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議論の後の行動がその人の器量を決める

 何かやるとき、どうやってやろうかってなるときあるでしょ。そのとき、お互いが、もしくはチームのメンバーがこうしたほうがいいのでは、いやいや、ああしたほうがいいのではと意見のやりとりが起こりますよね。この状態私はとても好きなんです建設的だから。

 例えば椅子を作ろうとしていて、足を丸にするほうがいいか角にするほうがいいか意見が分かれたとします。丸がいいと主張する人は丸のメリットを存分に伝え、同時に角が駄目な理由も言ってきます。逆もしかりで、角推しの人は何故角がいいのか言いまくり始めます。

 議論は激しくかわされ、喧々諤々やったあと色々考えて丸になったとします。ちなみに私は角を推していたとします。散々やったあとなので、私は納得して丸を推すことに決めました。総裁選のあとと同じです。負けた人は党のために決まったリーダーについていきます。

 私も当然その考えなのですが、丸側がうざいのです。それでいくってきまったのに、まだ丸のよさを話しています。そして、あろうことか敗者に弱り目に祟り目が如く、角が何故あかんかを言ってきます。いやいや、もうしってる。だから丸で言いって言ってるやんとしても、操さん、やっぱりあかんで角は、かどでスネ削られやんって言ってきます。

 もうわかったよ。丸のほうがむしろいいと今は思っていると言っているのに、それでも、やっぱり丸やで、丸はこんなにいいのだと言ってきます。きっと自信がないのだと思います。いや、丸に決まったとたん、完成してやっぱり角のほうがよかったなってなったときに責任とらなあかんとひるみだしているのかもしれません。

 こういうこと実はよくあって、めちゃめんどくさいのです。きっと私のワガママだとは思うのですが、戦いが終わったらノーサイドでプロジェクト進めようぜってなるんです。自信ないんやったら意見を推すな。相手を下げるな。

 勝負に勝ったのなら敗者をたたえ堂々と生きよ。それがきっとかっこいいから。

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