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災害と怪異

川瀬流水です。東日本大震災が発生した2011(平成23)年3月11日から13年が経ちました。亡くなられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、いまだ不自由な生活を余儀なくされておられる方々に、一日も早い日常が戻ってくることを願っております。
 
このような災害が起こると、前ぶれと思われるような異常現象が話題になることがあります。カラスが集団で鳴き騒ぎ姿を消した、海上に明るい光の筋が見えたなど・・・
 
私は、阪神淡路大震災で似たような現象を経験しました。屋外で飼われていた隣家のワンちゃんが、地震の数日前から、遠吠えのような感じで、低いうなり声を上げ続けていたのです。これは、私の家族やご近所の方々も、みんな聞いていました。

地震発生前、うなり声をあげていた隣家のワンちゃん

不思議なことに、当時屋内で飼っていた我が家のワンちゃんには、そんなことは全くありませんでした。隣家のワンちゃんは、地面に直接足をつけていたので、気配を感じたのではないか、と噂したのを覚えています。
 
このような五感で捉えることのできる異常現象や、ふとしたことで感じ取る気配のようなものは、科学的根拠は明らかではないようですが、経験した者に与えるインパクトは絶大で、長く記憶に残ります。
 
また、近頃「言霊」という表現を耳にすることも増えました。

豊田国夫著『日本人の言霊思想』(1980、講談社)を参考に、自分なりの解釈をしてみますと、「言霊」(ことだま、事霊とも)とは、口から発せられる言葉とある特定の出来事を結びつける特別な力、ではないかと思っています。
 
上記の本には、天智天皇の皇后であった倭姫(やまとひめ)の歌「天の原ふり放(さ)け見れば大君の御寿(みいのち)は長く天足(あまた)らしたり」(万葉集)が載せられています。
 
豊田の表現を借りれば、病床に臥した夫のために詠んだこの歌のなかで、「大空を仰ぎ見れば、大君の生命は大空に満ち満ちている」と言い切ることによって、言霊のはたらきを発動させている・・・
 
言い換えれば、倭姫のなかに、現代人の病気回復を願う感覚とは異次元のレベルで、自らが発する言葉には、相手の病を治す特別な力をもっていると信じる強い心の働きがある、ということではないかと思います。
 
私がこれまで調べた災害事例のなかで、もっとも深くかかわったのが、1938(昭和13)年に発生した阪神大水害です。

梅雨末期の集中豪雨により六甲全山で複合的な山崩れを起こし、土石流が山津波となって神戸阪神間の諸都市を襲いました。全域で700名を超す未曽有の大水害となりました。

神戸港から望む現在の市街地と背後の六甲山系、最高峰(931M)は画面より東方に位置し、神戸市慰霊塔は画面より西方に位置する

 最大の被害を出したエリアに、神戸市の合同慰霊塔が建立されています。10年前になりますが、その附近を調査した際、一人の女性に出会い、彼女のお母様から聞いていた話を伺うことができました。

神戸市慰霊塔、高さ12Mの石塔、1941(昭和16)年建立、神戸市兵庫区雪御所(ゆきごしょ)公園内にあるが、同公園は阪神淡路大震災でも仮設住宅が設けられた

 大水害は、お母様が10歳の頃の出来事でした。このあたりは土石流に直撃され、多くの人が行方不明になっていましたが、そのなかに、仲良くしていた隣家のおばあちゃんも含まれており、その後も行方不明のままでした。
 
被災後しばらくして、家族とともに近くの市場に出かけたとき、人ごみのなかに、買い物かごをさげたおばあちゃんの後ろ姿を見つけたのです。何事もなかったように、ひょこひょこと歩いておられました。

被災で行方不明になった後、市場で見かけた隣家のおばあちゃん

 その後、市場でもう一度後ろ姿を見かけたとき、思わず小さな声で「おばあちゃん」と言葉を発しました。すると、おばあちゃんは、ビクンと背筋を伸ばし、後ろ姿のまま立ち止まったのです。
 
その瞬間、とても怖くなり、振り返ることなく、一目散で家まで走って帰ったそうです。それ以来、おばあちゃんの姿を見ることはありませんでした。
 
これは、私が見聞した大水害に関する話の中で、最も印象深いもののひとつです。

私は、各地の昔話や伝承といったものにふれてきましたので、この話を伺ったとき、なにがしかの脚色を感じないわけではありませんでした。

しかしながら、淡々と語ってくれた女性からは作為は感じられず、母親から聞いた話を固く信じている様子がにじみ出ていました。
 
私は、被災した母親から娘へと語り継がれた水害の怪異が、言霊の力によって私につながり、怪異とともに水害のあったことを忘れるな、という強いメッセージが発せられたと考えています。
 
人々の記憶は、時の経過とともに、次第に薄れ去っていきます。

被災した人々により、各地で取り組まれている語り部の活動は、防災・減災、地域の復興にとって極めて重要な意義をもっていますが、それらもまた、時の経過には抗えない宿命にあるようです、
 
日本には、昔から、人々が集い怪異を語り合う「百物語」という集まりがあります。百話語り終えると、本物の妖怪が現れるとされますが、必ずしも恐ろしい結果に終わるというものでもないようです。

賛否両論あると思いますが、災害を忘れない取組みのひとつとして、百物語を語る会を開くのもよいかもしれません。

皆さまも、このようなちょっと不思議なエピソードをお持ちでしたら、是非コメントで、ご教示ください。

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