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どんな察しのいい人にも「察して」コミュニケーションは危険だと思う

ストレートに表現したいのが日本語の美しさだと思う。相手への思いやりが表現に溢れるからだ。

でも、「察する」ことに依存してストレスを感じてしまうのは損になるとも思う。

頭の回転のいい人ほど、相手の何気ない一言から先を読み先手を打ちながらコミュニケーションをしてくれるので居心地のいい時があります。でも、時々相手の察してに依存してしまっている自分に気づいた時がありました。

「前にここで何も言わずに助けてくれたのに今日はそうではなかった。」

ということで、自分の予定が狂い、無駄にストレスを感じてしまう。

そして自己嫌悪に陥るのが私のパターンになっていた。

私の場合は人に助けを求めるのが苦手で相手に迷惑を強いることになるのではと自分一人で頑張ってしまう性格なのです。相手が察してくれると自分の苦手な「手伝って欲しい、助けて欲しい」を言葉にせずにことが解決するので楽だと思っていた。けどそれがそうならない時に余計にストレスを感じしまうので、今では手伝って欲しいと最初から伝えるか、それでも助けを求めるのが嫌だなとどうしても思うひとは一人で頑張るようにしている。

相手の優しさを待つのではなくて、自分から行動を変えていくのが結果的に一番ストレスなく過ごせれるのだと思う。


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