見出し画像

御三どん役の母

父が亡くなり、母が引っ越しをして丁度一年と少し経った。随分時間が経ったような気がする。住まいも徐々に落ち着き、今年のお正月は久しぶりに晴れ晴れとした雰囲気で過ごした。
近頃はお節を作らない人も増えたようだし、今年はどこかのお節を頼んでみるかな?と提案してみたが、母は迷わず「作る。」と言った。お煮しめ、紅白なます、黒豆、田作り、さごしの酢じめと鯛の昆布締めとビーフシチュー。そして、安く売っていたので私がリクエストしたスペアリブまで…。
きっと同じ味にはならないだろう…と思いつつ、私も手伝いながら覚えた。毎年覚えようとノート片手に母の横をウロウロしながら助手を務めるが、母の料理は適当だし、いつも知らなかったちょっとしたコツが小出しに追加される。このノートはいつ完成するのか…と思う。

まだ祖母が生きていた頃には、母方の兄弟とその家族、そして従妹たちが結婚したらその家族…と、ひっきりなしに祖母の顔を見にやってきた。小さな薬屋はもうパンパンだった。母は毎年、暮れから準備し始めて、その人数分のお正月料理を用意していた。
「昔から私は御三どん役よ。」
そう言いながらも楽しんでいたような気がする。
みな、母の料理に舌鼓を打ち、賑やかだった。それぞれに好きな品がある。年に一度その味を楽しみにやってくるのだ。
それぞれ年をとり、従妹たちも結婚して遠くの街へと住む場所を変えていく。段々、みんながやってくる日がズレ始める。間もなく祖母が亡くなると、それを待っていたかのように、小さな薬屋は区画整理で市から立ち退きを迫られた。独りになった叔母は薬屋を手放し、祖母がいなくなった叔母の家へはもう誰も行かなくなってしまった。あんなに賑やかに集まった親戚たちが顔を合わすことも無くなってしまった。みんなそれぞれの家族とそれぞれの場所で過ごしていることだろう。
今や、我が家のお正月は静かなものだ。だけど今年、食卓の上だけは久しぶりに、あの頃を思い出すような御馳走が並んだ。お正月の間、あれこれと懐かしい味を楽しんだ。
豪華なお節もいいけど、時代を遡って舌が覚えた手作りのお節はいいなと思った。こういう小さな幸せがいくつもあればいいと思った。
「私の舌ももう当てにならない…。」
と母は嘆いていたが、美味しくいただいた。
後、何度一緒に食べれるかしれない。
そろそろ、もう作らない…と母が言うかもしれない。
その時が来たら、僭越ながら覚えたレシピで一から私が作ろうと思う。
でもまだ母の御三どん姿を見ていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?