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50歳手前のおばさんの一生懸命~私たちだって若者の時があった~

 友人に、もう何年かで50歳やし、と言われて「えっ、○○ちゃん、もう50歳になるん?!」と驚いた。
 
 いやいやいや、彼女と私は中学からの同級生だ。私ももう何年かで50になるのだ。自分についてはわかっていて違和感なくても、あの中学生の頃の友達が50! とかびっくりする。
 

 その友達ではないのだけど、別の友達が、職場で泣いてしまった。やはり中学生からの友人で同級生。久しぶりの仕事で戸惑ったとか、その瞬間イジメられていたとかではない。ずっと仕事をしてきた人だ。それでもいっぱいいっぱいになっちゃって、泣いちゃったのだ。

 50手前のおばさんが、職場で皆の前で喋っている時に泣く。

 どうでしょう? イタいですか? 

 客観的に見たら、イタいかもしれない。例えば私がその立場なら「イタいわ私」って思うだろう。親しくしているその彼女が「イタいよね」と言ってきたから「イタいかもね!」と笑った。だって、30くらいの私がその場にいたなら、きっと戸惑う。

 でも私は親しい友達だからと、ちょっとひいき目に見たとしても、すごく愛おしくなった。
 いきさつはそこそこ聞いていて、その内容はどう考えても歯がゆくも苛立たしい。彼女に辛かったね、大変だったねと感情を共にする。試行錯誤しながら転職を重ね、ずっと仕事を続けてきた彼女。

 若い人たちから見たら、50歳くらいのおばさんが皆の前で泣いているのがイタいとしても。
 50歳近くなっているから見えている景色がある。
 これまでの様々な場面でのやり取りや重ねてきた仕事、人との関わり方、自分なりの今の段階でのやり方、感情、さまざまな経験から、感じるものがあるのだ。イタくたって、責任を持って誠実に仕事してきた彼女がどんな思いで泣いてしまったか。

 多分、その場に私がいたら、親しくなくても「頑張ってるんだよなあ」って思って、ぐしゅっと一緒に泣いちゃいそう。親しい友達なら、なおさら泣いちゃう。

 その彼女について、ずっと書きたかったのだけど、今回は一部だけ。

 彼女とは度々連絡を取っているのだけど、ちょっと前に「あっそう言えばそうだった」と思い出したことがある。


 テレビで「アダムス・ファミリー」をやっていたのを観て、彼女と一緒に観に行ったなあと思い出したのだ。

 彼女をZちゃんとしましょう。

 Zちゃんと思い出深いのは「星の王子ニューヨークへ行く」。
 エディ・マーフィー演じるどこぞの王様が、自由の身になったのが嬉しくて、ニューヨークのバルコニーで「○○ユー!」と、Fワードを連発する。
 その様子がとっても楽しそうなのと、観客もクスクス笑うので、Zちゃんに「○○ってなに?」とその場で聞いた。
 帰国子女のくせに知らなかったのだ。
「後で教えてあげるから」
 コソコソと、笑いながら小声で言う彼女の雰囲気で何となく察した。

 彼女と「ラマン」を観たこともある。
 どんな映画かは、どうしても知りたい方は、どうぞ勝手に調べて下さい。うら若き女子大生が大画面で観るには、ちょっと刺激が強かった。

 「すごかった……」
 二人して疲労困憊で映画館を出てきたけど、しばらくすると、Zちゃんは、「この前、‘氷の微笑’観てきた」と、実演交えながら内容を教えてくれて二人で笑った。


 そして彼女と「アダムス・ファミリー」を観に行った後のこと。

 当時はああいうテイストの映画が、私もけっこう平気だったのだ。

 別の友人が、「あれ面白いか?」と言うので、映画をただ楽しんできた私はちょっとムッとして黙った。するとZちゃんが、すぐ「めっちゃ面白かったわ!」と刃向かった。Zちゃんはそういう子なのだ。

 そしておもむろに「ダラララララ ダラララララ ダラララララ…」と、アダムス・ファミリーのテーマソングを歌い出した。

 でも歌っている途中で「何それ、ドラえもんの歌やん」と笑われ、「ちゃうわ!」とツッコミ入れつつ、「ダラララララ」と自分で歌ってみて、その友人と途中からドラえもんの曲に変えていく遊びを楽しんでいた。
 あまりに繰り返すので、その後も「アダムス・ファミリー」というキーワードが出てくる度(どんな会話だ)、2人は歌い出していた。

 横にいる私は
「やめて。アダムス・ファミリーが歌えなくなる!」
と笑い転げるばかり。

 今も、アダムス・ファミリーのテーマソングを歌おうとすると、不安定さでとても怪しい。油断すると、すぐ「あんなこと良いな、できたら良いな」と続けてしまう。


 彼女との映画を観たエピソードは一度書いた気がするけど、「アダムス・ファミリー」を観て改めて書いてみた。

 そしてもうあれは30年くらい前の話なのだ。と、もう何年かで50歳になる自分たちを改めて実感して。

 今も大好きな、楽しい友人なのだ。

※似たような題材が続いてしまい、申し訳ないですが、実は、映画「ロケットマン」の余韻をいまだ引きずっています。その後、他の映画を何本か観ているのですが、どうしても。「友達」のことばかり考えてしまう。近々、気軽に山越えできるようになったら(雨の影響で山越えは心細くて)「ジョーカー」観るだろうから、そうなったらまた内容がそういう方にばかり引っ張られるかと思います。 



#エッセイ #友人 #50歳 #同級生 #映画 #30年ほど前 #アダムス・ファミリー #ドラえもん

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。