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「よわいひらやま」と向き合ってみて思うこと

よわいひらやまという取り組みを始めて、一ヶ月ほどが経ちました。

本当に思いつきで始めたことでしたが、なかなか楽しかったです。1ヶ月で130ツイートほどしており、1日2,3ツイートくらいはしていました。

「続けられるかな。。」と少しだけ不安だったのですが、このアカウントだから感じられることやフォロワーの方と一緒に考える機会が予想よりもたくさんあったこともあり、ひっそりと続けることができています。

読んだ記事のシェアはしない、書いたnoteのシェアもしない、考えたことだけを淡々とツイートし続けるシンプルな体験をしてみて、感じたこと、わかったことをまとめてみました。

物理的によわさに向き合う機会になる

アカウントを開くとき、通知を見るとき、その行為を通して、「いま自分は弱っていないかな」ということを意識する機会になりました。

個人的には、けっこう画期的なことだと思っています。普通、「自分の気持ちに向き合う」ということは、自発的かつ内省的、精神的な取り組みになりがちですが、よく使うツール上にトリガーを持つことで、自動的かつ自然に気持ちに向き合う機会が増やせたことは、おもしろい発見でした。

人のやさしさに触れる機会になる

フォローしてくれている人はほとんど知り合いの人です。会ったことがある人やTwitterやnoteで以前から絡んでくれている人たちが多いと思います。

こういうツイートをすると、コメント欄にたくさん応援をいただくんですよね。。もう、みなさんのやさしさに満たされます。。コメントはほとんど返すようにしているのですが、いいねをしてくれるだけでも、とてもとてもうれしくて、何かの形でお礼を返したい気持ちでいっぱいです。。

通り過ぎていた気持ちに向き合える

いままで通り過ぎてしまっていたような気持ちを言語化する機会にもなりました。

悲しみや喜ぶのような、わかりやすい気持ちではないものにも、目を向けてあげたい。あいまいなものを感じられる人でありたいと願うばかりです。

誰かのよわさを想像する時間になった

自分自身のよわさを考えていると、誰かが弱ったときにも力になりたいという気持ちが強くなります。

よわさを認めると同時に強くもあれるような努力もしていきたい。

よわさを見つめる輪が広がった

光栄なことに真似をしてもらうことが度々起きました。

自分の一部をわかりやすい形で切り出して集中的に考えることは、やってみてよかったことです。一面だけをみてその人がわかることはないけど、ある一面を深く理解することも大切なことだと思います。

いつも反応してくれる人たちに話を聞いてみた

いつもいいねや引用リツイートをしてくれている人たちに、よわいひらやまについて、話を聞いてみました。

1 「よわいひらやま」を見ていて、感じたこと、考えたこと
2 「自分のよわさ」を感じるときって、ありますか?それはどんなとき?
3 「人のよわさ」って、どんなものだと思います?

3点について、本当にさらっと聞いてみたら、本当に丁寧にご回答をしていただきまして、ありがたい限りです。。

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お一人目:みちこさん

1 「よわいひらやま」を見ていて、感じたこと、考えたこと
①最初
公式アカウント(?)からもわりと繊細な部分が見えてくるひらやまさんが「弱さ」を公言することで新たな居場所を作ろうとしているのかな...?なにか辛いことがあるのかな...?勝手ながら少し心配でした。

そして、あまりひらやまさんに絡んだことないけど、フォローしてなにこいつ!と思われないかな、と少し心配しました笑 優しく受け入れてくださってありがたいです。

私自身は、企業名つきのサイエンスアカウントでなかなか弱さを見せにくいなぁと思っていました。また、新しい道を歩みたかったこともあり、noteの方々なら、弱さを見せつつ、みんなで生活を良くしようと前向きに頑張れるなぁ、と思っていたところでした。

そのタイミングで、よわいひらやまさんアカウントをみて、わぁ勇気あるな!素敵だな!と思って別アカを作らせてもらいました!結果、生活に彩りが増えました。

②今
共感できる部分が多いです。自分以外にも、こう考えている人っているんだなぁと思って、元気をもらっています。いつも全力でいいね!がんばろうね!という気持ちを込めて「いいね!」しています。

でも、弱さって広めたい訳じゃないので、引用RTはよくなかったかなぁなんて、すこし反省する部分もあったり。
2 「自分のよわさ」を感じるときって、ありますか?それはどんなとき?
→ストレスがかかったときに考え続けて抜けられなくなったり、その結果体調に出るときですかね..

ケースとしては...

①自分の信頼している人から、自分の考えていること、感じていることを全く受け入れてもらえないとき。「まぁいろいろあるよね」とそのときは受け止めますが、急に高熱が出ると、ああ弱いなぁと感じます。

②初対面の人と話すときに、相手の反応が気になりすぎて、腹痛が発生するとき。

③なにかを言われて泣いてしまうときや、怒ってしまうとき。もう少し理性に頑張ってほしいです。笑いと感動の涙以外の感情を出すと、あとで罪悪感がとても残りますし、とても疲れます。ま、怒りはたまに出さないと、やりがい搾取されたいするので、適度に使いたいところですが、コントロール下で使いたいですね...

