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哀しさのスイッチ

先月の頭に祖母を亡くして、その後お通夜や告別式や何やかやで慌ただしい時が過ぎ、いつの間にか師走の中盤を迎えていた。

目の前にある手続きや仕事を片付けるだけで精一杯になり、ゆっくりとできる時がなかった。

今もそうなのだけれど、それでも忙しさの峠は越えたように思う。

そんな時、シャワーを浴びている時に東京の町の道路が頭をよぎった。

大きな通りから細い通りへ、急な坂道を下り終えると和菓子屋があり、まっすぐ進むと中古車のディーラーがある。

そこに陳列されている車の前に信号があり、長い赤信号が青に変わるのを待って大きな通りを越えると、今にも崩壊しそうな、だけど人の気配がする一軒家がある。

どこの町にもあるような道だと思う。

けれど、それは私にとって特別な道だった。

祖母の家へ繋がる道だ。

こちらは神奈川、祖母は東京に住んでいたので、実家に帰ると言っても上京することになる。

祖母の家の方がより都会的なので、田舎に帰るという気持ちはまったくなかった。

それでも懐かしさはある。

が、シャワーを止めた時に、その道を通ることはもうないことに気付いた。

祖母はもうこの世におらず、実家は母の弟の嫁だけが暮らす場所になっているのだから。

あちらのお嫁さんと仲が悪いわけではない。かといって良いわけでもない。

訪問し合うほどの仲ではないのだ。

だから、今後余程のことがない限りその元祖母の家へ行くことはない。

そんな当たり前なことにすら忙しさに紛れて気付けなかった。

そして、気付いた時、無性に寂しさを感じた。

その道を辿れないことで、祖母の不在を改めて思い知らされた。

哀しさがいや増しに増した。

祖母への思慕が道によって喚起されるとは思わなかった。

哀しさのスイッチは普段の生活のどこにあるのかわからないんだと知らされた一瞬だった。

#随筆 #エッセイ

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