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たまよさん

中野駅のホームで電車を待っていたら、94歳のおばあさんに話しかけられた。

『この電車は吉祥寺にとまる?』

『止まりますよ』

名はたまよと言うらしい。(うまく聞き取れなかったのでもしかしたらたまおさんだったのかもしれないが)

たまよさんは何回『吉祥寺にこの電車はとまりますよ。10分後に来ます』と言っても聞きなおしてきた。

『良いお天気ね、あなたはこれからお仕事?』

『そうですね。私はこれから友達に会うんです。』

『あら、良いわね〜。』

基本的に私は、おじいさん、おばあさんに話しかけられたら優しく接することにしている。いっこうに先が見えないまったりとした会話は心に陽だまりを落としてくれる。たまよさんは、唇に薄桃色の紅をつけていて、手編み(?)の帽子を被っていた。歳をとってもお洒落は忘れないのだそう。

『良いお天気ね、あなたはこれからお仕事?』

同じ会話が4回ほどリピートされた時、ふと、たまよさんが薄水色の空を見ながら

『今日は空が近いから連れていってくれないかねぇ』

と言った。

私は空が近いと感じた事はない。

94年の歳月を生きると、空が近づいてくることが解るようになるのだろうか?

『ああ、はやく連れていってくれないかねぇ』

ため息を吐くたまよさんがいたたまれなくなってしまい....

『でも、凄いじゃないですか。94歳まで元気って。たまよさん今、元気じゃないですか?』

と、私は、なんとかこの空気を変えようと、まるで中身のない、老人との会話のテンプレート通りとも言える台詞を発してしまった。

『えぇ?あなたご両親はご健在?私は自分の両親が90歳まで生きたけど、両親が逝った時、泣かなかったわ』

たまよさんは、そんな寂しいことを微笑みながら言った。『だから、息子達にはそう思われるのはやぁよ』と、自分の旅立ちは慈しんで欲しそうだった。自分が逝くときは泣くくらい寂しいと思われたいと、歳をとると思うのだろうか。否、たまよさんの言葉の意図はそういうことではないのかもしれない。

27歳、音楽をやりながらその日暮らし、刹那的に生きている私としては全くその感覚はわからなかったが、確かに、自分が逝ったら少しは誰かに寂しがられたいかもしれない。


なんて返したら良いかわからず私が言葉に詰まっていると、

『灰になって世界を飛びまわりたいの。』

『それが私の夢だ』とたまよさんが言った。何故それが夢なのか尋ねると『灰になって世界を飛び回れるようになったら、いつでも、誰にでも会えるようになるし、行きたくても行けなかった場所にも行けるようになるから』だそう。

たまよさんは一度も『死ぬ』ということを『死にたい』という気持ちを『死』という言葉をつかって表現しなかった。

たまよさんはその時が来たら空が近づいて来て、連れていってくれるから灰になることを夢見ているのだ。お迎えが来るその日を丁寧に暮らしながら待っているのだ。

たまよさんの手を引いて、

ホームに着いた11:58分発の電車に乗った。

『空が近づいてきたと思ったらまた遠くなって、最近毎日その繰り返しなのよ。困っちゃうわ』

たまよさんはまたため息を吐くと優先席にゆっくりと腰掛け『ねぇ、この電車、吉祥寺にはとまる?』とまた訪ねてきた。

『とまりますよ。西荻窪の次が吉祥寺です』と私が言うと

『そう、ありがとう。あら、あなた、瞳が琥珀の石みたいで綺麗ね』

とたまよさんは微笑んだ。

私はたまよさんに『西荻窪の次が吉祥寺ですからね』ともう一度伝えて、電車を降りた。

たまよさんは吉祥寺に着けたのだろうか。

きっとたまよさんは吉祥寺に着く頃には私のことを忘れてしまっているだろう。

そしてまた『ねぇ、この電車、吉祥寺にはとまる?』と、私が電車を降りて数分後に誰かに尋ねるのだろう。

友達に会う前に、

高円寺駅のホームで少し泣いた。



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