいは、私の生きる価値を認めてくれるはずだから」KADOKAWA という、承認欲求丸出しの本があったりとか。

まぁヘルマン・ヘッセの「愛することができる人は幸せだ」草思社は割りと著名な本だろうから、並んでいてもおかしくないが、今の自分の本棚からしてなんかちょっと拗らせている感が否めない。

かと思えば、チャック・スペザーノの「30日間で、どんな人でもあなたの味方にする法」株式会社ヴォイスがあったりなど、もう愛したいんだか愛されたいんだかあやふやである。

でもその本を手にした当時から、今の今まで本棚に並んでいるということは、やはり今でも潜在的にその本に価値を感じていることである。その気持にウソはないからこそ、本棚は自分を映し出す鏡となる。

だけど、自分の本棚を一番好きでいる人は、他ならぬ自分であることが一番である。

知り合いの中には、尊敬する人がおすすめしたから自分も読む、本を出版したから自分も買うと決めている人がいる。そういう応援する文化を大切にする気持ちも分からなくない。

しかし、本というものは、自分が読みたいと思うもの、自分にとって必要だと思えるものを読むのが一番だと思う。

今の自分に必要のない本は蔵書ではなく積読となり、ただただ自分のプレッシャーになりうる。自分の本棚なのに、自分でない誰かに管理されるほど辛いものはないと個人的には思う。

だからこそ、何でこの本を買ったんだっけと思えるような、その時の気分や感情にとって必要だと、自分が選択した本というものを大切にしたい。

そうやって、私だけの本棚を作っていきたい。それではまた次回!

この記事が参加している募集

わたしの本棚

今こんな気分

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。