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大笑いする楽しさを、生のライブで存分に

 リモートで友達と話していても、会って話した時の満足感とはちがう。
 ささいな表情の変化を感じられるし、それに合わせてえらぶ言葉もなんとなく変化する。
 話す時の息づかいやそれによる会話のタイミングなども、ほぼ無意識に感じているようだ。言いたいことを汲んで会話を続けても「あっそうじゃなくて」と笑いながら否定できるのも含めて、会って話す方が爽快で楽しく、お互いをよく感じられる。

 ではテレビやパソコンの画面でライブを見るのと、目の前でライブを見るのと、何がちがうのだろう。
 やっぱり息遣いやこまかな表情の変化がよく見えるのだろうか。

 東京03の単独ライブに、今年も行けた。
 前回は体調悪すぎて断念し、夫が一人で行く羽目になったので、今回は気をつけて臨んだ。

 東京03の単独ライブを観るのはリモートライブ1回を含めると、4回目。

 彼らの魅力はやっぱり日常の中のあるあるや、すごくちっちゃな違和感を笑いにしてくれる。そこには演技力も大事だし、間と表情、声の調子、その場の空気など、とても大切にしていると思う。お笑いってそういうものなのかもしれないけど。
 日常の中でも、すぐ思い浮かぶ「あるある」じゃなくて、「そう言えば」で掘り下げられるすんごいささいなあるあるを広げてくれる。すんごいささいなのに、心当たりがあってその演技力で笑えてしまう。じわじわ来るクスクス笑いに爆笑が混じっていく。

 そして最後にいつも泣きそうになるのは何だろう。

 角田の曲で毎回泣きそうになってしまう。
 別に感動的に泣かせるようにしているわけじゃないのに。笑える歌詞なのに。
 ちょっと小心者で、ささいなことを気にしたり、日常を当たり前に真面目に生きている人が、うまくいかないよねって歌詞。だいたいいつもそう。テーマによって少しずつ変化はしているけど、地味に暮らして、大きく目立たなくて良い私みたいな人たちへの応援賛歌に聴こえてしまうのかな。
 たとえば今回は

家帰り風呂入りぐっすり眠れば
忘れると思いきや まだちょっと靄(もや)ついてる

寄り添いたければ ただ寄り添えばいい
それから何か 見返り望むなら
多分 期待は超えやしないさ

(「寄り添い割りを食った」~寄り添って割食ってエンディングテーマより~)

 とか。心の中の言葉を表現してくれて人間くさい。

 スマートに生きられたら良いけどうまくいかないよね。心には欲もあるし、イヤな気持ちもあるし、どうしても好きになれない人もいて。それでもより良い自分でいようとしているんだよね。ちょっと人の心に寄り添おうと思ったのに、うまくいかなかった。みんなそんなもんだよね。

 そうやって歌詞自体がよりそってくれている。
 笑かしてくれたその日のライブのネタを思い出しながらその曲を聴いてまた笑い、そして泣きたくなる。
 

 ところがね。こんなにお気に入りの東京03ライブでも、2年前くらいのリモートで観た時、あろうことか私はうたたねしてしまった。夫も息子もその時横にいて、無駄にはなっていなかったけど、気持ちとしてはもったいなかった。

 画面の大きさ、観る範囲も大事なのかもしれないし、臨場感て大事。って、今回改めて感じた。
 ドタバタする足音が慌てた感じを出すし、自分が見たい側の表情や反応も確認できる。そしてちゃんとぬかりがなくて笑えてしまう。もれ出る空気感もあるし、あとはみんなで笑っている幸せってきっとあるんだと思う。どんどん笑いが大きくなってきてそのうち皆で爆笑しちゃう空気を共有する楽しさ。

 自分が参加するリモートでの会話でも雰囲気が全部は伝わりにくいけど、リモートライブだともっと外側から眺める感じになってしまうのよね。

 空気感を存分に楽しみたいから、できるなら生で目の前で観れる方が良い。

 来年もチケット取れると良いなあ~。


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