見出し画像

「メンやば本かじり」孤独編

 「メンタルがやばいときは、本をひとかじり」へようこそ。

 第何回目ですか?

 数字に弱いので、いや、いろいろ弱いので弱っているところです。

 そして、今日は最弱である。なぜなら大晦日だからだ。

 てなことで、今日更新した意味はもちろん、大晦日なのに、ロンリーだから、というわけ。

 お茶を飲みつつ雑談をしてくれる人もいない。蕎麦を茹でても、一緒に食べてくれる人もいない。カウントダウンをしてくれる人もいない。初詣も以下同文。

 誰もいない。

 さみしいのだ。

 世間の人びとは、友達と会ったり、家で誰かと一緒に過ごしたり、恋人とカウントダウンイベントへ出かけたり、

 なんやー、楽しそうやな。

 こちとら、誰からも誘われませんよ。

 誰からも、何の連絡もありませんよ。

 ということで、大晦日ぼっちの人、集合!!

 きてー、誰かきてー。

 と、呼んでも応答がなさそうなので、本の中の孤独な人でも探してみようと思う。

 そんなわけで、最初に思いついたのはアンディ・ウィアーの『火星の人』だ。

 主人公のマークは、火星のミッションにて、仲間から置いていかれ、一人とり残される。地球への通信機器は破損。残った食料は、限られた食料と、ビタミン剤と一ニ個のジャガイモ。
 次のミッションで人が火星に訪れるのは、最短で四年後だ。ただ、あくまでもこれは最短の話。

 食料は一年ももたずに尽きるので、三年以上はビタミン剤とジャガイモで生きていかなければならない。

 もう、孤独というか、絶望しかないだろ、この状況。

 ただ、今回、取り上げたい一節からは本書は外させてもらおうと思う。なぜなら、私だけでなく、大多数の人が、現状では火星に行くこともなければ、取り残されるという恐怖もないからだ。

 とはいえ、多くの人に無縁な出来事ではあるにもかかわらず、『火星の人』は多くの人に感動を与え、心のエナジードリンクとなってくれるだろう。それは、主人公のマークが、どんなに失敗を繰り返しても、ユーモアと行動力で乗り越えていくからだ。

 ある意味、マークは超人だ。超人ゆえに孤独と戦えたのだ。

 だが、超人ゆえに孤独になる場合もある。

 それは、ボルヘスによる「記憶の人、フネス」だ。

 フネスは、ウルグアイ川沿いにある、小都市に生まれた。アイロン掛けを生業とする母をもち、父親は英国の医師とか野生馬の調教師などとうわさされていた。

 ある日、フネスは落馬し、治療の見込みのない不自由な体となった。

 彼はまだ、一九歳だった。

 だが、フネスにとって、脚の自由を失ったことは、些細なことにしか思えなかった。

落馬のさい意識を失った。それを回復したとき、現在はあまりにも豊饒かつ鮮明にすぎて、ほとんど耐えがたかった。

「記憶の人、フネス」(『生の深みを覗く』中村邦生編/岩波文庫別冊』)ホルヘ・ルイス・ボルヘス 著 鼓直 訳

 世界が始まって以来、あらゆる人間が持ったものをはるかに超える記憶を、わたし一人で持っています。(…)わたしの眠りはあなた方の徹夜のようなものです。

同上

 すべてを完全に記憶してしまうことは、たった一人の人間が、この地球すべてを背負わされるほどの重さなのではないだろうか。そして、その重さは誰にも伝えられない──いや違う、誰も理解ができないのだ。

 人びとが自身の知識でもって語っている言葉が、あまりにも断片的でかつ、ほとんどのことを見逃しているとしか彼には思えない。

 なんて、書いていると、孤独な人として自分が紹介しておきながら、フネス自身が孤独を感じていたとは思えなくなってきた。

 彼の中には、あまりにも膨大な記憶で満たされているからだ。孤独であるということは、孤独であると考える隙間が、つまりこの世界を見ているようで見ていないからではないか。

