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日本語を教える成り行きになって

 初めてスリランカ人に会ったのは、高校生の頃。兄の通っていた大学で友達ができたから招待したいと言う。一緒に写真におさまったけど、どんな話をしたか兄からどんな人だと聞かされたかまったく覚えていない。
 ただちょっと珍しかった。兄が彼の料理を食べて、あまりの刺激の強さに直後に「ちょっと眠らせて」と横になった話は聞いた。

 その次の記憶は、夫が仕事で面倒を見たスリランカ人が、母国に帰る時。ご両親がわざわざやってきて私たち家族3人をご馳走に招待してくださった。
 私は当時もうすでに辛い物がそれほど食べられなくなっていたし、息子もまだ10歳くらいだったので、夫が、「辛さを赤ちゃん用くらいのレベルにして」と頼んでいてくれた。
 楽しいひと時だったけど、少し緊張した。

 その後、何人かいらしたけど、印象的なのはMCU(マーベルシネマティックユニバース)作品が好きな子。夫と時々、仕事以外の話で盛り上がるようで、三人で映画館まで観に行くことになった。何度か。道中、話を聞いていると、ご両親が映画好きらしく、私たちが子供の頃に観たようなハリウッド映画まで知っていた。
 お国柄、そういうのはあまり観ないのではと勝手に思っていたし、スリランカにいる友達たちと国内旅行している写真を見せてもらって驚いた。表情で伸び伸びしているのがわかり、どこの国も若い人たちはエネルギーにあふれているのだなと嬉しくなった。

 今までのスリランカ人との関わりでなんとなくイメージができていたので、この前、別のスリランカ人のご夫妻に招待された時、気軽な気持ちで行った。

 ダンナさんは何年か前から日本で暮らしていたけど、車がないのでこの田舎街でコロナ禍、行動範囲が広くなくほとんど日本語が話せない。少しだけ日本語を教えようとしたことはあるけど、私の更年期症状がひどくてストレスに感じてきたことと、やはり対面がはばかられたため。リモートで教える、教わるほど熱意もお互いになくて。
 収入などの面からようやく何年かぶりに奥さまと一緒に暮らせるとのことで、半年ほど前に奥さまが引っ越してきた。

 ダンナさんは英語に不自由しないようだけど、奥さまの英語は私より少し語彙力がある程度。四人で会話する時に日本語で夫に「これってなんていう単語だっけ」と夫に聞いたり、スリランカのシンハラ語がご夫婦で交わされながら(きっと「これってなんていう単語だっけ」と聞いている流れ)、皆でワイワイして一つの会話を成立させる大変さ。いや賑やかだけど大変。

 最後には、二人それぞれに土下座みたいな挨拶をされ、夫も私も「いやいやいやいやいやちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと」とめっちゃ恐縮した。
 敬意をこめてそういう挨拶があるらしい。おおいにうろたえて、帰りの車の中、夫も私も「どうしようかと思った!」「どこかの王にでもなったかと思った!」と大さわぎになった。
 でもお二人はその挨拶に象徴されるように、とても伝統やふるさとの文化を大切にしてらっしゃる方たちなのだ。

 どうも奥さまが日本語を教えてほしいそう。むしろそれをお願いするために招待したようなものだった。

 いいよと安請け合いしたけど、ちょっと待って。なんだか切実だと感じたし、お別れの挨拶でその気持ちの重たさを受け取ったような気がした。

 私が日本語講師養成講座を受けたのは、25年~30年ほど前。ちゃんとした資格は取ったことがなく、修了証ばかりが3枚ある。実習は一度だけで、経験はほぼない。個人的に授業とも言えないお楽しみレッスンをしたくらい。インターナショナルスクールで国語を教えたけど、ほんの数か月だし、子供たちは基本的に日本語が話せて書けた。

 ご招待から帰宅後、昔のテキストを出してきてノートを見る。というか、ノートがなくてあせった! 必死で探し、かろうじて残っていた一冊をすがるように見る。
 読み込む。

 ……。

 何書いてるかわからへーん!(おぼえてへーん!!)

 天を仰ぎながら、じりじり眉間にシワが寄ってしまう。
 メールでとりあえず最初のレッスンの日を決めようとする。呼び方は「かせみさん」で良いよ~。と気軽に書いた。

 これがまちがいだった。いや結果的には良かったのかもしれないけど、私が軽率すぎた。

 ここから「さん付け」の概念について、メールで交わすことになる。
 英語で。

 待って。私、帰国子女だし25歳頃に1年半ほどニュージャージーに暮らしたけど、英語書くのとか全然ストレスだから。発音はしたくなるけど、書くとか読むとかは全然したくならないから!

 頭を抱えながら知っている単語で英文を考え、伝える。何往復かしているうちに、すんごいストレスになって、何往復目かにGoogle翻訳を使う。
 「今回からGoogle翻訳に頼っています!」と書くと「大丈夫、私も夫に頼っています!」と返事。

 そっかそっか。

 ……えっ。

 ダンナさんにこのやり取り読まれてるのー!

 かわせみさんとこは、奥さんホントに英語が得意じゃないのね。そして「先生」と呼ぶか「さん」付けするかでめっちゃもめてるやん。
 て、バレてしまう。恥ずかしいーーー!!

 そう。
 めっちゃもめてしまった。
 彼女が頑なに「センセイ」と呼びたいと言う。
 私は相応しいほどに勉強してきているのではないし、一対一で適度な友人関係を望んでもいそうだから、「さん」で充分敬意は伝わるのよ。と伝える。いえね、別に「センセイ」と呼んでかまわないのよ。かまわないけど、あまりにこっぱずかしいレベルだ。
 大勢いたら、それぞれとの関係性を考えるのが大変だからまとめて「センセイ」でも良いだろうけど。それに子供が相手なら子供にとっても呼びやすいだろうから良いけども。

 ーなどと書いたのだけど「センセイと呼ばないと罪悪感がある」と書かれてしまい。「いやいや、センセイと呼びたいのなら良いのですよ」と重ねて伝えた。
 「さん」についての概念が日本文化を知る最初のレッスンになりましたね。うふ。と伝えると「そうですね! ありがとうございます」と返ってきた。
 その後、彼女はその時その時で呼びたいようにすると書いていた。自分たちの文化に固執せず、日本の文化も知りたいからと書いてくれてホッとした。もうそれだけでグッときた。ちょっとは思いが伝わったのだ。

 中国人の友人に、その話をすると「なるほどね~」と大笑いされた。
 「でも何かを教えてもらったら、その人にとってはセンセイだと思いますよ」と言う。彼女も妥協して「さん付け」してくれたのだと知る。そっかアジアの考え方なのだよね。先生と生徒、年長者にとても意識的。
 ……でも中国人の彼女は以前、私に「ちゃん」付けで呼んで良いかを聞いてきたけどね。
 10歳も下の人からの「ちゃん」付けはちょっと恥ずかしいから下の名前に「さん」で。私もアナタのこと下の名前にさん付けするから、と言ってそのままになっている。その彼女に関してはめちゃくちゃフレンドリーで率直なので、そういう話も気軽。

 とにかくやっと落ち着いた。

 疲れた。

 先が思いやられる。

 気持ちや身体に負担にならない程度だけど、ちょっと頑張ってみます。
 ええと近々本屋に行かないといけないな。

※その後レッスンを始めるにあたって、彼女と少し話をしてきました。楽しかったです。


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。