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ヤモリと祖父の思い出

「ヤモリは月桃の葉っぱが嫌いだよ」と誰かが教えてくれたことを思いだした。


けさ水道の蛇口をひねると、ぬるいお湯がほとばしり出た。また長い夏が始まるんだ。
毎年、この季節になると、ヤモリとの戦いがはじまる。
家の中がヤモリにとって住み心地がいいらしいのだ。エサもあるし、安心して卵も産める。

しかし。
私はどうしてもヤモリが嫌いである。


夕方。
帰宅して、家の鍵を開けようとしたら、
あっ、居る!
玄関のドアと壁の境目に、ヤモリが張り付いている。
敵もさるもの。
ヤモリは、玄関のドアの開閉のすきを狙って家のなかに滑り込もうとしているのだろう。
生き物だから、そのへんの要領は、よく分かっているみたいだ。
ヤモリは何とかして家の中に入ってこようとする。
私はヤモリを追っ払って、奴が居なくなったのを確かめてから鍵を開けて入る。

ヤモリは家守と書くから家を守ってるんだとか、ヤモリが鳴くと縁起がいいと言う人もいるが、私はヤモリにそこまで優しくない。

部屋のチェストの後ろあたりからヤモリの鳴く声が聞こえると、私は怒りながら、そちらの壁に向かってティッシュの箱を思いきり投げつける。
「黙れ!」
一発で声はピタッと止んで、ヤモリは二度と姿を現さなくなる。
ヤモリは厚かましいようで、意外と怖がりなのだ。

部屋の天井を這っているヤモリが私のベッドの上にポトンと落ちてきた時は、「ぎゃー」と叫んで怒り狂ったが、ヤモリの逃げ足は速くて、どこに消えたかわからない。

石垣に来てからヤモリ退治に悩まされるようになるとは…。


ヤモリといえば、子ども時代を思い出す。

田舎の家で、蚊帳の天井を這うヤモリをよく見かけた。

私の家でも夏になると、蚊帳を吊って家族で寝た。
蚊帳の中に入る前に、うちわでよく扇いで蚊を除けてから、サッと蚊帳の裾を持ち上げて滑り込んだ。
蚊帳の天井を這うヤモリは、蚊を食べていたのだろう。

昔は蚊が多かった。

8月のお盆の頃、い草を刈ると、イ草の中に潜んでいた蚊が一斉に出くる。
私の生家は岡山県倉敷市の郊外で、あたりは畳表になるイ草の産地だった。
私がもの心ついた頃にはイ草を織る織機の音が近所から聞こえてきたが、その後、生活の洋風化や安い外国産の出回りにより、イ草の生産は廃れていった。

幼少期の記憶といえば、悪いことばかりではない。祖父に可愛がってもらったことは、宝物のように思っている。

祖父はよく一緒に遊んでくれた。
こころ温まる思い出をいっぱい作ってくれた。
ひと好きで、面倒見がよくて、社交家だった。

祖父は、私が7歳のときに亡くなった。
晩年、家で寝たり起きたりの生活で、部屋の掃除中、ほうきを持って倒れたまま旅立った。
心臓病だと聞いた。漢方医学では、臓器に感情があるのだという。そして、臓器を病むのは、その臓器が弱いからではなくて、強いからなんだという。
心臓の感情は喜びだそうだ。祖父らしい、と思う。祖父は嬉しがりだった。

周りにどんな人がいるかが、幸せでいられるかどうかに関わっているが、選べないときもある。子供時代はとくにそうだ。
祖父と出会えたことは、私の人生のなかでも特別に幸運なことだった。


ところで、わがヤモリである。
石垣のヤモリは本土のヤモリほど大人しくない。
天井に張り付いているヤモリを決して見上げてはいけない、と石垣島に住み始めた頃に何度も聞いた。
なんでもヤモリのオシッコが目に入ると、目が潰れると言うのだ。ほんとだか知らないが。

また、ヤモリが保護色なことを石垣島に住んでから初めて知った。
本土のヤモリとは、種類が違うのかもしれない。
カメレオンみたいに、背景によって身体の色を変える。
自転車の金属製の黒い籠に張り付いていたヤモリは、真黒に変色していたし、バスルームのオレンジ色の洗剤のボトルに張り付いていたヤモリはオレンジ色になっていた。白壁に張り付くと白色に変わるし、元の色は何色だろう。

自然が好きだと言っているわりには、嫌いな生き物はいっぱいある。
蝶でさえ、あまり好きではない。
島にはオオゴマダラという蝶が飛んでいて、石垣市の蝶になっている。
オオゴマダラの幼虫の身体の模様と、蝶になった時の羽の模様が一緒なのを見たとき不思議な感じがした。サナギになった時の色が金色なのには、もっと不思議な感じがした。

私も同じ生き物なのに。
私は思ったほど自然児ではないらしい。

とにかく、ヤモリと共存するのは御免である。

月桃の葉がヤモリ除けになる、と聞いた。
まだ夏は始まったばかり。
玄関のドアの外と家の中に月桃の葉を吊るして長期戦に備えようっと。

ヤモリも私も、お互いに自らの生を全うしようとしていることだけは、確かなんだけどね。


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