面白いと思う気持ちに、男も女も区別ない~絵も楽しみたい~
何でもかんでも「女子」や「男子」をつけては、やっぱりつけない方が良いと議論がなされる。この一連のやり取り、もう食傷気味。
野球の広島カープファンが女性だと一時、「カープ女子」なんて言われた。でも35年も前から、阪神タイガースファンで甲子園球場に通っていた女子はいたわい。私を含め。たくさん。
草食系男子も、前から恋愛に積極的じゃない男子だっていたわよ。たくさん。
歴女も、私が高校生だった30年ほど前にはいたもん。少し。
昔から好きなものは、女子だろうと男子だろうといたし、公にしない人もいたわけだし。女子校に通っていると、公にしている率は高かったけど。誰が何に夢中か、何のファンか、何に興味があるか。それほど親しくなくても互いに知っていた。それが女性らしいとか男の子っぽいとかあまり考えていなかったんじゃないかな。それぞれ熱く語れる友達がいて、そんな環境だった。
この前、美術館女子って言葉が問題になっていた。
学芸員の資格とって、美術館などで働く友達なんてじゃあ何に入るのよ。
彼女は中学や高校の頃から、遠足で博物館や美術館に行けば、同行がひどく疲れるくらい、一つ一つの説明に好奇心丸出しで時間がかかって仕方なかった。
「名画で学ぶ主婦業」のタグや本を楽しむ層はどこなんだ。なかなか知的な大喜利大会だぞ!
私は知識は全然ないけど、絵に触れるのは好きだ。
ニュージャージーに住んでいた頃、女友達と、または夫と、ニューヨークの近代美術館やメトロポリタン美術館に足を運んだものだった。男女問わずたくさんの人がいて、それぞれに絵を眺める。説明があれば読むけど、それぞれのペースや感じ方だから、必ず同じ絵を同じタイミングで観ているわけでもなく。自分なりの味わい方で眺め、感銘を受けては時々我に返って、同行相手を探し、ペースを互いに寄せたり、また自分の世界に没頭したり。
夫とピッツバーグにある、アンディ・ウォーホルの美術館に行ったのも思い出深い。
互いに、アンディ・ウォーホルも好きと知って、観に行こう! と盛り上がり、車を5時間ほど走らせてくれた。
建物すべてがアンディ・ウォーホルの作品で埋められているのは刺激的で、目や心が満たされる感覚。アンディ・ウォーホル自身の歴史やフロア中にある彼の作品に包まれた。心地良く高揚する。
今住んでいる地でも、ごくまれにだけど、美術館や、お城の展示物など、機会あれば観に行く。
そして最近、美術の楽しみ方や絵について、如月桃子さんが書いて下さっていて、彼女のサイトに行くのを楽しみにしている。
彼女ご自身の絵も、人柄が表れているのかなあと想像し、近づける気がしてくる。描いた絵を見せてもらえるのは、その人と言葉のないお喋りをしている気分になる。
桃子さんは、絵の見方や解釈は「自由で良いはず!」との軸がしっかりあって、「誰もが平等に、絵と接する機会を与えられると良い」という願いを持っておられる。
記事ではちょっとしたポイントや画家さんの背景なども教えてもらえて、とても興味深い。誰もがとっつきやすいように導いて下さるので、絵の講座を小説仕立てにした回も楽しみにしている。こちらからシリーズが始まっているので、紹介しておきたい。
個人的には、他のことに関する内容も、もちろん好み。
※そしてnoteではどなたであれ、好みじゃないと、自分から頻繁に読みに行けなくなっています。なので読みに行く時は、その長さ短さに関わらず、一人ひとりのを楽しみに読んでいます!(^^)
私は絵を楽しむことにおいて、知識がなくても、特に遠慮はない。わからないからわからないなりの感じ方で良いや。それしかできない。謙虚な気持ちと共に、率直に「感じたこと」を伝えたい。時には見当外れであっても、きっと桃子さんにおおらかに受け止めていただいている。
好奇心のままに。感性のままに。
誰かの表現に、何かを感じればそれが芸術なのだろう。
noteでは、絵の上手な方が多い。最初はそんなに描けなくても上達させる方たちもいる。描こうとする試みにまず敬服なのだ。
文章、詩、句、漫画、イラストも好きだし、絵画を載せる方たちも楽しみにしている。
そしてやっぱりそこに男女差は特に感じないな!
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。