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【短編】 かはたれそ おれの かたわれ

少年は知っていました
「かわたれ」は、優しいモノでした
「かわたれ」は、薄闇の野でしか生きられない
「かわたれ」にとって、夜の闇も燦々と照りつける太陽も、安らぎを与えるものではありませんでした

「かわたれ」が深い闇に溶けてゆく前、少年は「かわたれ」が蜻蛉と触れ合うのを見ました
強い風に吹かれて身動きできなくなった蜻蛉を、「かわたれ」はそっと手のひらで受け止めてやりました

少年はその蜻蛉を羨ましいと思いました

「かわたれ」の優しさは梢をわたる風のような、見えにくいものでした
小鳥の綿のような羽が抜け落ちるより、ずっと静かなものでした
そのことを村でただひとり、少年だけが知っていました

「かわたれ」の中身は空洞です
人とは違うモノだけど、人を害する毒は何も持っていません
けれど人々は、「かわたれ」の存在を恐れました

「あれは黄泉にも行けぬ迷い魂よ。近い日、必ずや村の災厄と成り果てよう。一日も早く、赤々とした松明で燃やしておしまいなさい」
旅の僧侶がそんなふうに言うと、村人はみんな「やっぱりな」と頷き、一途に信じ込みました

夕暮れになると、少年は頬を腫らして野まで出かけてゆき、「かわたれ」に会いに行きます
しかし少年の母も父も、自分の息子が「かわたれ」に親しんでいることを知りません
母親は「あんたが働かなきゃ、うちはおまんまの喰いあげだよ」と怒っていたし、父親は賭場か酒場にしかおらず、家に帰ると拳を握って暴れるか、ぐうぐう眠るかでした

朔の晩、村の広場に大きな篝火が焚かれます
それは公開裁判、公開処刑の合図でした

腕を縛られた少年が引きずられてきました
「そいつは悪鬼の手先だよ!」
「早くやっちまえ!」
村人がまなじりを吊り上げて叫んでいます
そのとき、篝火がひときわ激しく揺れました

──誰がいちばん最初に気づいたでしょうか?
少年に群がる大人たちのつむじを覗き込むようにして、炎に照らされた薄闇に、「かわたれ」が立っていたのです

誰かが悲鳴をあげました

人々が逃げまどう前に、「かわたれ」は少年の父と母を呑み込みました
次いで、ぎゃあぎゃあ叫ぶ村人も呑み込みました
そして腹を押さえながら、うおおおおんと鳴きました

哀切な獣のような「かわたれ」の鳴き声は山の木々と空の星々を震わせました
少年はびっくりして、眺めることしかできません
「かわたれ」はやがて大きくげっぷをするように、呑み込んだ人たちを吐き出しました
そして少年のほうを見つめると、そのまま真っ黒くなって闇に溶けていなくなりました

それからしばらく、少年の父と母は飲まず食わず物言わずで、抜け殻のようになっていました
ある日、母親がすっくと立ち上がり、針を持って村へ仕事をもらいに出かけました
次の日は父親が動き出し、家のまわりの雑草を刈り取りはじめました
母親は針仕事を請け負い、父親は家のまわりで作物を育て始めました

両親は少年のこともいたわるようになりました
少年は痛くて辛い思いはしなくなりました
だけど時折思います

おれは痛くても辛くてもよかった
働き者で思いやりのある二親なんて今さら欲しくはなかった
痛くても辛くてもいいから、おれは「かわたれ」のそばにずっと、いたかった

「かわたれ」は人の穢れをその身に宿し、暗い闇に溶けて消えたのでした
かつての少年は、夕暮れ時にしか会えなかった優しい化け物のことを想い、一生を暮らしました

初出:宵待ブックス無配ペーパー
2022年11月文学フリマ東京で頒布しました。

noteへの収録に際し、ヘッダーお借りしました!
@od_chiaki
https://www.pixiv.net/artworks/95474855

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