 フネスのことを思うと、私は何も見ずに生き、ただただ孤独だと喚いている人間に思える。彼は一九歳で、目覚めた。私は──まだ眠り続けているのか。

 と、このまま自分の無能さに嘆くばかりでは、結局来年も同じ繰り返しになるだろう。

 来年こそは、孤独でさみしい大晦日だなんて、愚痴をこぼさずに済むようにしたい。

 そこで、今年最後に紹介したい一節、というか、書籍がこちら。

それは、『文学のエコロジー』だ。

 本書は、文芸作品をコンピュータで動かしてみたらどうだろう、というなんとも奇特な内容だ。

 例えば、星新一の「悪魔」。この世界をコンピュータで再現するのはどうだろう、と本書は誘ってくる。

「悪魔」に登場するのは、エス氏という人物だ。彼は、休日に湖を訪れる。そして、氷に穴をあけ、釣りをはじめるシーンが書かれている。

 さて、ここで質問させてほしい。

 あなたは、エス氏はどんな人物だと思っただろうか。

「エス氏」がなんであるかは本文中には明記されていない。釣りをする存在であることだけが記されている。

『文学のエコロジー』(講談社)山本貴光 著

これがプログラムのための設計書に記された説明文なら、「この「エス氏」ってやつ、定義が曖昧だから、もっとちゃんと分かるように書いておいてよね。そもそも人なの?」となるところだが、小説ではそんなことをせずともよい。読者がめいめいに補完してくれるから。

同上

 ちなみに、私の脳内には最初、馬場のぼるさんの『11ぴきのねこ』(こぐま社)のねこが出てきたのだが、タイトルが「悪魔」であることを思い出し、慌てて中年男性に変えたのである。

 さて、もう少しエス氏について考えようと、『文学のエコロジー』は促してくるので、のってみようじゃないか。

「エス氏」が行動する場所として「湖」という舞台が用意されているようだ。(…)では、「エス氏」はなにをしているのか。動作や状態に注目すればこうなる。
(1)ここへやってきた
(2)湖の氷に小さな丸い穴をあけた
(3)そこから糸をたらした
(4)魚を釣ろうとしている
(5)魚がかからない

同上

 小説を読むとき、ただ文字の上を視線が滑っているだけの私には、衝撃的だった。

 こんなふうに、動作一つに注目してみると、いかに自分がほとんど思い込みで読んでいるかを思い知らされる。

 ちなみに、本書はこういった読者が考えることを求める場には、余白を設けてくれている。そこに自分が想像したこと、例えば、たらした糸は太いか細いか、エス氏の狙っている魚の種類は、そもそもエス氏はどうやって小さな穴をあけたのか、などを書き込めるのだ。

 おっと。本に書き込みをするなんて! けしからん! 著者に謝れ! と言われそうなので、こちらを出しておくぞ。

本書の余白に、あるいは横に、ご自身の発見を書き添えて、この本を使い古した地図のようにしてもらえたら、こんなうれしいことはない。

同上

 もし、あなたが本を集中して読むのが苦手だったり、我が子が読書嫌いで困っていたりしたら、ぜひ、この本への書き込みを試してみてほしい。

 ちなみに、書き込みをしていると、読書あるあるの睡魔に襲われる危険がかなり減少したりもする。

 さらに、「いやあ、このタイミングで主人公のこの行動はなしやろ」など、ちょっと不満があったときも、その不満をそのまま書いたり、さらには主人公の違う行動パターンを書き込んだりするのも、けっこう楽しい。

 こんなふうにしていると、本を読むという一方的な感覚から、本と一緒に遊んでいるという感覚へ変わっていくのが感じられる。

 こうやって、本と遊ぶ楽しみを知る、または、遊び方を学ぶといった意味でも本書はかなりおすすめだ。

 あ、そうそう。

 本書に書かれているのだが、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水のをと」という句、この景色を、あなたはどんなふうに想像していただろう。

 私が、「竹林の中にある古池に、池の中心に小島のような岩がある。その岩にびっしりと張りつく蛙たちが一斉に池に飛び込み、波紋のように響く水の音と、訪れる静寂を想像した」と言ったら、あなたは共感してくれるだろうか?

 さて、こんなことをしていたら、孤独を忘れてあっという間に新年を迎えられそうだ。

 今日、ここに来てくれた人に、心からお礼を言いたい。ありがとう。


◾️書籍データ
『生の深みを覗く』(岩波文庫別冊)中村邦生 編

難易度 ★★☆☆☆ ウルフにカフカ、谷崎に内田百閒と、誰もが知っている文豪たちの作品を短編で読める、ありがたいアンソロジー。

 Twitterのフォロワーさんに教えていただいた本書、これはかなりいい。この場を借りて、お礼を申しあげたい。いまでは、すっかり愛読書である。中村さんによる選書がすばらしいのだ。来年から読書をはじめようかな、と思っている人にもおすすめしたい。

『文学のエコロジー』(講談社)山本貴光 著

難易度★★★☆☆ いやあ、いかに自分が読みながら抜け放題だったか、思い知らされましたよ。読書のための必読本。

 まず、本書を読むため前に、ぜひともペンをご用意いただきたい。読むとは、ここまで考えなければ、読んだことにはならないのか、と本書を読んで(いやまだ読めていないのかも)目から鱗である。読書嫌いの方も、本書で読書のトレーニングをするのもいいかも。

 

 


 




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?