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親子関係の「変化」を感じた~シャザム!~

 アメリカのコミック大手出版社には、マーベルとDCがある。映画化されて、私が夢中になってよく感想も書いているのは、マーベルの方。DCコミックスは、バットマンやスーパーマン、ワンダーウーマンなどがあります。これは幼少期によくテレビで観ていた。最近だと「アクアマン」が上映されヒットしていましたね。
 DCコミックスの映画は全体的にトーンが暗くて重たいような、そして壮大なイメージがありまして、なかなか踏み出せなかったけど、「シャザム!」は予告を観て、楽しそうだと思って観に行くことにした。

 14歳の男の子が、大人のスーパーヒーローになるという設定なのだが、あるあるでもありますね。「あるある」みたいなイントネーションで「よくある」と言ったのは、シソンヌですね。
 この類の設定で私が真っ先に思い浮かぶのは、「ビッグ」。「ビッグ」を観て、20歳当時、トム・ハンクスの大ファンになった。少年を演じるトム・ハンクスが、何しろ可愛かった。彼が、大きなピアノの鍵盤で踊るシーンがあり、「シャザム」でもほんの一瞬、オマージュがある。「ビッグ」は子供の成長物語でコメディでもあるけど、おススメです。

 「シャザム!」の話でした。

*ネタバレあります。

 
 主人公ビリーが、仲間を認めていく様子は温かい気持ちになった。それが養子同士の両親が作った養子だらけの家庭だとしても、家族となっていく。 
 仲間を見つけ、その仲間を自分の家族として受け入れていく話は、特に現代のアメリカ社会において、普遍的なテーマとなっているのだろう。
 そんなに身近でないとしても、自分が大人になってから見つけ作る仲間を、「とても大事」に思うようになるのは、共感を得る人が多いのではと思う。

 この両親も、ちょっとは親子心理学とか家族関係について勉強した私にとって、なかなか理想的で素敵な印象を持った。ちょっとした最低限のルールを作ったら、そのルール内で子供を好きにさせる。つまり野放しにしたって良いけれど、ルールは守らせる。あとは体の心配をするくらい。親ってそのくらいで良い。
 家族関係について勉強しながら、自分の思い描くように育てない方がむしろ良いのではと私は感じた。ただルールは子供のボスとして決めておく。ボスは、子供を支配し思うように動かそうとするのではない。人や自分を傷つけることからできるだけ守る責任はあるけれど。そして心配は、どうしたって沸き起こる感情だから、つい口うるさくもなってしまうけれど。
 ここで、ビリーはようやく居場所を見つけられる。

 ただ私は、実の母親とビリーとの関係に、とても興味を持ちました。遊園地ではぐれた時に、はぐれただけで、母親とずっと別れるなんてことある? それこそ警察に保護されたら普通母親は見つかるのではと。
 だから確信犯だったわけですね。母親の言い分は理解します。
「こんな私と一緒にいない方が、私じゃない方が、幸せになるのでは。恵まれた環境で育つべきでは」。
 貧しい=不幸とは思わないけれど、そんなケースもまたありますよね。だから母親のそのような考えを責めようとかは思わない。でも、子供にとっては悲しい考えですね。ビリーにとっては貧しくとも母親のそばで成長していきたかった気持ちがあっただろう。さらに、この母親ではやはりビリーは幸せになれなかっただろうとも。

 母親が自身の立場から、はぐれた時のことを話すシーンは、とても胸が痛んだ。

 さらに深読みすれば、ビリーは14歳。
 実際の母親が、自分が思い描くような理想的な母親でなかったと気づくのは、母親離れの象徴のシーンではないだろうか。

 私の息子を見ていても、母親である私にガッカリしている表情には時々出会う。中学生の頃、何度か小ばかにしたような態度を取られたこともある。あれは自分の理想の母親を諦め、乗り越える頃なのだろうと振り返る。ビリーがそれに気づき、新しい養母を母親と認めるのは、距離を取った親子関係を手に入れられたからではないだろうか。

 この「14歳」が大人と子供を行ったり来たりは、深読みしたくなる年齢でもある。
 「シャザム!」は、楽しくお気楽だけど、私にとって親子関係について改めて考えさせられる映画だった。


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