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なぜ上杉謙信のぶっちゃけ辞世がマジでヤバいのか?


#自虐ユーモア系辞世#

「四十九年、一睡の夢、一期の栄華、一盃の酒」
越後の虎、上杉謙信による辞世の句。
個人的には、戦国五指に入る辞世だ。
よわい49歳にして没した謙信公の、虚無、自己顕示、そしてなにより、自虐ユーモアがほのかに薫る名句だろう。

ユーモアなしでも生きられるが、ユーモアなしでは生きたくないね、、を座右に置いてるワタシとしては捨て置けない。
ちなみに辞世は、「往生しまっせ」、を予定している。きっと4スキぐらいは、逝く。
では謙信公の辞世のどこに、自虐ユーモアがあるのだろうか。

順をおって説明しよう。


#超訳してみた#

まず超訳だ。
灰色の脳細胞をフルに活性化して、訳してみよう。
「四十九年、一睡の夢、一期の栄華、一盃の酒」
        超↓↓訳
“”49歳で死ぬ。でも、ままいいんじゃね、って感じ。一晩寝た時に見る系の、マイルドドリームみたいな人生。。越後界隈じゃ、ブイブイいわせてやったし。あまり知られていないが、上洛的なのもやった。。とはいえなによりヤバかったのは、メシくった後の、一杯の酒だよね(oゝД・)b。“”


現代語訳すれば、このような風情となる。
これ“も”、余談だが、ワタシはシンギュラリティなんぞは、永遠にこないと思うんだ。だって面白いじゃないですか、人間の腐った蜜柑みたいな、どうしようもない感情と、それが乗った拙くて拙くて、だからこそ熱い文章は。



#解析してみた#

さて、
つぎに解析だ。

「四十九年、一睡の夢、一期の栄華、一盃の酒」

導入にあたる、「四十九年、一睡の夢」、
これは説明を割愛しよう。読者への信頼ってやつ。
つぎに「一期の栄華」、
これは「一期」と「越後」がかけてある。世に云う、オッサン構文みたいな。
だがこの一節の韻踏みにより、句ぜんたいに俄然リズムが増しているのも確かだ。ガンバ遠藤的な役割で、チーム全体が安定するワケ。

さあ「最後」の一節が、さあおたちあいだ。


#ぶっちゃけ辞世#

「四十九年、一睡の夢、一期の栄華、一盃の酒」

最後尾にポツンと置き忘れたような、
「一盃の酒」。
これがこの句のキモ中の肝、すなわちエッセンスみたいな。

釈迦に説法、孔子に論語、二十歳過ぎればタダの人。

ここまで読み進めてくれた読者諸賢には蛇足だろうが、ここでは念には念をいれ、イロハのイから噛み砕こう。
上杉謙信は信心深い仏教徒として、世に知られていた。
そのため、「酒」は禁忌でありご法度。
いわゆる「不飲酒戒の戒律」さあね。

ところがどっこい、
「一盃の酒」と来たもんだ。

文脈から、「一盃の酒」は、
「ぶっちゃけオレ酒飲んでた。戒律やぶったけど、まあいいんじゃね、って感じw」、としか考えられない。 

あくまで戦国SNSがあったらという留保つきながら、
信心深い仏教徒でならす謙信公のぶっちゃけトークで、安土桃山時代もたけなわ、さぞ盛り上がったことだろう。

「あの生真面目な謙信の自虐ネタw w」
「信心深い仏教徒って肩書き、プロパバンダ系w w超受け」
ってな具合よ。



#まあ、いいんじゃね#

「四十九年、一睡の夢、一期の栄華、一盃の酒」

あらためて見るにつけ、
「まあ、いいんじゃね、って感じ」がなにを置いても薫りたつ名句である。

「四十九年」という夭逝以上大往生未満の微妙な齢、
「一睡の夢」という説明を割愛されそうな儚いワンフレーズ、
「一期の栄華」という嫌われがちな自慢話、
そしてなにより、
「一盃の酒」といふ、秘められた自虐とそれに内包されたユーモア。

ワタシもこんな、
「ぶっちゃけ、まあいいんじゃね、って感じw」
にてその日を迎えたいものだ。


出来ることなら、「往生しまっせ」って、微笑みながらね。

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