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「君たちはどう生きるか」見てきました(ネタバレ注意です)

二日目に見てきました。

色々とSNSに出回る前に見たかったのというのが理由だ。見たのは先週なので1週間ほどあれこれと考えていたのだが、いまだにはっきりと考えがまとまっていないのだが、この辺で今感じていることを書いておく。

映像について

宮崎駿監督の10年ぶりの映画ということで、どういう感じなのかが楽しみだったが、人のうごいや、所作、スピード感などは、ほとんど以前と変わらないように見えた。ただ、CGであったり、うまく表現ができないのだが、絵の作り方が少し変わった印象を受けた。

ただ、根幹にあるのはやはりこれまでの宮崎作品と変わっていないどころか、どこにも衰えのようなものは感じられなかった。まぁこれは、すべての絵を宮崎駿本人が描いているわけではないので当たり前の話かもしれないが。

さて肝心の内容はというと

全編見終わって思ったのは、全く意味がわからなかったというのが正直なところだ。

まず、この映画は「君たちはどう生きるか」だ。「たち」とは誰を指しているのか。主人公は一人だ。とすると、本来的には、母親の死に直面して、父の再婚、新しい母親の妊娠を聞かされ、さまざまな変化にショックを受けている主人公がこれらの変化に対してどう生きていくのかということを問うだけでいいはずなのに、なぜあえて「たち」としているのか。

複数に対して問いかけているとすれば、考えられるのは「主人公と母」、「主人公と叔母(新母)」、「主人公と父と新母」?

この中で、主人公と母が今後どうするかの選択を迫られるシーンがあるが、あの場面は実際には、主人公が選択を迫られているのであって、母親はあの場面にいるものの、選択に関係はないと思われる。また、実際には母親は亡くなっているので、「生きる」という問いかけの対象にはなっていないように思う。

「主人公と叔母」は、一緒にあの世界にいたことはいた。彼女も主人公との関係、これから生まれてくる子供のことがあるため、「どう生きる」という問いの対象派にはなりそうだが、ほとんどの時間は意識を失っていたので、問いの対象はなりにくいように思う。

もう少し、どう生きるという対象を広げると「主人公、叔母、父」も対象になりうるといえばなりうるが、父親も実際にはあの世界に足を踏み入れてすらいいないので、対象にするのは難しいように思う。

とすれば、これは見ている人たちへの問いかけなのだろうか。

そして、主人公がいった世界はなんだったのだろうか。最初の感じでは地獄ぽかったが、地獄で新しい生命のたねのようなものが生まれるというものなのだろうか。自分が知らないだけで何かそのような考え方があるのだろうか。

加えて、あの世界が鳥に支配されていたのは、何かの象徴だったのだろうか。あの世界の扉が、空から降ってきたというのは、どういる理由からなのだろうか。

何から何まで自分の頭ではついていけない映画だったという印象。


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