賛否両論ではなく着眼点こそ大事なこと

世の中に賛否両論が巻き起こる物事ほど下らない、どうでもいいことはない。例えば安倍晋三の国葬など、やってもやらなくても安倍氏の関係者ではない庶民にはなんの関係もないはずだ。それなのに、すごい剣幕で反対したり賛成したりする人がいるのは理解に苦しむ。

そもそもだ、賛否両論が巻き起こるということは紙一重で誰かは賛成し、誰かは反対するということ。どちらにしてもたいした違いではないからこそ、反対派と賛成派が出てくるのである。

私は皆様には、是非が問われる問題や議題が出てきたときに、賛成派や反対派と同じレベルに立つことはおすすめしない。「賛成です、なぜなら〇〇だからです。」「反対です、なぜなら〇〇だからです。」という定型文でものを考えることはおすすめしない。このような議論は全く時間の無駄でしかなく、建設的なことは何もない。ひとたび彼らと同じレベルにハマってしまえば思考力の減退を招き、枠組みの中でしかものを考えなくなってしまう。

大事なのは枠組みそのものを考えることだ。私たちは様々な枠組みの中で生きている。仕組みのわからない世の中で与えられた情報だけにしがみついていても世の中を動かしている枠組みの正体は見えてこない。

まずすべきことは反対や賛成ではない。議論や議題の前提から考えてみる。議論の目的は?議題は誰が何のために提示した?まずはそれがわからなければ、いくら意見を交わそうが、戦わせようが時間の無駄である。目的意識を持つためには枠組みから考えていかなければならない。

そして場合によっては、もっと大事な議題が見過ごされているのではないか、という考えに至ることもある。あるいは、そういう賛否両論の議題を持ちかけてきた人間を信用しないほうがいいこともある。漁夫の利は有名な故事だ。鳥と貝が互いに争って、お互いに噛み付いて離さなかったところ、漁師がやってきて両方ともゲットしてしまったという話である。

右翼、左翼。夫婦別姓、同姓。女系天皇、男系天皇。フェミニズム、男尊女卑。世の中には賛否両論の議題を持ちかけてくる人々がいる。彼らは私たちに世の中の枠組みを見せまいと頑張っているようだ。賛成派に説得力を持たせたり、反対派に説得力を持たせたり、そんなことに一生懸命になっては彼らの思う壺だ。

そんなことに時間を費やすなら、自分は何を知らないのか、何を知るべきなのか、どんな前提を知ることができればもっと良い考えが浮かぶのかということに頭を使うべきである。所詮、賛否両論は漁夫の利である。漁師の意図を察することができなければとって食われるのみである。



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