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贈り物は難しい

今日はちょっと毒吐いてます。


私には、自分の母上と義理の母上の二人の母上がいる。
もうすぐ母の日。「いつもありがとう」を伝える日。
一人は、
「母の日なんかいい。母らしいことなんてしてないんだから。」
と言う、自分の母上だ。母らしいことなんて…とはいえ、やっぱり母である。しっかり母である。そう頑なに言うもんだから、何も贈らないけど、おかずをいつもより多く作ってお裾分けしたり、甘いお茶菓子で一緒に過ごしたりする。そして、いつもより言葉を素直にこぼす。

もう一人は義理の母上だ。
こちらは母の日の贈り物を母として、心待ちにしている。
結婚当初、お誕生日に何か…と贈り物をしたら、
「ありがとう。でもいいのよ。こんなこと。」
とやんわり断られた。その後何度かお誕生日に贈り物をしたけれど、ある年の自分の誕生日の時に母上の心理を理解した。
贈り物は時に義務になる。
「お誕生日って私、嬉しくないの。」
…そうか。年を重ねれば、女性は誕生日が苦痛なのかもしれない。…と反省し、互いにお誕生日の贈り物はやめましょう…と言うと、
「贈り物は、母の日だけでいいです。」
と返ってきた。
彼女の中でお誕生日の贈り物はお誕生日の贈り物で返さねば…と私の誕生日の付近にヤキモキしていたことに漸く気づいた私だった。彼女からすれば、母の日なら、お返しをしなくていい。私は本当に疎い…。

誰かに贈り物をするのは昔から嫌いじゃない。
でも、この時から贈り物をするのが楽しくなくなってしまった。お返しを貰えないからではない。こちらは別にお返しを見越して贈り物をするわけではなかったからだ。そこに、義務が生じて贈り物はただのモノでしかないように思われた。そうなれば、贈り物に心は盛り込めない。
私の心はあまのじゃくで、背を向けられるともっと沢山あげたくなるし、手ぐすね引いて待ち構えられるとあげたい気持ちが消えていく。
もうそんななら贈り物なんてやめちゃおう!と思うけど、待ってると思うとそうもいかず、今年もまた贈る。
できるだけ、余計なことは考えず、
「いつもありがとうございます!」
と呪文のように呟きながら。
その時点で本来の意味がひっくり返っているけれど…できるだけ、楽しく贈り物をしたいから。


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