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HSPかもしれない三つの特徴に改めて気づく

 メディアに取り上げられ、話題になったHSP(highly sensitive person)。

 HSPの特徴は「DOES」と表記できる。

 Dは、depthで、深く分析する能力。
 Oはoverstimulationで、過剰な刺激により、周りにすぐ圧倒される。
 Eはempathyで他者の気持ちを感じ取る。
 Sはsubtletiesで、ささいなことへの気づき。

 以前は、一つでも強く当てはまればHSPだと言われていたけど、今の定義は違う。

 アップデートしましょうね。

 HSP提唱者のアーロン博士は、4つとも当てはまる人がHSPなのだと定義している。1つでも当てはまらないなら性格的に「内向的な人」の可能性が高くなるそうだ。
 「D」「O」「E」「S」それぞれに特徴についての説明が5~8項目、全部で20~30項目あるものが本やネットで見られる。


 だけどHSPの気質がら、あまり注目されるのを好まないためか、それほど浸透していない。話題も続かない。そもそもHSPだから自分たちを強く主張したくないよねぇ。

 あと面倒くさい気質だなあと、多数派に思われているからなのかもしれない。

 面倒くさい気質だなあ。
 ーなんてさ、HSP自身がイヤというほど思い知らされているのにね。

 そうやって、うっとうしいものとして扱われ、自分の中にしまおうとする。そして自分で何とかしようとしてできない日常。
 その苦しさから、HSPの人たちは怒りを抱えている人がわりといるんじゃないかと最近、感じ始めている。

 HSPは感情に敏感だから、自分の喜怒哀楽をしみじみ感じる。
 悲しみとかつらさ、苦しみや恐怖心、不安感だけじゃなく、喜びとか楽しみとかも深く強く感じているだろう。みんな当事者だから比べられないけど。でもそう書かれてあると、思い当たる。かけられる言葉やつじつまの合う場面が多すぎて。
 最近はそれに注目して、HSPも良いところはあるという風潮。

 だけど感情を全部深く感じているってつまり、怒りだって感じている。
 それでも人の気持ちや感情も、やっぱりついつい深く想像してしまうものね。表情や仕草や態度に敏感だったりするから、直接表現できないこともまた多いんじゃないだろうか。

 なんとなくね。友人もそうだけど、SNSでHSPの人たちの発信を見ていても、心密かに静かに怒りを抱えている気がしたので。自分もそういうところあるなあって。

 愛情とか喜びとかだけじゃない怒りの感情も抱えこんで、それが過ぎるとズンと落ちこんだりしんどい。これってHSPそのものなんじゃないかなあって。


 あとね、SNS読んで「これが良かったー」「こうやって暮らしてます」「こうすべき」って人の意見にすごく影響されちゃうのもHSPの気質からなのかもしれない気がしてきた。

 相手の「これ良いよ」の気持ちを受け取り過ぎて、自分もそうしなくちゃいけないんじゃないかって。でもけっきょくできないのが申し訳ないやらしんどいやら。
 それでSNSの世界で自分を責めがちなんじゃないかって。

 私だけだと思っていたのよ。
 なんか強迫的に「そうか。それが良いと思っているんだ。私もやらなくちゃいけないんじゃないか」って思ってしまって。
 だけど好き嫌いあったり、心身のエネルギーがすごく低い私は「けっきょく私にはできない」がコンプレックスになってしまう。

 それぞれの生活スタイルだったり、その人に合っていたりするだけなのに。

 自分の良いと思う物や暮らし方を大事にすればいいんじゃないだろうか。

 当たり前のこと書いてるかな。
 でもHSPには気にしちゃう人、けっこういるんじゃないだろうか。


 そしてもう一つ。
 一対一だとよく喋るのに、三人以上になると静かになる人っている。しゃべるにはしゃべっても、本当は一対一の方がラクだなーって思うとかね。

 HSPに多いこの特徴って何なのかしら。ずーっと思っていた。


 HSPは人の感情や気持ちを取り込みやすい。

 一対一だと、話相手の感情と向き合いながら話せば良いから、相手の感情(相手との相性)にもよるけど、まだラクなのだ。

 ところが三人以上になると、その場に居合わせた別の人が、話の内容に対してどう思っているかを感じてしまって疲れるのではないかしら。
 あの人は、今の発言に対してああ思っているのではないか。本当はこう感じているのではないか。といちいち憶測してしまう。

 あの人ならそこ賛成はしていないだろう。ホラなんだか黙っているよね。あるいは、なんとなく同意しているけど本当はそうは思っていないよね。
 とか。
 憶測もあるし、時には感じちゃう。

 それは考えてみようとしているわけではなくて。
 ほぼ無意識。
 疲れるから、心がけているのは、むしろ「考えないように」「そんなの人の勝手」「その人が自分で処理すれば良いこと」。
 言い聞かせているのだけど、歳を重ねるごとに「そんなの気にしてられない」と対処できるようになるわけではない。対応できる瞬間はもうそれだけで自分をほめたい。でも本当は、頭の中でうまく処理できないことって年々ひどくなっている気がする。

 それでも疲れるから、自分に言い聞かせる声はあえて大きくして、頭から振り払うように頑張っている。なるべくそこから先を考えないようにって。でもそれって気になってしまっているからだよね。


 たとえば、自分以外のその場にいる人たちがめっちゃ仲良くて、こちらに気を遣ってこないなら、私はその方がラクかもしれない。

 学生の時、そういう関係性で三人が成り立っている時期があった。
 三人でいても、私が完全に取り残される話題とかノリとかあったけど、私はその方が良かった。
 入れない寂しさはあるけれど、むしろ強く感じるのは自分の所在なさ。身の置き場に困るくらいで、二人が楽しそうにしているのを見るのはけっこう気分が良かった。余計な感情がそこに要らない。
 二人が楽しそうなのはきっと心からで、三人でいることに違和感は抱いていないだろうって。急に気を遣ってくれたりするけど、それはずっとじゃないから、ありがたく受け取る。

***

 まあそんな風にね、普段からHSPについては考えるというか、考えたくない時もあるというか。
 とにかく意志に反して、頭の中はだいたいうるさいので、静かにして―と自分に対して思っちゃうのだけど。

 私は自分を愛そうという思いを最近ますます強くしている。

 何故なら友達やここでHSPさんたちをたくさん見てきたから。
 彼ら彼女らが愛おしい。
 そしてみんな、大切にしてほしい部分。
 そんな自分を嫌いになってほしくない。

 どうやったら嫌いにならなくて済むのかは、まずは外側から見て「こういう部分があるんだな私」って知れば、ワンクッションあることで、少しでも気持ちがやわらぐんじゃないかなあって。


※他にもHSPについて書いているので、どれか励みになることがあればと思います。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。