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フラットに自分を評価する知性

 ここnoteで、色々な年代の文章を読む機会があるけど、私より若い人たちの方が多いみたいだ。私の年代とそれ以上の方々の文章を読むことはあるけど、割合で言えば少なめの印象。そしてそういった方々の文章は、だいぶ迷いなく割り切れているとか、もうこれでどうぞ、と差し出されているような、完成されている気がします。

 で、私はと言えば、自分の文章にはいまだ自信がなく。
 ということを書くと、自信がないということも、実は知性が低いのだとどこかで目にしたことを思い出す。ツイッターだっけな。だとしたら誰のだっけな。
 過剰な自信も知性がないことの表れであることは、おそらく誰にもよくわかることだろう。
 でもそれより、自分の自信を過小評価することが知性が低いというのは、なるほどなあ、それはそうじゃないかもしれないけど、そうかもしれないなあと読みながらウウム。と考えさせられた。

 例えば私の英語力のことを考えてみる。私は帰国子女なのだが、英語に関しては、それほど喋れない。発音やイントネーション、リズムは明らかに再現性が高いのだけど、だからと言って、母語として話しているネイティブにかなうわけがない。でも帰国子女らしい発音はしていると思う。それも幼少期住んでいた頃の発音だ。高校生以降に現地で暮らして身につけた発音の人とも、聴いていて違いがわかる。
 だけど、発音が良くたってメリット、そんなないです。
 英語の発音なんて、各国のなまりが出て良いんです。夫はバリバリのオリエンタル訛りで、私よりずっと話せる。声も大きい。ハッキリとした主張が好まれるからそっちの方が断然暮らしやすいのだ。


 大事なのは、伝えようとする一生懸命な気持ちと、声の大きさである。発音が良くないからと話さない人はもったいない。私は発音が良いのに話せないんだから、これももったいない。


 その点、ちゃんと勉強を怠らなかった人たちは、それが無駄にはならないことをよく知っておいてほしい。日本の英語教育は文法重視で無駄なように思えるけど、それを現地で生かせることは充分にある。どうぞしっかりと勉強して、頭に残して下さい。

 ということを、全然勉強しなかった私は強く主張する。ちゃんとしておけばと、大人になってから再びニュージャージー行った時に何度悔やんだだろう。私の幼少期の英語力は、日本で勉強する英語の中学二年生いっぱいくらいまでをカバーしていたため、英語の授業がつまらなかったし、テスト勉強もしなくても点数がとれていた。そして中学三年の半ば。突然点数がとれなくなった。いまさらどのように勉強したら良いのかわからなくて、誰にも相談できず、あっという間に取り残されていった。

 みんな、勉強はちゃんとしましょう

 「話せないんですよ」も、謙遜ではなく本当だ。「話せないっていう、そもそものレベルが違うんでしょ~?」とか言われるけど、それなら日常会話の中でもごく簡単なものなら不自由しないですよ、くらいにしておこう。映画は子供向けのものなら6~7割くらい聴き取れますよ、くらい。っていうか、ものによっては9割方、聴き取れたところで、単語を勉強してこなかったから、その単語の意味がわからない。いずれにせよ、話せるかどうかとなると、やっぱり「あまり……」と言わざるを得ない。

 そんなわけで英語のことで長くなったけど、私は自分の英語力を謙遜でも不遜でもなく、完全にフラットに評価できている。と思っている。

 ところが文章となるとどうだろう。
 これが過剰なのかどうかわからないほどに自信がない。好きだから書いているけど、私自身が好きで書いていることが良いのかも、よくわからないくらい自信がない。読み手のことを考えると申し訳ない気すらする。それでも書く。書くことってそんな悲しいことなのか。そんな気持ちで書かれたのを読む側の気持ちを考えてよとか思われるかもしれないけど、私にとってはそういう作業なんです。悲しい作業かもしれないことを、楽しくて止められない。私にとって文章を書くことは、自分でも不思議な、興味深い作業なのだ。楽しい、面白い、哀しい、恐縮する、興味深い。どの一つでもなく全部。

 好きなだけではいけないのかというと、それももちろん良い。好きで発表し、それを読むか読まないか、は読み手の問題だ。書くのは、「大勢の人に読んでもらいたい」「書くことを仕事としよう」とでも思っていない限りは、書き手の問題だ。私はそれを完全に一体化させるほど成熟していない。ただ私のようにプロを目指していない多くの人は、それで良いはずである。

 そんなわけで、文章に対しての自信について、私は知性がないかもしれない。どうやったら英語力みたいにフラットに考えられるのだろう。それもよくわからない。自信がないからこういうところで発表することを恐縮し続けている。でもきっと好きでたまらないから止められない。そんなところを行きつ戻りつしています。


#エッセイ #文章を書くということ #フラットに評価 #知性

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。