お子様ランチへのラブレター

※これは私が高2のときに、美術の卒業制作で「紙粘土でお子様ランチ」を作ったときに提出した感想レポートです。ちょっとおもしろくてもったいないのでnoteに載せます。つたないです。


大人になってから失う物はなにか?と聞かれたら 皆さんはどう答えるか?

夢?無邪気さ?私はこう答える。

お子様ランチを食べる権利だ。

 大人になって得られる物は多い。 個人差があるとは思うが、財力や、親からの解放。 飲酒、喫煙 等。 しかし、お子様ランチを食べる権利は得られない。 これは成長における損失ではないか。 大問題である。

 皆さんは飲食店に行った際に「カレーも食べたいな、でもオムライスもいいな、でもどちらも 食べるというのは気がひける。」 と、思った経験はないだろうか。 その願望を具現化した、そ れこそがお子様ランチといえよう。「気がひける」 理由は、食べ過ぎだから、値段、 食べきれないから、等と様々だろう。

 お子様ランチは比較的安価で、 様々な種類の食べ物を少しずつ食べられる。 我々の「気がひける」はお子様ランチによって解決することができる。 私自身、 「カレーも食べたいな、でもオム ライスもいいな、でもどちらも食べるというのは気がひける。」 を飲食店に行くたびに思ってい る。 メニューを眺めて頭を抱えつつ、ちらりと隣の席の幼い子供をみて羨望のまなざしを送る。 「いいなあ、君はお子様ランチという選択肢があって」と、そう思う。 いいとこどりという言葉はお子様ランチのためにあると言っても過言ではない。

 さらにお子様ランチには、おまけのおもちゃまでついてくるのだ。 選べるものやガチャガチャ の形式のものなど多様な方法で子供心をくすぐる。 そのおもちゃは決して頑丈で立派なものとは 言い難く、少々チープなものが多かった記憶がある。 そしてそのおもちゃ達は一カ月後には消息を 絶つものがほとんどだった。 あのおもちゃが沢山入っている夢のような籠を見たら心を躍らせる のは当然だが、その一つ一つを見れば特段欲しいものはなかったような気がする。 だから選んだ おもちゃの多くが失踪し、 大掃除のときに姿を現し、 「ああ、こんなのあったね」 とぼやきなが そのままゴミ箱に直行する。 お子様ランチにはそういう儚い一面もある。 桜が咲いて散るのを 楽しむ日本人の心に訴えるのだ。 桜が満開になって散ること、お子様ランチのおもちゃが子供の手に渡ったその瞬間が最大のピークであり、すぐに失踪してしまうこと。 お子様ランチのおもちゃは、 諸行無常とは何か、 そういうメッセージを子供に伝えてくれる。

 お子様ランチへの感情をダラダラと書き連ねるのはここまでにしておこう。 何故私が卒業制作でお子様ランチを作るに至ったのか、その経緯をお話ししたい。


テレビで 「お子様ランチ」の特集がされていた。 それもただのお子様ランチの特集ではなく、 「大人のお子様ランチ」と銘打たれた、 豪華なランチプレートの特集である。「大人の」 というだけあって、量も値段も段違いであった。 正直お子様要素はどこにもなく、 煌びやかで、おしゃれ で…。 馴染み深いあの、野暮ったくて、 チープなお子様ランチの姿はどこにもなかった。この番組をきっかけに、 まるで落穂拾いのように、自分とお子様ランチの思い出を頭に巡らせた。いろいろなことを思い出した (これは後述するが) 結果、「もう食べられないのか」 「また食べたいな」 そういう思いでいっぱいになった。 お子様ランチへの執着が育ったきっかけだ。 ちょうど そのあと、 卒業制作の話が出たため、 紙粘土でお子様ランチを作るに至った。


 お子様ランチの話から少し外れてしまうのだが、 卒業制作のレポートということもあり、 材料についてもお話ししたい。 今回は主に紙粘土を使用して制作したのだが、これにも理由がある。 中学のとき、美術の授業で紙粘土で好きな食べ物を作る回があった。 私の卒業制作そのものであると聡明な皆さんはお気づきになったことだろう。そう、その時の授業がとても楽しかったまたやりたい、ただそれだけである。 しかも、 ありがたいことにその授業で作った作品は選ばれた。 単純に、 とても嬉しかった。 中学の時に評価されたことでちょっと調子に乗ったことも、卒業制作の材料に紙粘土を選んだ理由の一つだろう。


 ちなみに何を作ったかというと、 おにぎりである。 白いご飯を一粒ずつ作って、握って、 海苔 も紙粘土で作り、 包む。 おにぎりをわざと欠けさせ、梅干しを覗かせた。 食べている途中を演出 する為の工夫だ。 この工夫は自分のアイデアではなく、 当時の美術の先生のアドバイスだが。 そのおにぎりに紙粘土のシソときゅうりの漬物を添えた。 中学生としては渋いチョイスだな、と今 になって思う。 ちなみに、 何故おにぎりを作ったかというと、私がよく使っていたペンネームが おにぎり関連だったからである。 ペンネームなんておしゃれな響きを選んだが大したことはな く、某フリマアプリや某青い鳥のSNS等、 身元が明かされるとまずい系統のアカウント名がおにぎり関連だっただけだ。 前半に述べた通り、 私は食べることが好きだったので、 好きな食べ物を 一つに絞って制作するというのは苦しい選択だったのだ。 「あ、 じゃあメカリのアカウント名 でいっか」という発想に至った。 アカウント名にするくらいだからやっぱり特別好きなんだろ う、という反論も聞こえてくるが、全然そんなことはない。 普通である。 アカウント名を食べ物 にしているひとはその食べ物は特段好きな訳ではない、という俗説は真実だと思う。 実際、私以 外にも「コーンスープさん」 (仮名) というアカウント名で 「チーズが大好きです」 というつぶやきをしていて大笑いしてしまった。 そんなものなのだ。


