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源氏物語を読みたい80代母のために 34


 いやーバスケのワールドカップ凄かったですね!強化試合からの熱戦の数々、驚きと熱い感動の嵐でした。あらためて男子バスケ日本代表、悲願の勝利からのパリ五輪出場決定、おめでとうございます!
 そんなわけですぐ書くつもりだった続きに、今ようやく取り掛かっている次第。盆休み中に読んだ本は「散華」だけではありません。より妄想を深化&充実させるがために読んだ本二冊:

「平安京の下級官人」倉本一宏 
 実はずっと前から積読のままだったのを、今夏ようやく消化。倉本氏は来年の大河ドラマ「光る君へ」の時代考証をつとめていらっしゃいます。
 倉本氏によれば、十世紀ごろの日本では正史や格式、儀式書の編纂がなく、代わりに各家で日記の記録と蓄積、私的な儀式書の編纂が求められたという(朝廷でも公的な記録として外記日記や殿上日記はあった)。こういったいわゆる「古記録」から平安京住民の生活や人生の実際の姿に迫ろうというのが、この本の試みである。
 ふむふむ。
 で。
 読み終えた感想:
「平安京って治安悪っ!上も下も不真面目すぎない?こんなんでよく日々の仕事成り立ってたよね?」
 でした(個人の意見です)。
 カッチリした身分制度の下で、少数の権力者に虐げられるばかりの哀れな中流下流貴族や庶民……というイメージは軽くぶっ壊される。仕事はサボるわ平気で遅刻するわ、隙あらば不法侵入&盗むわ、火をつけるわ、とヤバすぎる所業がこれでもかと出てくる。男性に限らず、宮中で働く女房ですらそんなのがいる。え、帝に対して超不敬にも程がないか?大丈夫?
 真面目で勤勉な日本人、じゃなかったんかーい。元はこんなにいい加減で,
鎌倉時代もビックリのヤバい奴らだったんかーい。などと思いかけるも、待て待て、日記に書き残すということはある程度珍しい出来事だったということで、日常茶飯事とまではいかなかったのでは?(希望的観測)。それにしても超レアとまではいえないボリュームではあるのだ。この時代の権力者が自分の周りを近い血によって繋ぎまくることに必死になっていたのも何だかわかる気がする。一族でも系統が違えば他人、まして階層の違う下々の者なんて信じられるわけもない。とにかく身の回りを固めねば命の危険!と。
 翻って源氏物語で描かれた世界を思い返すと、
「理想的」
 なのは主人公の光源氏のみならず、確固たる権威と秩序ある宮廷、先例に倣い滞りなく進行する儀式や行事、物わかりがよく思いやりある主人と忠実で働き者の家来といった緊密な主従関係、もそうである。そういう「ちゃんとした世界」の枠組みの中でのさまざまな「綻び」がドラマを生み、物語としての厚みを成す。
 何より源氏物語中では、出産時に母親が亡くなった事例は葵上と宇治十帖の八宮の妻の二件だけで幼い子供のそれは皆無。疫病の描写もない。だが平安時代の現実は、たとえ最高権力者の子弟であっても容赦ない。妊娠出産は一か八かの命がけ、乳幼児はいとも簡単に命を散らす。毎年のように蔓延する疫病は身分の差なく誰にでも襲いかかる。
 母や姉を早くに亡くし、夫も疫病で失った紫式部が、
「出産は危険だけれども大概は上手くいき、幼い子はすくすく元気に育っていく、流行り病のない世界」
 を作りあげた心持ちを考えるとなかなか切ない。

