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伝説のこどもたち ゆかちゃん2

1年遅れで、養護学校に入学しました。生活面ではできるようになったこともありました。トーストしていないパンが食べられるようになった。下駄箱に靴を入れるようになった。カバンをもてるようになった。というようなことです。

しかし、訓練では、相変わらずでした。机についてくれないので発達検査は、測定不能の状態です。本をパラパラめくることはありましたが、おもちゃでは遊んでくれません。でもブランコに乗ることと、トレーニングバルーンに乗ってピョンピョン跳ぶことは、好きでした。家庭用のトランポリンを購入してもらいました。(とは、いってもかなりおおきなものです)音楽に合わせて跳んでいるとのことでした。トレーニングバルーンも、いろんなサイズを購入しましたがテレビを見る時に使っていたようです。あとは、なんでも口に入れて噛んでましたね。ボールプールのボールはボロボロになりました。

パニックも多く、突然怒り出すとなだめるのに苦労をしました。ただ、温度には敏感だったので、窓を開けたりクーラーを入れたりすると、早くおさまることはわかっていました。頭を叩きながら「イー、イー」と、奇声をあげて髪を引っ張り飛び跳ねます。その奇声は、まだ頭の中に残っています。

アトピー性皮膚炎のため、掻きむしった肌にはあちこち血がにじんでいました。わたしは、毎週のゆかちゃんの時間が苦痛でした。その40分間は、ゆかちゃんと向き合うよりお母さんと話をしていたことの方が多かったかもしれません。「ほかに行くところもありませんから」と、それでも、毎週ゆかちゃんとお母さんは、通ってきていました。運転免許を持っておられないので、タクシー、又はお父さんの送迎でした。ゆかちゃんを連れて買い物などはできません。ですから、訓練だけのために出かけてこられていたはずなのです。

5年生の時でした。わたしは、ポケットにあった水性のクレヨンをゆかちゃんに持たせて、その手を上から支え、訓練室の鏡にむかっていました。毎回、おかあさんがおられるので、訓練しているような様子を見せる必要があったからです。

お名前は?と聞きました。

「な○○○ゆか」

その時確かに手は、「な」という文字の方向に動いたのです。

「書けるような気がする」とわたしは、つぶやきました。「うそ〜」と、おかあさんがいいます。「ほんとだって、代わってみて」おかあさんに代わっても、名前が書けたのです。試しに支えている手を離してみると、全くできません、クレヨン自体を離してしまいます。肢体不自由児の施設なので、身体の不自由な子どもたちの手を支えて文字を書くことはあります。その子たちは、支えると書けることが多いので、それには慣れていました。それと同じような手応えがあったのです。

わたしとおかあさんは夢中になって、質問しました。近くにあったぬいぐるみや片っ端から「これは、なあに?」「これはなに?」ゆかちゃんは、犬とか猫とか、ちゃんと答えることが出来ました。ゴジラのぬいぐるみには、「しらん」と答えました。

その日、さようならをいって小さくなっていく二人の後ろ姿は、いつもとは、全く違うものでした。

次の週に聞いたのですが、帰ってから、冷蔵庫のものを質問したり、アルバム出して「これは誰?」と聞いたりしたそうです。

「ぜんぶ、わかってた」

お母さんは、誇らしげに言いました。




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