見出し画像

古びた靴

私がお嫁に行った当時、義理の父は家族の嫌われ者だった。
結婚の挨拶の日は父のいない日を選んで決められた。そんなことはつゆも知らない私は緊張した面持ちで彼の家を訪れた。そこには母の姿だけだった。おかしいなと思っていると、
「予定があって今日はいないんです。」
と言われて、何の為の今日なのだ?一家の長がいないとはどういうことか?と戸惑っていると、たまたま忘れ物があったとひょっこり帰ってきたのが父だった。奇跡的に私達は会うことができた。
状況を把握した私と父は、改めて挨拶をし向き合って少し話をすることができた。悪い印象は少しもなかった。このお家では父よりも母が強いのだなと理解した。

私達は結婚式の代わりに、新居で細やかな食事会に両家族を招待した。二人の父は実に楽しそうにお酒を酌み交わし、大きな笑い声が絶えなかった。「ゲボッ‼!!」
時折、大きな音が聞こえていた。そのたびに、義理の母の顔が曇っていく。そのうち、怒りの顔に変化していくのを見て漸く分かった。大きな音は義理の父のゲップだったのだ。ビールの炭酸が原因だ。しかしながら、その音はもはやゲップの音を通り越し、楽器の様だった。気づいているのは彼の家族、特に義理の母は怒りと恥ずかしさと情けなさと諸々が、正気を失わせようとしていた。
暫くして、私の家族も大きな音の正体がゲップだと気づいたのだが…。
思わず吹き出してしまったのだ。まずは妹そして母、父へと笑いが伝染し止まらなくなってしまった。それにつられて皆の大笑いが止まらなくなっていた。たぶん、お酒に酔った義理の父だけが笑いの本当の理由を理解しないまま、楽しそうに笑っていた。

帰りは私が彼の家族を送っていく。
「今日はありがとうございました!」
そう言って、玄関を先に出た父と母の後を歩いていると、黒い塊が父の歩く後から後からポロポロと転がっていく。なんだろうか?と観察していると母が気づいた。
「だから、私の用意した靴にしてと言ったじゃないの‼」
母の怒りは一旦笑いで収まっていたのにも関わらず、再び沸点に達してしまった。
父は母が真新しい靴を用意していたにも関わず、自分のお気に入りの一張羅の靴を靴箱の奥の方から引っ張り出してきて、今日、この祝いの席に履いてきたのだ。だが、その靴は劣化し靴底が歩く衝撃でモロモロと崩れていたのだった。父が歩く後ろを母が転がる靴の欠片を拾い歩き、その後ろを私はお腹を抱えて笑いながらついていった。

次の日、お礼の電話をすると母は恥ずかしいと泣いていた。こちらの家族が笑ってくれたのが救いだと言ってまた泣いた。

義理の母にとっては義理の父は只々恥ずかしい夫なのかもしれない。
確かに自分の夫だったらどうかと言われれば、困った人だ。でも、義理の父の祝ってやりたいと思う気持ちは本物だと思う。何故かというと、義理の父はTPOなど全く考えない、考えたくない人間だからだ。その人が、それを考えて靴箱の奥から引っ張り出して、これを履こう!としてくれたことが、なんだか嬉しかった。まあ、母の用意した新しい靴でも良かったのでは?とも思うところだが、父には父なりの思いがあったのだろう。少々空回りはするけど、単純明快ストレートに素直で正直な人なのだ。

私は、そんな嫌われ者の父がどうしてか大好きなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?