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雑談は、きっと聞けていれば良いし、お互い様なのだ

 急に家をあけなくてはいけなくなって、そのため近所の方にお願いすることがあった。

 帰ってからそのお礼にと、行き先だった札幌のささやかなお土産を持っていった。今までもこれからもお互い様なので、相手も自分も負担にならない程度の物。

 持っていくだけなら良いけど、こういう時のやり取りが50歳超えてなお苦手だ。話すのが嫌いなんじゃない。下手だなと、後で自分がイヤになっちゃう。気質上、大がつくほどの反省会がぬかりなさすぎて、そんな自分にもウンザリする。

 今回は急なお願いだったため、ありがたい気持ちでいっぱいで、感謝の言葉以外は何を言うか考えていなかった。相手は世間話がよどみない方。それで間が持つから良いじゃないのと思われるかもしれないけど、あまりに相手と私の落差がひどくて。

 こんな私でも、雑談には抵抗がなくなってきている。

 長い間、苦痛だった。
 若い頃から。いや幼い頃から。
 深い意味のないことや表面的なことを話すのが苦手だった。
 たぶん夫にとっては私って「なんでもかんでもすぐその場で言葉にする」だろうけど、HSP(highly sensitive person)にはわかるだろう。なんでもかんでもじゃないのだ。
 めっちゃ強い思いがある!
 強い思いがそんなひんぱんにあるのかと聞かれたら、そんなひんぱんにある。HSP仲間ならきっとわかってくれる。強い思いにずっと振り回されているわよね。それを言葉にできるのは、気を許している相手だけだ。
 つまり気を許していない相手の時は言わない。強い思いを言わなかったら、途端に無口な人と化す。
 極端なもので、たいていはおとなしい人と思われている。そうすると相手によってはけっこうキツイこと言ってくる。言い返してこないだろうと思われるみたい。キツイこと言われても言い返さないのは、言われた時の感情が強すぎて、怒りにしても悲しみにしても爆発しそうだから。わざと威圧してきたり、指図や批判をしてきたりされたら、その気持ちをガッチリくみ取る。でも爆発したらその場の空気にそぐわない。相手を傷つけるのも怖い。自分の内面がどうなるかも怖い。だから文字や文にした方がラクなのかなと思う。
 HSPが面倒くさいと言われがちなのは知っている。だけど、感情の強さや深さで話をするのは、心がけているわけじゃなく、それが自分にとっての会話の基準。口にするかどうかは相手によるけれど、起きる感情はコントロールできるものではない。基本的にこの気質が180度変わることはない。

 ただ、心の浅い部分で思いついたこと、聞きたいことを気軽に言葉にしたら良いのだと、年月を経て最近はずいぶんマシになった。
 私の場合は主に病院で雑談を学ばせてもらっている。私も息子も病院とはなかなか密接なお付き合いなもので。

 病院て、よく高齢の方が雑談しているけど、以前は待ち合わせてお喋りしているのかと思っていた。もしかしたら待ち合わせている人もいるのかもしれないけど、多くはそうではない。高齢の方たちは病院が必須であるほど体のどこかが良くないから、よく顔を合わせてしまうのだよね。
 雑談は何となくしているだけのことが多く、仲が良いとか悪いとかそんなことじゃあないのだ。
 私も話しかけられるからわかったこと。

 相手にとっては、誰だって良い。
 そして話が広がらなくたって良いのだ。

 ある日。息子と病院の待合室にいた時。「子供の頃、友達だったタカハシ君によく似ている」と息子について声をかけられた。
 我が家は全然「タカハシ」ではないのだけど、おじいさまは遠い目をしながらタカハシ君について語り始めた。おじいさまの話は止まらなくなり、いよいよ隣り町へ馬で行く思い出話にまで至った。

 おお……馬で!

 その話は、思わぬ馬の登場に驚き過ぎて、私の中でそこがピークだった。
 あとは何の話をしたか忘れてしまった。
 おじいさまは話を終えると、それまでお互いにめっちゃ盛り上がっていたにも関わらず、前を向いてスンと黙って座った。

 どうしたものか、ちょっとモゾモゾしたけど、息子と「すごいね」なんて話しているうちに中待合室に呼ばれた。
 診察を終えて出てくると、おじいさまはお辞儀をした以外はまたスンと座っていらした。

 そうか。これで良いのか。

 それに気づいてから待合室で周りを気にして見てみると、高齢の方たちは雑談をしたからと言って、前後ずっと親しげなわけではなかった。話を広げなくても良いし、広げても良いし、いずれにしてもそれ以外まで親しくする必要はなさそう。話し終わるとシーンとしている時の方が多い。

 雑談を持ちかけられたらめっちゃ話を広げたり、冗談の一つでも言ったり、上手にツッコミを入れたり、その後も引き続き親しげにしたり。そんな風にしないといけないのだと思いこんでいた。
 でもそうではなく、ただその時を楽しんで話を聞けば良いのね。

 そう思うと途端にラクになって、雑談に快く応じるようになった。前は話しかけられても「えっやめて私に話さないで」のオーラをめちゃくちゃ出していたと思う。
 雑談なんて気楽に考えれば良い。
 今は私からも表面的に話すこともあるし、その瞬間だけ盛り上がったりもする。何もその場が盛り上がらなくたって良い。なんとなく言葉を交わし、一瞬でも心が温まれば良い。
 それによく考えてみれば、人のうわさ話なんかされるより適当な雑談の方が全然良いよ。
 

 そう思えるまでにはなったのに。
 近所の方に手土産を持っていった時に、うまく話せなくて落ちこんだ。

 その日は格別寒かった。ドアを開けながら私だけがコートを着て話しているのを申し訳なく思い、ドアを閉め気味にし、私はドアに挟まれるようにして立った。少しでも風を、私が壁になって家に入るのを食い止めなければと、無駄な使命感が頭をかすめて。でもドアに挟まれて喋る私なんて、半身が玄関に入っていて失礼よね。
 しかもお礼以外話すことをなんにも考えていなかったから、引き続き雑談する彼女の話をボンヤリ、ただ笑顔で聞いていて。

 無言のまま笑顔でドアに挟まれている私。

 失礼だし変だけど、なにより怖いわよね。
 
 彼女の側からしても、受け取ってサヨナラってわけにはいかない。そして話し終わると彼女が「じゃあ」と言って両手を伸ばしたので、慌てて手土産を渡し、改めてお礼を言って引き下がった。

 ああ。
 私はいつまで経ってもこんなか。
 ドアに挟まれずに、外で立って話せば良かった。そしてもう少しスマートに会話を進めて、スマートに手土産を渡して、スマートに引き下がれなかったものか。

 自分が嘆かわしく、トボトボ歩いて帰った。

 ただ、今書いていて思った。彼女もまた自分だけ話して、自分から「じゃあ」なんて追い返したみたいではないか。イヤな気持ちになどなっていないけれど、私が彼女の立場なら、「ああ私って」と嘆いているかもしれない。どんな立場にいても大反省会があるんだよな。これもまたHSPあるあるで、避けられない。

 雑談て、その場を和ませるために形式的にでも声をかける側と聞く側。両方盛り上がるなんて、友達や、よほど相性でも良くなければ、なかなかないし、お互い様なのだよね。
 気負うことなんてないから雑談。
 「こうすれば良かった」は次回に生かせば良いのだから、今回も自分を責め過ぎないように。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。