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もっと伸びやかに書いて良いはず~noteという場~

 noteを始めてようやく半年ほど経つ。

 つい最近、フォローしている方の中で、「私のことを引き合いに出してそれを、ご自分のnoteに書いている人がいる」と傷ついている方がおられた。又、「マガジンに入れた方の文章や絵柄をパクっている人がいる」と、やはりショックを受けている方がおられた。
 どちらも、気に入って楽しみに読んでいる方だったので、彼女たちが傷ついたことに、一緒に悲しい思いをした。

 私も数週間前に、「ああ私、この人の書く悪い文章例に当てはまっちゃってるなあ」という何人かの文章に同時期に出会ってしまい、しばらく落ち込んでいた。
 それ以前から「スキ」の数に一喜一憂、踊らされることもあるし、コメントを気軽に書いて良いのか、無邪気に書いていたら周りに何と思われるかと心配することも最近出てきたし、こんな内容あまり人気なくて読まれないよねと自分で自分にガッカリすることもある。

 自分が、何のために書いているのかと考えをめぐらせてみた。
 そりゃスキをたくさんもらうととても嬉しいし、コメントがつくと感謝の気持ちと喜びでいっぱいだ。どんどんスキ付けてね! って思っている。

 でもそのために感情が振り回されることがあり、そんな疲れた気持ちでここにいたくないと思い始めた。時々巻き起こるnoteの方同士のちょっとしたいざこざも、哀しくなる。場合によってはお互い、本意ではないケースもあるだろう。それを傍から見ているのも辛い。

 noteでは、「つながる」とうたわれているように、スキやコメントでつながることができる。その方のツイッターにたどり着くこともできる。それ故、お互いのことをよくは知らなくても濃密な感情を抱きやすく、時にその感情の行き来が激しくなることがある。ツイッターのような荒れ方はあまり見られないけれど、傷つけてしまうこともあるだろう。誤解を生むこともあるだろう。お互いを意識した文章になると、コール&レスポンスのようで楽しいけれど、それを傍から読んでいるだけで引っかかったり、自分のことを指摘されたような意識に陥ったりして、落ち込むこともある。

 でも最近、もう惑わされずに自分の好きなように、ただただ淡々と書き続けたって、それもまた良いのではないかなと思うようになってきています。

 それを迷惑に感じる人もいるようで、それもそれでその人の読み方だから、私は否定したくない。もうそこは相性ではないかと思うのだ。「読み手のためを思って書く人」と「自分のために書く人」。両方いて良い。「私はこういう文章が好き」「こういう文章を読みたい」「こうした方が読まれる」はあっても(私にも「こういう文章が読みたい」はある)、故意に傷つけるような内容でなければ、「こういう文章はダメ」「いけない」なんてことってあるのだろうか?

 noteという場所は、優しい人が多い。見守られていることもあるだろうし、お互いを尊重している雰囲気もある。運営側さんたちも表現者を尊重し、大事に扱っていることが伝わる。私のような端くれの発している言葉でも、どんな意見であっても、聞く耳を持って下さるということは感じる。

 だけど、それでもいやなこともある。ショックを受けることもある。疲れることもある。そうなったら、休んだら良い。やめたって良い。
 こんなことをここで書いて良いのかわからないけれど、noteは皆にとっての「すべて」ではないですよね。
 この世界で苦しかったら別の世界を求めたって良いわけだし、休んだ後、また復活したって良いわけだ。

 何もここで書いている人たちの意見が、私を含め正しいわけではない(今書いていることも)。ファンの多い人だとしても。それぞれの‘正しい’があることですし。
 文章の内容が正しいと思うかどうかには、相性や好みというものもある。私はそれが本当に正しいかどうかで迷った時には、優しい方を選びたい。

 自分が何のために書き始めたのか、今一度思い返してみる。自分のためではなかっただろうか。書き始めた頃、皆にウケたいためでも、たくさんスキをもらう「ため」でもなかったはず。
 人を傷つけるようなものでなければ、好きなことを好きなように書いても良いはずだ。選ぶのは読む側なのだから。noteって、多分だけど、そのくらいの度量はあるはずだ。

 ある人の文章を読んで傷つけられたとしても、そういう文章を書く人は、その人の問題で書いていると思うようにする。そして自分の文章は、自分の問題。文章自体の上手下手だってあるかもしれないけれど、内容に関しては、読まれなくて残念でも、たくさん読まれて嬉しくても、何か思われたとしても、読んで感じるのは読む人の問題。どのように感じるかは自分の気持ちの域を超えることだってあるだろう。

 私だってそう強いわけじゃないから、こんなこと書いてもすぐにへこんでしまうし落ち込むし、やっぱりダメだと自分を低く見てしまうことも多々。

 だからこそ気持ちが大丈夫な時に書いておきたい。

 noteを、一方向から正解を決めなくても良いおおらかな場だと、私は考える。人にウケるより、故意に傷つけるものでなければ、自分の作品、文章、表現力、或いは自分自身の考え方を表現することを許される場所。向上させる場所。早い段階から完成、完璧を狙わなくても、皆さんの伸び伸びとした文章を読みたい
 改めて、私の個人的な、文章に対する気持ちです。


#エッセイ #note #文章 #読みたい #個人的な考え方

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。