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薬との調和

薬との調和をとるのはとても難しい。薬屋の孫だが、薬を100パーセント信じていないところがある。お医者さんによっても解釈が違うと患者としてはますます難しい。

母はもう十年以上前からパーキンソン病を患っている。最初は台所で野菜をリズムよく切ることが出来ない…から異変に気付き始めた。当時は、パーキンソン病という病気はマイケル・J・フォックスやモハメド・アリによって知っている程度であった。まさか近くにいる人間を蝕んでいるとは露にも思わなかった。
幸い、身内にパーキンソン病を患う人が、これはおそらくその症状だからと一度見てもらうように勧めてくれたことで、随分早い段階でお医者さんにかかることが出来た。初期段階で症状も軽く、薬も一日に少量で良かった。その当初から、午前中は薬を飲まずに普通に過ごせていた。寝ている間にドーパミンを作る力がまだあるのだろうとのことだった。

順調に薬との調和を保っていたが、父が亡くなって調和の糸が切れた様に薬を飲んでも効くどころか一日中強張ったり、固まったりぐちゃぐちゃになっていた。介護鬱、介護を終えた後の燃え尽き症候群…、そういうこともあったのだと思う。
最初に診断してくれたお医者さんは、物静かで温和な感じの良い先生だった。人それぞれ症状も違うし、これから薬とは長い付き合いになるので、薬の飲み方を自分で探ってみればいいとの考えの先生だった。しかし、その先生は、丁度介護が佳境に差し掛かろうという時、自分の後輩だと言う先生にバトンを渡し、母が通院していた病院を去ってしまった。母は少し動揺しているようだった。信頼していたのだ。
新しい先生は、「ザ・医者」とも言うべき人だった。明らかに医者と患者で上下関係のような構図が感じられた。少しづつ口がもとらなくなっている母が話す、近況の症状の説明を最後まで聴く辛抱強さが見受けられなかった。私が同行する時には見かねて代わりに説明することもあった。私が同行しない日には、母は暗い顔で帰ってきた。自分の聞いてほしいことを伝えられずに消化不良なのである。とりあえず、薬を処方してもらえさえすればいいからと、言いなりで帰ってくるのだった。
そんな時、服用している薬をひとつにまとめた新薬が出来たと勧められて帰ってきた。新薬を試すのであれば、万が一を鑑みて少量を処方するべきだと思うが、80日分を処方されてきた。残念なことにその薬は全く合わず、飲むとひどい吐き気を引き起こし、服用を直ちに辞めた。その残った79日分の新薬はどういう訳か引き取ってはもらえなかった…。
そんなようなこともあって、主治医との信頼関係は薄れ、薬との調和もますますぐちゃぐちゃになってしまい、どんどん暗い顔になっていく母をみて病院を変えることにした。母はもう面倒はいいと拒んだが、私と妹は最初の先生がどこへ移ったのか探してみることにした。すると、隣の町の病院にいることが分かった。すぐさま転院の手続きをした。近頃は病院もシステム化され、セカンドオピニオンだのなんだのとオープンになっていて、母の心配をよそにとてもスムーズに転院することが出来た。
だったのだが、肝心の先生には結局一年間会えなかった。先生が体を壊していたのだ。折角ここまで来たのに…と落胆を隠しきれない。

最初に代わりにと診てもらった先生は女性だった。とても明るく、薬はなるべく飲まず、体を動かすことで進行を抑えましょう!という考えだった。その考えは全く悪くなかった。体操やストレッチを教えてもらい収穫はあった。
次に代わりに診てもらった先生はとても若い先生だった。きっと賢いのだろうと思った。でも、人間の体は解明されない不思議がまだある…と言うことを肌で感じることがまだ少なそうだった。まだ人間味は残っているが、このままいったら、嫌気をさして離れてきたあの「ザ・医者」な先生のようになりそうだった。是非、そうならないで欲しいと願う。薬については決まった時間に処方されている決まった量を続けて飲むことがまずは大前提だと言い、コロコロと飲み方を変えては効くものも効かないだろう…との考えだった。
「若造が…。分からんくせに…。」
と病室を出て、毒のあるセリフとは裏腹に泣きそうな声で母はつぶやいた。
薬との調和が乱れて2年以上経ち、転院しても求める先生には会えず、症状の変化とそれに見合った飲み方、飲む量について相談しても、お医者さんそれぞれに言うことが違っていて解決されない。もう母は2度目の限界に来ているようだった。

そして、ついに待ちわびていた先生がこの春から復帰した。改めて、他の先生とは雰囲気が違うことを感じた。こんなだから医者なのに病気になるのではないか…と心配するほどだった。実に丁寧に口のもとらない母の話に耳を傾け、症状の変化を注意深く検証し、じっくり考えて、ゆっくりと考えられることの説明と提案をしてくれた。母が、年老いた患者が、この先生が良かった…と言うのは理解できた。他の先生には申し訳ないが、やっぱり違った。「聴く」ことはやはり大事なことで信頼を生むのだと思った。こういう人が「医者」なんだと思う。

そして、一番驚いたのは、薬を減らしてみてはどうか?という提案だった。大方お医者さんと言えば薬を勧めはしても減らすことはあまりしないのではないだろうか?こちらとしても目からうろこ…だった。
もともと、午前中はうまく動けていたので午後から薬を服用していたのだが、いきなり1錠服用していたのだった。それを半錠、もしくは¼錠と減らしてみることにした。それから、午前中にも少し飲んでみてはどうか?と、数回いくつかの飲み方を2週間ずつ試してみることにした。
そして、漸く近頃、数年ぶりに薬との調和がとれたのである。本当に久しぶりに1日を通して気分が良さそうな母を見て安堵した。
何より母はご機嫌だし、関係はないかもしれないがお陰で体重も増えたらしい。
薬が効かないから薬を増やしましょう…ではなかったのだ。パーキンソン病はまだまだ完治しない病気で、進行を抑えることを頑張るしかない。年月が経って行けば薬は増やしていくことしか考えないのが普通なのだろう。母は調子が悪くなるという度に薬を多く処方されていたのだった。

人は不思議だ。父は脳幹部に梗塞をおこし、車いす生活しかないと言われたが杖をついて歩いて退院し、その後10年は杖をついてなら自力で歩いていた。
「この患者は脳幹部が梗塞しているので、リハビリしても見込みはないですよ。やっても無駄です!」
と若い理学療法士が話しているのを聞いてしまい、若かった私はまともにショックを受けたことを思い出す。普通に考えれば、知識のある人ならば、そう考えるのが当然だが、近しい人が同じ立場なら、それを何とかしてくれと思うのも事実だ。私たち家族もそれまで滅多と口にしなかったような奇跡を信じようとしたものだ。都合よくああいう時に神や仏を探そうとする。
人の体は説明のつきにくいことが稀に起こる。それを見たことがある。だからまたそれを信じている自分がいる。母のパーキンソン病も治るんじゃないだろうか?なんてことを。
久しぶりに会えた先生は、不思議を素直に口にしていた。
「症状は残念だが、確かに自分が診ていた時よりかは少し進行しているが、未だに薬を飲まないでも午前中に支障がないことをどう解釈したらいいものか…。」
少しでも、健康で長生きしてほしいものだと思う。
病は気から。これは意外と本当かもしれないと思っている。それを少し後押ししてくれる程度に薬があれば丁度いいんではないか。結局、頼らないわけにもいかず、頼りすぎも良くない。調和を保ってうまくつきあって行かなければいけない。
ひとまず、薬を減らして落ち着いたことは小さな奇跡だ。ありがとう。

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