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自分の名前で仕事をする

大家になる、私と一緒に住んでくれる人を探す、というマイプロジェクトを進めていて、最近気づいたこと。
私、「自分の名前で仕事をする」ことに憧れてたみたいです。
(正確には仕事というか、プロジェクト??)

会社の名前や部署を背負った誰かじゃなくて、私であることが大事な仕事。
そんなことは私にはもうないんだと思ってた。

会社員としてどんなにキャリアを積んでも、会社がやることを私が代行しているだけで、私じゃなくてもできる「役割」でしかない。
だからこそ「会社」はみんなで助け合って大きなことを成し遂げられるという良さがあるし、それ自体は私に合っている。
一方で、もっと私のキャラクターを武器にしたいという想いはずっとあった気がする。
裸一貫の私で戦えることがあるんじゃないかと。

大家の学校やそこを起点としてつながった人たちは、みんな自分の名前で仕事をしていた。
その人のキャラクター、人間性がプロジェクトの大事なコアであることがほとんど。
もちろん大変なことも話してくれるけれど、自分が真ん中で、自由にめいっぱい自分を生きているように見えた。
この一年半たくさんの方を見たことで、それが特別な誰かだから出来ているわけじゃないということもよく分かった。
やりたいと強く思って、やると決めて、やってるだけだ。
うまくいかないことも含めて、自分という道を進んでいるだけだ。

そう思ったら、私にもできるんじゃないかと思えてきた。
できるかできないかというより、やるかやらないかなのかなと。
去年大家の学校の一期目を終えて、私もやりたい!と思って進めてきた家づくり。
自分のプロジェクトを人に紹介するとき、紛れもなく私は私を売りにして仕事をしている。
人と繋がったり、いろんな所に出かけておしゃべりするのが大好きな特性も、余すところなく活かせる感じが心地よい。
そういうことがしたかったのか!というのが大家の学校での一番の気づきであり、私の人生に与えてもらった希望でもある。

私は合理的に、安全に、リスクとらずにうまくやる生き方をしてきたし、これからもハイリスクなことは選ばないと思う。
もう一回生き直しても多分同じ。
でも家族の最小単位が決まって、本業もしっかりあって、もろもろの安定が見えてきたからこそのこのタイミング、このやり方なのだ。
(そう考えると母が40歳で歌手になったのと同じ展開なのかもしれない笑)

大家でもなんでもなかった一会社員が、土地を買って建物を立てて大家になる。
つくりたい暮らしは自分でつくる。
そんな生き方の選択肢をくれた大家の学校には本当に感謝。
純さんはじめまめくらしの皆さんが、大家の学校を始めてくれて、続けててくれて、本当によかった。

世の中には、自分のことだけではなく誰かの可能性を拡げようとしてくれてる人たちがいて、そういう人たちのおかげで世界が拡がる人が確実にいる。
私もそんなきっかけになる家をつくりたい。

そんな生き方もあるのか…と気になった方は、ぜひ11期に参加してみてください^^


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