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モンゴルで初めてピアスをあけてから

「自分の身体を傷つけてまでおしゃれをしようとするなんて、信じられない」
初めてピアスの穴をあけた私に向けられた言葉に間髪入れず、次の言葉が発せられた。
「日本人のくせに、身体に穴をあけるなんて。親御さんが悲しみますよ」

私が耳にピアスの穴を開けたのは2011年の冬、もうすぐ40代に届くか届かないかという歳だった。元々ピアスの穴を開けてみたかった私はその時、モンゴルに住んでいた。零下30度を下回り、からっからに乾燥するモンゴルの冬ならば、ピアスの穴をあけても化膿する可能性が少ないと考えて、その時一緒にいた看護師にあけてもらった。

「日本人のくせに」と言ったのは日本人だ。

モンゴル人の友人とはいつも、
「あなたはどうして耳にピアスの穴をあけていないの?悪魔にさらわれるって、子供の頃に言われなかった?」
という風に、日本との文化の違いをお互い面白がって笑いながら話していた。

モンゴルでは、民間伝承にこんな話がある。
悪魔は小さな子供が好きで、いつもさらおうと狙っている。
可愛い名前で呼ぶと、悪魔に「可愛い子供がいる」と気づかれるから、名づけはあまりよろしくないものにする。
「名無し」とか、「悪いやつ」とか、そんな意味合いの名前を仮に付ける習慣があるのだ。また子供への声掛けも、「ぶさいくねぇ~」とか、「ひどい顔」とすれば、悪魔たちはさらうに値しない子供と思い去っていき、子供が守られるのだと。
それに加えて、悪魔たちは子供の身体を乗っ取ろうと狙っている。しかし、耳にピアスの穴があいていれば、そこをすり抜けてしまってうまく子供の身体を乗っ取れない。お守りになるピアスを付けていればなおのこと安全なのだ、と。
「だから、モンゴルでは子供が小さいころに耳にピアスの穴をあけるのよ」とモンゴル人たちが教えてくれた。

両耳にひとつづつピアスの穴をあけた私は休み明け職場へ向かい、そのモンゴル人の友人に伝えた。
「ピアスの穴をあけたよ!もう大人だけど、これで私は悪魔にはさらわれない!」と。
すると、
「え?なんで2つなの?3つあけないと縁起悪いわよ」
と返ってきた。

うかつだった。
日本との数字の価値観の違いをすっかり忘れていた。
モンゴルでは奇数が良い数字で、1より3が、3より9が良い数字と言われている(5,7も良い数字だが、3の3倍の9がとても良い数なのだそうだ)。2は、分かれてしまうからよろしくない数字らしい。
電話番号なども、「9」から始まる番号が良いとされていた。

「よし、ならばもう一つあけよう」
モンゴルの風習を盾にして、私は三つ目のピアスの穴をあけた。

ピアスだとフック式ならば穴にひっかけるだけで落ちないし、スタッド式だとホストを穴に通して裏側のキャッチで留めると安定する。イヤリングだと挟んだ金属のバネが強いと耳が痛くなるのだが、ピアスだとその心配があまりない。アクセサリーへのストレスがなくなった。

ピアスって、楽しいじゃないか!
そうして私はモンゴルでピアスライフを楽しんだ。
誰も咎めないし、むしろピアスの穴が開いているほうがマジョリティな世界だった。

日本に戻ってきて冒頭の言葉を思い出した。
「日本人のくせに、身体に穴をあけるなんて。親御さんが悲しみますよ」という言葉だ。

うちの親御さんは私の帰国をうれしがることもなく、悲しむこともなく、ノーリアクションだった。ピアスの穴があいていることよりも、子供がきちんとした「普通」の人生を送らねばならないことにばかり注力して気を病んでいるようだった。ピアスをあけたことで、「親御さんが悲しみますよ」という言葉はうちには当てはまらない。不幸中の幸いだ。

さて、では前半の「日本人のくせに、身体に穴をあけるなんて。」という言葉。
確かに、昭和生まれの団塊ジュニア世代の私の子供の頃は、「ピアスは不良があけるもの」というイメージが先行していた。しかし大人になってから、ファッション雑誌や身近な女性たちのおしゃれを見ると、ピアスはアクセサリーの一つとして使用されており、悪いイメージは勝手な思い込みだったことを知る。

「日本にピアスの穴をあける風習ってなかったのかな?」
そんな疑問が湧いてきたとき、博物館の縄文展を見に行く機会があった。
目的は縄文土器を見に行くことだったのだが、思いもかけずこの疑問を解消する展示に出会った。
『巫女やシャーマンなどが装飾していた耳飾り』
縄文時代の巫女やシャーマンが耳に穴をあけて、かなり大きめのピアスを身に着けていたようだった。使用見本の展示もなされていた。

「縄文時代は、巫女やシャーマンがピアスを付けていたのか!」
衝撃だった。日本にも、耳にピアスをする風習があったのだ。

そして、ピアスをあけてから行く海外旅行で気が付いた。
お土産物屋さんに必ずピアスがあるのだ。
ロシア、タイ、ラオス、台湾、タンザニア、キューバ、メキシコ。
それぞれの国の伝統工芸や、カラフルなデザイン、その国でしか採れない鉱物など、イヤリングを探す方が難しい。
ピアスをあける風習は、世界中にあるのだ。

なぁ~んだ。ピアスって、世界の中じゃファッションとしてマジョリティではないか。いつかまた日本人にピアスの穴のことを咎められたとき、「世界中、みんなしてますよ」と言っても納得してくれないだろうから、「私、日本人の起源、縄文人のシャーマン目指してますんで」と言おう。

その言葉を使うシーンを妄想しながらピアスをして生活してきたが、時代は平成を超え令和になって、ピアスを身に着けることはフツーになって、今のところ使ったことはない。

(おわり)

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