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【学校教育#4】規律が先か?自由が先か?

最近の不登校問題の中でも特に言われているのが、「不登校の低学年化」です。
下のグラフの通り、かつては中学校がそのほとんどを占めていましたが、最近になって小学校も数が伸びています。小学校でも少し前までは高学年が多かったのですが、ここへ来て低学年の子どもが増えてきました。
その背景にはいったい何があるのでしょうか?

揺れる学校現場

低学年は規律重視のベテランの先生に

私が教員になった20年前は、「学級崩壊」という言葉が出始めた頃でした。その多くは高学年でした。
1980年代に吹き荒れた中学校・高校での校内暴力が、こわもての先生たちや社会の圧力により沈静化した代わりに、今度は小学校で学級崩壊として現れたような感じを私は受けています。
高学年で学級崩壊や対教師暴力・暴言があちこちで起きるものですから、学校側はその対策として次のようなことを考えたのです。
「教師の言うことを素直に聞く低学年のうちに、しっかりと規律を教えこもう。それができるベテランの先生を低学年に配置しよう」
まあ、これは表向きの理由で、ベテランの先生が高学年を持ちたがらなかったというのが裏の理由です(笑)。

低学年でも言うことを聞かなくなった

しかし、それでも問題解決とはならず、今度は学級崩壊の波が低学年にまで下りてきました。教師としては低学年のうちにしっかりと学校のルールや授業の受け方など、規律を教え込みたいのに、その指示に子どもが素直に従ってくれないのです。
職員室ではベテランの先生たちが「最近の親は家庭での教育ができていない」とか「あの子は発達障害じゃないかしら」という話によく花を咲かせていました。
文科省や教育委員会は、低学年に支援員の先生を配置するなどの対策を取りましたが、当然それでは根本的な解決にはなりません。

「小1プロブレム」。今度は幼稚園・保育園にもその波が

「小1プロブレム」という言葉を御存知でしょうか。保育園や幼稚園を卒園した後に、子どもたちが小学校での生活や雰囲気になかなか馴染めず、落ち着かない状態が数カ月続く状態のことを言います。
ベテランの先生や支援員の先生を配置しても解決しないこの問題に、今度は幼稚園や保育園にまで対策を求めるようになりました。

中央教育審議会「初等中等教育分科会」2021年7月8日

・生活・学習の基盤づくり
・数や文字への関心
・発達の把握、早期支援へつなぐ(発達障害)
・小学校教育に円滑に接続 

言っていることはごもっともなんですが、見方によっては「小学校が困っているから、困らないように早めに準備しておいてくれよ」とも受け取れませんか。

小学校の先取りで問題が解決するか

さあ、幼稚園や保育園にまでその波が押し寄せてきました。これで問題は解決するでしょうか。
答えはもちろん「NO」ですね。今度は「不登校の幼児化」が起きてしまいますよ。
せっかく今、目を輝かせて遊びに没頭している園児たちに、小学校で困るからと規律を教えたり、興味を抱いていない子にも数や文字を教えたりして、わざわざ目の輝きを失わせてどうするんでしょうか。

規律が先か?自由が先か?

これまでの日本の社会や学校教育

さて、表題の件ですが、これまで日本の社会や学校は、先にしっかりと規律を学んで、その上に自由があるという考え方できました。学校に入学したらまずは集団行動。就職してもまずは社会人のルールやマナーを叩き込まれます。
学校や部活動では上級生になってようやくある程度の自由が認められます。社会人でも3年ぐらいしてようやく自分の企画を出せるようになります。

しかし、この「規律→自由」の順番が、果たして本当によいと言えるのでしょうか?

私は、逆に「自由→規律」の順番がよいのではないかと思っています。

それは、規律は後からでも身に付けられるが、自由の中で生まれる好奇心や創造性は一度失ってしまうと、後から取り戻すのが難しいと思うからです。

やりたいことや好きなことが見つからない若者

あんなに目をキラキラさせて泥団子づくりや秘密基地づくりに没頭していた子どもが、小学校ではうつろな目をして黙って椅子に座っている。これはまさに子どもの好奇心や創造性が、規律重視の学校教育によって失われたという証拠ではないでしょうか。
これを高校まで続けるとすると、実に12年間続けることになるので、大学や社会に出てから「自分のやりたいことや好きなことを」「自分の個性を出せ」「世の中はクリエイティブな能力を求めている」と突然言われても、できるはずがありません。

学級崩壊・不登校の低学年化を、学校が変わるきっかけに

授業中に騒いで回る。教員の指示を聞かない。反発する。「学校おもしろくない」と言う。学校に来なくなる。
これらは確かに学校からすると頭を抱えたくなる問題ですが、実は、そうやって彼らは今の日本社会や学校に対してメッセージを送っているのです。彼らは必死に「自分の好奇心や創造性をつぶさないでくれ。自由を奪わないでくれ。」というメッセージを送っているのです。
その感情の表出の仕方としては、もちろんよい方法とは言えませんが、彼らはまだ子どもです。そうするしか術をもたないのです。

おわりに

1980年代に起きた中学校・高校での問題行動は一旦沈静化し、解決したように見えましたが、今こうして小学校で学級崩壊や不登校という形で起きているということは、本質的に解決できていなかったということです。
今度は大人たちがただ力ずくで抑え込むのではなく、しっかりと子どもの声に耳を傾け、「よりよい教育とは何か」を真剣に考え、議論することで本質的な解決に向かうことを望みます。

本日も長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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