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noteで読む側として楽しみ、そして反省してしまうこと

 「春の連続投稿チャレンジ」が始まっていますね。

 本当はタグ一つも参加しないつもりだった。
 何故なら昨年、クリエイターフェスの、投稿企画に参加した時に疲れちゃったから。楽しかったのだけど、あと3投稿くらいを期限内に! と思うと、少しがんばってしまった。
 エネルギーのある時にまた参加したら良いから、次回はグッズ欲しいなあなんて欲をかかないでお休みしよう。と、ちょっと前までは思っていた。
 でもタグを眺めていると、5つには満たないけど、書きたいなあと思うものが出てきた。そのうち、どうにか5記事にならないかなあと考えている自分がいる。

 でもまたその後疲れて、前回みたいに心にぽっかり穴があくなんてなりたくないので、できるだけ無理しないようにする。大げさみたいだけど、私にとっては一つ一つの行動が自覚なく負担になっていることが多いので、気をつけているところ。

 それでね。近々プロフィール欄を更新しようと思っていると、書きながらそれより前にどうしても書いておきたいなあと思って。

 定期的に反省会をしないと気が済まないのだろうか私。
 度々読んでいる方は、それもまたしつこくて申し訳ないです。

 
 noteを始めたのは、周りに勧められたからとか、映画を観た記録を書いておきたいからとか、一つだけではないもっとちょこちょことした理由とタイミングが重なった。
 その中に「周りの友人たちにあまり迷惑をかけたくない」の気持ちもある。

 私は友人とのやり取りの手段はメールなのだけど、すごく長くなってしまう。メールがない時代は紙の手紙。封筒がすごく分厚くなってしまっていた。手がだるくなって、すぐ文字が汚くなってくるので、メールという手段が大人になってから出てきた時には歓喜した。

 でも読む側にとっての負担は変わらないのだよね。

 ついつい長くなってしまうだけでなく、長くなるとそれなりに内容が辛らつになってきたりしつこくなってきたりする。会話じゃないから一方的に私の心情をぶちまけてしまうことになる。
 人が書くのを排泄行為という例えがあまり好きではなく、文中の言葉が悪いのでなければ、人に対して私はそうは思わない。表現する気持ちを、そんな言葉で片づけたくない。
 だけど私の「書く」は、読む側にとってそう思われてもおかしくないかもしれない。だって自分で「心にためておけない」って書いているし。

 noteを続けられている理由の一つに、私は心の中に大量にある思いを処理しきれず、喜怒哀楽すべてが簡単に負担に感じるから書いて少しラクになっているところがある。

 友人たちにとっても読むのが負担だろうなと、少しその密度を薄めたい気持ちがあって、書きたい気持ちをこういった場所で発散するようにしたのに。個人的なやり取りをする人たちとは、けっきょくその中身が長く濃くなってしまう。自分の素直な思いを存分にぶつけてしまう。
 もうちょっと我慢しなくちゃとの思いがかすめつつ、相手の気持ちに甘えすぎて止まらない。

 以前からの友人たちは、そんな私のことがわかっていて付き合い続けてくれているから受けいれられているけど、急にそんな私を何度もぶつけられてもねえ。

***

 そしてそんな私をここでこうやって書くことで、「悪くないよ」と思われたいのかもしれない。
 みっともない自己弁護かもしれない。
 でもnoteでの普段の自分、ここで書く私が時々良い人過ぎる気がしてしまって後ろめたくてね。


 何度も書いてきてウンザリしている方もおられると思うけど、noteとの距離感を何度も修正してきて。年月を経てようやく落ち着いてきた。始めて3年くらいは周りに対してだいぶ失礼で恥ずかしい私だった。近づきすぎたり、親し気にしていたのにフォローを外したり、うまくお付き合いができなくて申し訳なくて自分すごくイヤになった。でもどうしても気持ちや考えていることを書き続けたい。それでいてすべてを正直に誠実に書けているわけでもないけど。
 
 人の投稿については、イラストだと好みのものを見るだけで心和むし目の保養みたいな感覚。ほわあとした気分になったり、共感が強かったりの方のフォローをさせていただいている。
 文だとその人がどんな思いでいるのか、どんな生活をしているのかを想像しながら読むのが好き。つぶやきや、短いものでも、長いものでも。日々の投稿からその人と成りを想像するのは、自分の世界まで広がって豊かになるような気分にさせてもらえる。
 過去のことを懐かしんだり、励ましたくなったり。
 これからのことを想像したり、応援したくなったり。
 美味しそうな食や旅先の風景、散歩の風景、読んだ本や観た映画についても、その様子や書いた人の気持ちが伝わってくると、一緒に分かち合っているみたい。
 その時その瞬間に起きた出来事や感情をできるだけくんで想像をめぐらしていると、その人の輪郭がうっすら見えてくるのは単純に楽しい作業。

 noteにいるだけでなんて自分の心や世界に広がりができるのだろう。

 読む側としてこんなに楽しんでいるのに、それだは飽き足らずにグイグイ行ってしまったり、輪に入ろうと無理してしまった自分に後悔してフォローを外してしまったり。

 自己紹介を書こうとしたら、書きながら「私にはもっとイヤな部分がたくさんあるのに」「noteではそんな自分をさらしてきて、そのために離れた人たちもたくさんいるのに」と思って耐えられなくなってしまった。

 今日の私の懺悔。



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