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毎日がミステリーツアー

自閉症に限ったことじゃないよね

いつも長々しい文になるので今日は先に結論。

自閉症(発達障害)の支援の基本として、
「見通し」を持てるようにする
というのがあります。これはイロハのイ、で、見通し無しの支援というのはあり得ないです。

ここからどうなって、どれくらい時間がかかって、自分は何をして、どう過ごすか。

が、見通しです。

自閉症の特性として、
「(見えないものを)想像するのが苦手」
と言われます。

私たち健常者(とされる人たち)は、見えないものはある程度想像して補っています。

典型的な"見えないもの"は、「気持ち」と「時間」です。

このうち、「時間」に対する視覚支援が「見通し」と言ってもいいでしょう。

未来のことは分かりません。誰にも分かりません。

健常者も、見通しがなくなると不安定になります。

電車が遅れるとイライラします。
渋滞すると、イライラします。
飛行機が飛ばないとなると空港はパニックになります。

これは、見通しが立たないからです。想像ができないと、不安になるんです。

最近の乗換案内アプリやカーナビアプリは、電車の遅れている時間や復旧見込み、渋滞予測や渋滞を抜けるまでの時間まで表示されるものもあります。

それだけ、「見通し」を示すことにニーズがあるということです。

「渋滞を抜けるのに2時間です」と言われると、「ゲー!」と思いながらもトイレ休憩をどこでするか、に思考が移ります。

ゴール、完成形が見えること

どんなカーナビでも、ルートを検索するとまずスタートからゴールまでの経路が表示されます。
同時に距離や予想時間までも表示されます。
検索しただけでいきなり、
「左に曲がります」って、ルート案内を始めるカーナビはないでしょう。

料理番組やレシピ本もそうですね。完成形が先にあります。

いきなり材料ではなく、まずは完成形です。
ラジオでの料理番組が少ないのは、完成形が見えないことも要因でしょう。

プラモデルや組み立て式の家具もそう。
完成形がまずある。
その上で手順が示されている。

だから今がどの辺りだ、とか、どれくらいで完成する、材料にこれとこれが必要になる、と、見通しの足がかりになる訳です。

運動会の練習が苦手な人が多いのは、「完成形」が見えないからじゃないか、と、思っています。

個人的に音楽会の練習は苦ではありませんでした。体育より音楽の時間が好きだったということもあるでしょうが、
音楽会は完成形が最初にCDで分かるんですね。
「なるほど、こういう歌を歌うのか。こういう演奏をするのか。」
と。
すると、ゴールが分かっているから、今がどれくらいの段階なのかも見えるし、完成形に近づいているのも実感できる。

「こんなのがなくても出来るように」

最近は減った(と信じていますが)にしても、見通し支援、スケジュールなどを組むと二言目には「将来的に無くせるように」「無くてもできるように」と言われた時代がありました。

はて。
カーナビはなくなりましたかね。無くなるどころか、スマホと連動するなど、さらにリアルタイム化して精度も上がってますよね。

鉄道ダイヤしかり。レシピしかり。どんどん詳しくなります。

「昔はこんなもの無くても良かった」
「こんなのを使うと臨機応変さがなくなる」

なるほど。確かにプロドライバーなら地図も抜け道も頭に入っているかもしれない。
料理人はレシピがなくても作れるかもしれない。

でも、あって困るもんでもないでしょう。
むしろそれでハードルが下がって、
「出かけてみよう」とか「こんな料理を作ってみよう」と思えるのなら、そっちの方がいいじゃないですか。

「出かけてみよう」
「作ってみよう」
が、無い人が、見よう見まねでやってみようなんて思えるはずがないんです。

大学のシラバス

4月と10月、大学では「シラバス」というものが配られます。
配られる、といっても最近はデジタルですが、昔はちょっとした電話帳くらいの厚さのものが配られました。


シラバスには、
担当教員
曜日と時間
使用するテキスト
全(15回の)講義の予定
の他にも、
採点基準
レポートの内容
出欠の回数について
などが明記されています。

講義の見通しが持てる訳です。
その見通しによって、どの講義を受けるか、の判断基準にします。

ところが高校まではこれが無いんですね。
おかしな話だと思います。

「授業はナマモノだから…」
という声もあるでしょう。

もちろん、盛り上がったところは時間数を増やしたり、学校行事などで端折ったり、はあるでしょうが、
全体の予定がないものに、早いも遅いものない訳です。

鉄道が何分遅れかがリアルタイムで分かるのは、
ダイヤが盤石だから、です。

毎日がミステリーツアー

健常者(とされる人)は、おおよそ授業ではこういうことをするだろう、仮に答えられなくてもちょっと恥ずかしいだけで困りはしない、と、乱暴ながら見通しを立てている訳です。

この見通しなしに毎日の授業や生活が送られるというのは、毎日がミステリーツアーのようなものです。

ミステリーツアーというのは、旅行会社などの企画で集合地点と解散地点だけ公開されて、あとはどこに向かうのか、どれくらいの時間がかかるのか、どこで休憩するのか、を分からないままで組まれる旅行のこと。

よっぽどの旅行好きの人が、たまにミステリーツアーに参加するならともかく、
貴重なたまの休みにコストを割いて旅行するんですから、
旅程表のあるツアーが大半になっていますよね。

毎日の通勤列車がどの駅に止まるかわからない、何時につくかわからない、だと、誰もそんな鉄道会社は使いませんね。

そんな簡単なことなのに、
「言えば伝わるから」
「言った通りに対応できるように」
って。アホか、と。

(もうそういう人を探す方が難しいと信じてますが)
もし新学期、そういう言葉が学校や施設から出てきたら
「あ、この人は素人やな」
と思ってもらっていいと思います。

自閉症•発達障害と関わる場面で(そうじゃなくてもやねんけどな)見通し支援というのは、それくらいイロハのイな訳です。

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