 話が大いに脱線してしまった、話を戻します。 少しシリアスになるが、もう少しお付き合い願いたい。 卒業制作をきっかけに新しいものにチャレンジする人達も多いなか、 私ときたらお子様ランチやら中学の授業がどうのだとか、 過去にしがみついて情け無い。 作っている最中もなんだ か切ないような気分だった。 卒業制作を終えた今も、 喪失感が残っている。 残ってるというより重なっている。 お子様セットは小学生までの思い出だし、 中学生の美術の思い出から材料を見出し、この卒業制作も 「卒業」 というだけあってすぐさま 「高校生の思い出」と化してしまうのだ ろうか。 そんなつもりは全くなかったのだが、 私は思っていたより過去に囚われているのかもし れない。 今の生活に不満はないはずだが。 大学の卒論も思い出が絡んできたら笑ってしまう。その時は、 今これを読んでいるあなたが卒論のネタにされてしまうかもしれない。

 こんなにもお子様ランチへの執着が強い私だが、食べられる年齢のときは全くお子様ランチが 好きではなかった。 量が少ない、というのと、子供っぽいから、という理由で。某ハンバーガー ショップでも、小学生のくせして大人のハンバーガー二つ分を平らげていたし、 私の地域ではそれ何故かステータスだった。 「マックのハンバーガー二つ食べられるぜ」 みたいな。 今思えば家計に悪すぎる。 やめてほしい。 小学生にそんなに食べさせてくれた親に感謝しかない。 某ハッピー になれるセットを食べなさいよ。

 だから、結局ないものねだりなんだろうな、と思う。 該当する年齢のときに該当するものを好きになることは案外難しいのかもしれない。 年齢に合わせて趣味や好みを適応させろ、という話 では一切ないが、やはり人間というのは人の目が気になるものだし、やはり売り出す時に 「ターゲット層」というのは存在する。 「ターゲット層」からはみ出るとちょっと生きづらい気がして きたり、自分が「ターゲット層」 だった頃や「ターゲット層」 になる未来を羨望する。 そんなことをしている間に、今自分が 「ターゲット層」にいるものを見逃してしまう。 そして自分の周囲の 人間も「ターゲット層」から外れたものをステータスとする。 人間ってちぐはぐだ。 ランドセルを背負った小学生が、 大人顔負けのシックでおしゃれな服を身に纏っているのをみていると、 「私は君くらいの年齢だったらピンクのフリフリを着るのに」とか思ってしまう。 (その服がその小学生の意志で着ているものでなかったら申し訳ない) でも、私も小学生の頃はやたらボー イッシュな服を好んで着ていたし、 ピンクより水色が好きな自分に酔っていた。 今はピンクが好 きだ。俯瞰的にものを見ていたつもりの私もやっぱり、 ちぐはぐだった。


 よく聞くセリフで、 「若いうちは化粧しなくてもお肌ツルツルなんだから、あなたはまだお化 粧しないほうがいいのよ」というのがある。 現在17歳の私、 濃い化粧が大好き。 強い女性や海外のセレブに憧れを抱いて、 強気に化粧をしてしまう。でもこれも、ある一定の歳になったら、 「シミとかシワとかがない頃に、 薄づきのゆるふわメイクしとけばよかった」 と思ってしまうのだろ うか。 お子様ランチのときみたいに。


「ターゲット層」 から外れても、したいことをするのは許される。どんなに歳を重ねてから、 ピンクのフリフリを着たって人に迷惑はかからないし、犯罪でもない。 その点、お子様ランチは タチが悪い。 どう頑張っても食べることを許されることはない。 中学生になった途端に、 「小学生以下のお子様に限ります」 という言葉が立ちはだかって、 お子様ランチを食べる権利を剥奪さ れる。 中学生は失われたお子様ランチを食べる権利には目もくれず、 電車でおとなの切符を買えるようになったり、制服に腕を通したりして、成長を喜んでいる。 失われたものの大切さに気づくのは、 いつも失っただいぶ後 だ。 実際、 お子様ランチも年齢制限があるからこんなに執着しているのであって、なかったら卒業制作で作るほど心を奪われてない。


 だから私は、お子様ランチを食べる以外のやりたいことの消化は今やる。 小学生だったら、 中学生だったら、という願望は今、叶えたい。 やはり、 ターゲット層にないから恥ずかしいが、 機会を与えてもらったからには「過去だったら系の願望」 を宣言する。 ピンクのフリフリを一生に 一回は着てみたい。 それで、 アフタヌーンティーとかしてみたい。 駄菓子屋さんにある安っぽい小さいアクセサリーを集めたい。 書いてみて思ったが、側から見てもやっぱり痛々しい願望なのだろう。  ご静聴ありがとうございます。


 小学生の私に、 「大人のお子様ランチ」 を与えたらどんな反応をするのだろう。 煌びやかでおしゃれな大人っぽいプレートやラインナップに心躍らせるのだろうか。 それとも 「お子様ラン チ」 であることに変わらないから嫌な顔をするのだろうか。 そんなことより、 将来の私が 「17歳 のときの卒業制作、 違うのにすればよかった~!!」 と思わないように、 17歳らしい言葉で願望や 要求をしたためられていればいいなあと思う。

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