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【day2】公共について考える

(この記事は約1300文字です。)

1.初めに

こんばんは。
田中です。

昨日から始めた「1週間哲学について考えるウィーク」。
昨日の記事をまだ読まれていない方はそちらからお読みください。


そして今日はday2です。
今日は公共について考えてみようと思います。

2.本題に入る前に

そもそも「公共とは何なのか」「公共を哲学で考える理由とは」などと期待やワクワクを持ちながら本題に入りたい所なのだが、

昨日見かけたニュースでこのようなものがあった。

記事の冒頭にはこのように書いてある。

恋愛リアリティー番組『テラスハウス』に出演中の女子プロレスラー・木村花さん(享年22)が、23日に亡くなったことがわかった。所属するプロレス団体・スターダムが発表した。

僕自身『テラスハウス』はそこまで見る方ではない。
ましてや赤の他人の恋愛事情などどちらかというと、、、と思う方なのだが。

だが、この問題を度外視して公共を考えずにいられない、と思い取り上げることにした。


3.公共はいつも側にいる。

上記の問題に対して僕がまず思ったことは、

「人間は常に【公共】と隣り合わせである」ということだ。

どこの誰が何をしようと、全てこの世に何かしらの影響を与えている。
そう捉えました。

この件。
木村さんに対しての誹謗中傷が多数寄せられていたとのこと。
それに対して木村さんは日ごろから悩んでいたが、
昨日お亡くなりになられたとのことだった。

SNSも一つの【公共】である。
実名であろうと匿名であろうと。
オンラインであろうとオフラインであろうと。
言葉であろうと行為であろうと。

人間が何かしらの行動を起こすと、
大小問わず公共に対して、
何かしらの影響を少なからず与えるのだ。

公共とは、個人を守るためのルールがあるべきではないのか。
公共とは、自分の私利私欲を満たすためのものなのか。
公共とは、自由を、人権を、命を奪ってもいいものなのか。
公共とは、その公共にいる全ての人を等しく幸せにできる環境であるべきではないのか。

公共はいつも側にいる。
人間はこの世に生まれてきた以上、公共から切り離されることはないのだ。

だからこそ、どんな公共にいても自分が起こす行動に対して抜かりなく気を使う必要がある。
気を張れ、というわけではない。
我慢しろ、というわけではない。
もし仮に、自分がその人の立場になった時に、自らが取った行為が公共に対してどのような影響を与えるか、を考えることが大事だということだ。

「SNSだから影響なんてそんなにないだろう」
「誹謗中傷なんて気にするな」

じゃない。
いじめの対象はいじめっ子の気持ちなんてわからないし、
いじめっ子はいじめの対象の気持ちなんてわからない。

誰かを憎むことは誰かに憎まれる。
自分がしたことは全て自分に返ってくる。

それが公共だと私は考える。

4.最後に

つらつらと書きなぐってしまった。
支離滅裂な文章やまだまだ拙い文章ではありますが、
1人でも多くの人に自分の意見を届ける、自分が日々思っていることをアウトプットし、1人でも多くの人の行動思想が良い方向に変わる事を祈ってnoteをこれからも書き続ける。

明日も公共について。
明日は公共について突き詰めて書きます。

それではこの辺にて。

田中和人

購入いただいた記事は、次回自分が旅をするときの足しにさせて頂き、その旅の様子を次のnoteに納めます!