 さて次は、「散華」の元本でもあるコレ。いまはもう売っていないらしい、図書館で借りました。

「紫式部」清水好子 
 紫式部についての情報はあまりにも少ない。生年月日も実名も不明。具体的な資料としては「紫式部集」「紫式部日記」「源氏物語五十四帖」の三つのみ。「源氏物語」はフィクションだが、各所に自身の体験からの表現がみえる、ということで資料たりうるという判断である。
 良いですね。すごく良い(←えらそう)。
 さて、紫式部とはどういう人だったか。
 ネットでありがちな評価としては、よく清少納言と比較された上、
「ネクラでひきこもり体質」「陰湿」「意地悪」
 と散々である。
 しかし、この本から読み取れる紫式部は、
・姉と仲良し。(片違えに来た男からの文の返事を姉と共謀して考えた:この男が未来の夫・宣孝という説あり)
・女友達多く、よき相談相手として重宝されてた(紫式部集は恋愛より友情の歌が多い。姉の死後、妹を亡くした友人と姉妹になりましょうという約束をしたこともあり。恋愛相談っぽいやりとりもしてる)
・夫の他の妻の娘とも仲良し(父を喪った継娘の歌を単独で歌集に載せている)
……
 あれ?全然ネクラでも陰湿でもないぞ?
 無類の物語好きで自分でもアレコレ書いていたであろう紫式部は、生来の賢さに加え耳年増なところもあり、同輩のお悩みに対し肉親とはまた違った見方での助言が出来たのかもしれない。結婚が遅れたのも、女親を早くに亡くしてることが大きかっただけで、お堅すぎて無理だった、ということではない気がする。実際、源氏物語中でも「女親がいない娘の寄る辺なさ」は繰り返し描かれてる。妻の実家に男が通う「通い婚」という制度のせいもあるだろうけど、総じて平安の男親は「娘の行先を何とかしてやらねば」という意識が薄めなのよね。
 聡い紫式部である、父の越前国赴任の理由が決して
「父の書いた漢詩文に感激した天皇のみ心による」
 ものではないということもよく心得ていただろう。(清水氏は『(為時の)けっして優れているとはいえぬ句に、道長が感心するとは思われない』とバッサリ)為時の学識こそ本物にせよ、時の権力者道長の、何らかの政治的思惑による決定にはちがいないのだ。
 その道長と関係の深い一族に属する宣孝と以前から文のやりとりをしていた紫式部は、父について越前国へ行き一年半もの間を過ごすも、父の任期途中で単身帰京、結婚。
 長く不遇をかこっていた父は大国の国司となり、当面生活の心配はなくなった。自身も、道長のお覚えめでたい夫を得て、子も生まれ、実家でのんびり安定した生活を
 ……と思いきや、夫とはわずか数年で死に別れる。
 その後の紫式部はやたら
「『世を憂し』という気持ちに覆われる」。
 さて、この流れをどう考えるか。
 突然の思わぬ悲劇に対する自然な反応といえばそうだが、果たしてそれだけなのだろうか?
 こんなはずじゃなかった。
 私の人生は、こうなるはずじゃなかった。
 紫式部は、越前の地でいったい何を見聞きして、何を考えて、何を捨ててきたのだろう?
 選ばれなかった道の先にあるものは?
 清水氏は、
「紫式部が宣孝以外に生涯ただの一度も恋愛しなかったとは考えにくいが、越前国にいる間に他の誰かと何らかのかかわりがあったとも思えない」
 と仰る。確かに、宣孝は宋人に会いに越前に行こうかな(貴女に会いに行くよ)とまで言っているし、本当に結婚寸前のタイミングでの越前行きだったのだろう。しつこいようだが、別に越前行かずに結婚したってよかったのである。だが紫式部はそうしなかった。何かが引っかかっていて、向こうでその「引っかかり」を解いたのだ。その理由も経緯もまったく残されていないが、はっきりしているのは当たり障りのない歌二首のみがある、ということ。
 まるで
「越前国に対する思い入れは特にない」
 とでも言いたげなこの振舞い。これ自体が何かの答えになってはいないだろうか。
 というのも、清水氏もこの本の中でこう述べておられるのだ。
「(源氏が実父であることを知った帝が懊悩する場面を引いて)いくら歴史が事実を記録するものであるにしても、人々が秘し隠していることがなんで書き残されたりしよう。『たとひあらむにても』、たとえ事実があったにしても、歴史とは必ずしもそれを載せるとは限らないのだ、とは、歴史に対する正しい認識である」
「歴史は書きえないかもしれないが、物語はかようにその事実を伝えているではないか、源氏物語を見よ、ということになる」
「物語なればこそ、物語のほうにこそ、歴史の記しえぬ人生の真実が現わされるのだということを、作者は物語の作り方自体によって示そうとしている」
 書かれたものだけに囚われるな。書かれていないものにこそ思いを馳せてみよ。
 と言われてる気がしてこないか?
 ……と、ますます妄想膨らむばかりの夏の終わりである。まだ暑いけど。

 以上二冊、非常に読みやすく面白く、たいへん示唆に富んだ読書体験にございました。「光る君へ」の予習のひとつとしてもオススメ!です。是非お試しくださいまし。


余談。
 とはいえ紫式部は、「源氏物語」が作者そのもの、と思われることも避けたかったんじゃなかろうか。自分自身の体験からの表現であってもあくまで何気なくさり気なく、リアルに肉薄しつつ様々なフェイクやアレンジ入れてるっぽいし(前回参照)。
 日記の方で清少納言への悪口をはじめ朋輩の(主に外見的な)あけすけな批評をしてるのも、
「私は源氏物語の作者だけど、登場人物とは別だから!完璧では全然ないし、いい人でもない。こんな風に悪口いっちゃったり思っちゃったりもする、ただのゲスいオバサンよ★」
 みたいな、自虐めいた予防線だったりして。
 彼女が自身を「こう見られたい」「こうありたい」と思う姿になるような残し方をしたんだとしたら。源氏物語の作者としてのイメージ、に抗って一定の距離を保っていた、としたら。
 陰湿とは違うけれども、
「賢(かしこ)てなわん」
 人かもなあ紫式部。
 福井弁でいうところの、
「賢すぎて常人の気づかないところまで気づいちゃう、頭が回っちゃう人」
のこと(でいいのかな、母よ)。
 ちなみに方言ナビによると「てなわん」は
 生意気だ。小生意気だ。ずる賢い。生意気な。こざかしい。
 らしいが、
「賢てなわん」は、
 計算ずくで小ズルく立ち回る
のではなく、
「賢い」がゆえに悪気なく素で本質をグサーっと突いちゃって相手に大ダメージを与えがち、
というニュアンス。
 しかし果たして「賢てなわん」が本当に福井弁なのか、母特有の言い回しなのか、は謎である。
 ふー、また長くなっちゃった。
 本日もとりとめない駄文をお読みくださいましてありがとうございました。まだ続きます。

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「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。