お二人目:まさよふさん

1 感じたこと考えたこと
「よわいひらやま」は、私の心のなかにある、やわやわで表に出せない部分を代弁してくれてる。他人の感じがしない。これは私だ、と感じる。きっと、みんなの心のなかに「よわい〇〇」は必ずいる。「よわいひらやま」はみんなの心に住む妖精とか、かわいいダークサイドみたいなもの。
2 「自分のよわさ」を最近感じるとき
つい「つよそうな言葉」を使ってしまったとき。これは気をつけてはいるものの、まだまだ私のよわいところ。もっと私がつよくなれば「つよそうな言葉」を発することはもっともっと減るとおもう。相手のよわさをくみとって、やわらかさで包み込んだうえで、つたえたいことがつたわる状態にできたんだろうな、と。
3 「人のよわさ」って、どんなもの

”よわさを見せることで愛される。
つよさを見せることで尊敬される。”

…みたいな言葉があるけれど、私は「よわさをみせられるつよさ」こそ、これからのリーダーに必要なもので、尊敬される対象になると考えています。

私のだいすきなリーダーはみんな「じぶんのよわさ」を臆せずに堂々と伝えてくれる人。Googleの掲げるような「心理的安全性のあるチーム」をつくるためにも、まずはリーダーが「じぶんのよわさ」を開示することが必要です。

「人のよわさ」がもっと出しやすくできたら、組織を変えるし、事業を変える。そんなパワーを秘めてるのが、一見は「ひのきのぼう」と「おなべのふた」みたいにも見えて、はずかしいし、戦えそうに見えないような、「人のよわさ」なのだと思ってます。

三人目:みさきちさん

1 「よわいひらやま」を見ていて、感じたこと、考えたこと
・愛しさ。
・よわいときにしか感じられないものがあると思うのですが、その感性を解放してくれてるのを見ると自分の状態に気がつける。(自分や他者のよわさに鈍感だったなぁ、など。)
・よわいフェーズがあってもいい、その頻度だって誰にも咎められるものではない、ということ。
2 「自分のよわさ」を感じるときって、ありますか?それはどんなとき?
たくさんあります!笑
・頑張れないとき
・どうにも力が出ないとき
・誰かを愛せない状態のとき
・人にやさしくできないとき
・認識(捉え方)を変えればいい話なのだが中々変えられないとき
3 「人のよわさ」って、どんなものだと思います?
・強くなるために必要なもの。ただし、どんなに強くなっても存在し続けるもの。
・人にやさしくあるために必要なもの。

四人目:こむぎさん

1 「よわいひらやま」を見ていて、感じたこと、考えたこと
「cotreeのひらやまさん」ではなく、一個人としての「ひらやまさん」が見えるアカウントだなあって思ってます。だからよわいひらやまさんの呟きの方が同年代の(わたしからすれば同い年の)ひとりの男性としてのプライベート覗き見みたいな感じがして、リアル感あってドキマギします。笑

Twitterの根幹みたいな、こういう呟きしたいよね、って思うことを呟かれているなあと。見ていて心配になったり不安になったりするよりも不思議と勇気づけられることの方が多いかもしれないです。わたしも頑張ろうって。
2 「自分のよわさ」を感じるときって、ありますか?それはどんなとき?
人の目を気にしすぎてしまう時ですかね。嫌われたくない、人を傷付けたくない、という心理が強いので人の顔色を伺ってしまうことが多いです。自分の気持ちを押し殺して結局もやもやを心に溜め込んで、自分で選んだことに対して自分で落ち込んだり時によわいなあって思います。
あとは冬ですね。体調崩してます、、笑
3 「人のよわさ」って、どんなものだと思います?
いろんな種類があると思います。単純に言葉だけ見れば弱いの対義語は強いだと思うんですけど「人のよわさ」の場合は「人のつよさ」が対義語じゃない気もするんです。自分のよわさを認められることが立派だと、わたしの好きな漫画では話していたのでそれを信じています。

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想像以上にたくさんの想いを持っていただいていることに、自分自身が驚きました。個人としてのひらやまというものを感じてもらっていて、おもしろいなぁと。そして結構心配もしてもらっていて、申し訳ない気持ちとありがたい気持ちです。基本的には元気なのですが、たまにはよわるときもあるので、そういう状態も認めてあげたいなぁと思っています。

よわさというものに向き合ってみて、いろいろな発見がありました。引き続き継続して向き合っていきながら、みなさんと交流をしていただければと思っています。どうぞこれからもよろしくお願いします。

TOP写真は、本を読むひらやま。考えてそうな雰囲気が醸し出されております。


最後まで読んでいただきありがとうございます。