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我が家的不登校生活:親バカで行きたい

へとへとに疲れている。現在時刻、23時半。

今日は、私の体調がすこぶる良くなかった。それでも、週明けから勉強禁止期間を解除したので、小6の娘は算数、中2の下の息子は数学を、フルサポート。おかげでへとへとに拍車がかかった。

我が家が不登校に対してできることは、そう多くない。博物館や美術館は行くけれど、お金がかかるからそう何回も行けるわけではないし、企画展も厳選されてしまう。参考書や問題集、図鑑や本を好きなだけ買えるわけでもない。

お金がかからない図書館は週に複数回行くほど使い倒しているけれど、やはり「手が回らない」「やりたいことができない」思いは大きい。

そんな中で、続けられているのが漢字と数学。これは漢字検定と数学検定があることも大きい。

既に学校の授業進度からは遠く離れていて、というか、学校の授業を気にしていると、ストレスが大きいことが分かったので、まるっきり我が家ペースでやっていこうと切り替えている。

子どもたちは、教科書ベースでない、学校とは順序が違うけれど気に入った問題集を使う。学年をまたいで関数なら関数だけ、図形なら図形だけ3年分やってしまう。そして、その成果の確認は検定で行う。

検定の日程から逆算して問題集を終わらせる、復習と確認の時間を確保する、勉強時間はやりやすい時間帯でそれぞれ好きに決める、という感じ。計画は時々組みなおす。

計画は、検定の何週間前には検定問題集に入りたいから、それまでにこの問題集を終わらせるには、一日に何ページやればいい?と、本人にもわかりやすく組む。

そうはいっても、やり始めるのに時間がかかったり、休憩中に始めたゲームが終わらなかったり、習い事が挟まって集中が続かなかったり。課題は山積み。

でも、私は彼らをすごいと思っている。

だって、学校に行けなくなってもう3年や1年や経ってしまっているのだ。習ったことはとっくに飛び越えてしまった。今の内容は完全に自力で学習しているのだ。

私がしているのはサポート。検定の問題集や気に入った参考書を教科書代わりに、彼らは自分でわからないところをめくり、わからないことを突き止め、理解していく。

そして、ちゃんと問題を解くのだ。まったく誰からも教わらずに。普通なら学校で教科書をやり、配られたドリルをやり、小テストをやって確認し進んでいく勉強を、彼らは自力で正解にたどり着く。

すごい。我が子ながら惚れ惚れする。

親バカなのはわかっている。ああ、私って単純だなあ、もっといろんなことを考えなくては、とは思う。

でも、「親バカ」って大切なことじゃない?

等身大の子どもの、ちょっと上を見ている親。我が子の一番良い状態を思い描いて、本気でそれに惚れ込める親。

そんなバカげた親の姿に、子どもたち本人は「バカだなあ、ぼくはそんなにできないよ」とか「私はそんな天才じゃない、買いかぶりすぎだよ」と言う。言いながらニヤニヤしている。

嬉しいんでしょ?と私は思う。嬉しくて、「じゃあ、ちょっとやってみよっかなー」って始める。ほら、やっぱり嬉しいんじゃない?

不登校は、「みんなと違う」こと。それだけは確かなこと。

怖いことは、「ただ違うだけ」なのに、いつの間にかどこからか、「違う」が「劣る」にすり替えられて、自信を蝕んでいく。親も子も。

そんな不登校生活に「親バカ」は大切だと私は思う。「かっかちゃん、バッカじゃないの?そんなに頭よくないよ」と言いながら、子どもたちは自信を少し、取り戻すように見える。

親バカ万歳。

子どもたちの自信と元気が増えるなら、いくらだって親バカしたい。

「あなたなら大人になったらこんなことができるかもしれないね」と話すと「かっかちゃん、夢を見るのもいい加減にして。不登校なんだよ?」と言われる。

でも、母の仕事は夢を描くこと、描いて見せることだと、私は信じている。親バカは夢をほがらかに語ってみせること。

たくさんたくさん夢を描いて、夢の描き方を子どもたちが知ってくれたらいいと思う。


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