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行い霊


 言霊というのは、言葉に魂が宿り、言った通りになってしまうことをいう。
 では、口に出さず自分があることをしたために、その行動に関わりの深い事件が起きてしまうことは何と呼ぶのだろう。
 言葉には出していないから言霊ではない。
 行いが事件を呼んだのであるから、行い霊おこないだまとでも呼ぶのだろうか。
 
 私の行動が「それ」を呼び寄せてしまいそうで、実行に踏み切れずにいることがある。
 礼服の購入だ。
 
 先週、祖母が体調を崩し、復調しないまま鼻からチューブで栄養をとる状態にまでなった。
 多少の認知機能の衰えはあったが、九十歳を過ぎてもまだまだ元気で、あの調子なら百歳まで生きられるのではないかと常々母と話していたのだけれど。
 それが急転直下で事態が転変し、百歳どころか来月、いや来週までもつかどうかという話になっている。
 昨日祖母を見舞った母は、帰って来るなり礼服の準備はあるかと私に訊いた。
 悲壮な口調ではなく、諦め切った淡々とした事務的な口振りだ。事態はそこまで迫っているわけだ。
 心の準備もなかったのだから、礼服の準備もまたなかった。
 
 成人する前は、学校の制服が礼服代わりだった。
 親戚付き合いも少なく、葬式に参加するほど深い仲の知人もいなかったため、礼服はいつか作ろうと思うままに今に至ってしまった。
 人の不幸にあう機会がそれだけ少なかったのはいいことなのだろうが、いざ出合ってしまうと不慣れのために即行動が起こせない。
 
 先週までは酷暑が続いていたのに、今日は窓の外の冷たい雨を見ながら暖房を点けた。
 体調にしても服装にしても、徐々に準備を整えつつ季節の変化に対応していくのが理想だけれど、世の中はそうそう人の意のままには進展しないものらしい。
 気候だってそうなのだから、人の生き死にも言わずもがなだろう。
 
 願わくは、礼服を買うことが行い霊となって、祖母の死を早めることがないよう。
 決断できないままにこの文章を書いて来たけれど、悪あがきもここまでにしなければ。
 
 紳士服店へ行ってきます。
 
 

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