見出し画像

#11 研究者の世代論をお笑い芸人さんと比較して考えてみました(stand.fm配信用原稿)

(これは、stand.fmに開設した「kazの研究室ラジオ」の配信用原稿です。音声配信については、以下のstand.fmの僕のページから聴いていただけます)

01 あいさつ・番組紹介

(この番組は、とある地方の私立大学で教員をやっている僕、kazが大学教員や研究者としての視点から、日々の生活や、いつも考えていること、たまに学問的な関心や学術的なことなどをマイペースに発信していく番組です)

02 本編:研究者が直面する世代の壁?

・年末といえばM-1グランプリを見るのが、ここのところの楽しみです。

・2018年のM-1グランプリで霜降り明星さんが優勝して以降、お笑い芸人さんの世界では「第7世代」というワードが注目を集めていますね。

・こういう世代論はどこの業界にもあってなかなか興味深いものですが、研究者の世界にも同じような世代論があると思います。

・というより、個人的な偏見では、職業としての「研究者」は、職業としての「芸人」さんと似ていると思っています。

・それはたとえば、業界特有の組織(研究者は大学などの研究教育機関、芸人さんは芸能事務所)に所属しながら、基本的には個人の名前で仕事をしているというところや、基本的な下積み期間が長いこと。

・さらには、上の世代が詰まっていて30代から40代前半に至るまでが「若手」と呼ばれるような昨今の状況に至るまで、職業としての特徴が似ているように感じます。

・たとえば、ここ最近ではYouTubeをはじめ、お笑い以外の世界にも飛び出して注目を集めている中田敦彦さんは、以下のインタビュー記事でこんなことを述べています。

西野さんも僕も、テレビのゴールデンタイムで冠番組を持った経験があることが大きいのかもしれない。テレビの一等地からの風景をすでに見ているので、上に行くこと(ゴールデンタイムで冠番組を持つこと)がゴールではないという実感がある。だけど、閉塞感があって何かやらなきゃいけないという気持ちは、40代手前の芸人であればみんな持っているはずだ。
西野さんや僕はビジネスの方向に進んだが、ピースの又吉直樹さんが作家になったり、綾部祐二さんがニューヨークに行ったり、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんが時事ネタをやったりしているのも、おそらく同じ理由。渡辺直美さんもテレビのゴールデンタイムに冠番組を持つのがゴールとは思っていない。みんな、どんどん外にこぎ出している。
多分、有吉弘行さんやおぎやはぎさん、バナナマンさんといった、ボキャブラ世代の後期くらいまでが、テレビの時代にぎりぎり間に合った世代。それ以降の若手芸人で危機感を持っていない人、SNSやYouTubeを使うことを考えていない人は多分いないと思う。
許斐健太「中田敦彦はなぜテレビの仕事を減らしたのか:芸能事務所に頼らないタレントが増えていく」

・ざっくりと「40代手前」というところをラインとして、どこをフィールドに戦っていくかということへの意識が変わっていると語っているところが印象的です。

・「40代手前」というのは、研究者の世界でも「若手」と呼ばれている世代です。

・研究者でいえば、大学などの教育研究機関に専任教員として所属しつつ、研究成果を積み重ね、学会などである程度名前が知れている「40代手前」の研究者がイメージされます。

・これまで、ある程度定型化されている「研究者」の「出世ルート」には、学会で名を馳せて学会の運営に参画するか、科研費をとって共同研究を主催するか、あるいは、雑誌や新聞・テレビといったメディアに露出して「知識人」として有名になるといったようなパターンがあります。

・そうした定型化された「出世ルート」ではないような研究者の生き方を、「40代手前」の世代は模索しなければならないのではないかということが、この中田さんのインタビューには示唆されているように感じます。

・たとえば最近、「在野研究者」を名乗って研究を続ける若手の研究者に注目が集まっています。

・「在野研究者」を名乗っている荒木優太さんの以下のインタビューには、在野研究が注目されている理由について触れられています。

ーー大学をめぐる若手の就職状況についても問題になっています。そのことと在野研究の関係についてどう捉えていますか。
簡単に答えることは難しいです。ただ、いま「在野研究」が注目されている背景には、たとえ博士号をとったとしても若手が大学に就職するのはたいへんに難しいという状況があることは明らかです。『ビギナーズ』で西周顕彰事業の立ち上げ経緯を書いてもらった石井雅巳さんには、明確にその問題意識があります。
これは私見ですが、若手にとって在野研究とは、おそらく第一には、就職にあぶれた院生たちがなおも自身の研究を続行しようとするときに採用される仮名の一つとして捉えられるのではないでしょうか。
その仮期間のあいだになにをするのか。企業で働きながら査読論文を投稿する人もいるでしょうし、論文執筆とは別のスタイルを選ぶ人もいるでしょう、いったんは目の前の仕事に集中して都合のいいところで社会人入学し院生になることを選ぶ人もいるかもしれません。
なににせよ重要なのは、あるルートで1回つまずいたからといって、または迂回したからといって、それが自身の学問人生においてクリティカルなものになるとは限らない、ということです。人生にはそれなりの時間の幅がありますから。
山本ぽてと(取材・文)「「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち」

・ここには、一時期、「高学歴ワーキングプア」という言葉とともに注目された大学院生・若手研究者の就職・進路をめぐる問題が、「在野研究者」が注目される背景として言及されています。

・こうした状況は、研究の世界における「40代手前」の研究者が置かれた状況の厳しいありようを示しているように感じます。

・そして、このことが、同世代の研究者は定型化された「出世ルート」とは異なる場所を探す、あるいは探さざるを得ないのではないか?という問い、というか焦りにも似た感情を僕のなかにもたらしています。

・ただ、僕には今のところ、大学という組織を離れて研究を続ける、「在野研究者」になるという選択肢はありません。

・それは今のところ、研究を続けるうえで大学に所属していることのメリットが大きいということがあります。

・これはもちろん、そうした状況がこれからも続くということが保証されているわけではありませんが、さしあたって今は、大学に所属することが研究をおこなううえで必要だと思っています。

・そのあたりの気持ちは、芸能事務所に所属しながらも様々な方法を模索する芸人さんたちと似ているのかもしれないなと感じます。

・そう思いながらも、それでは先に触れたような、これまでの研究者の定型化された「出世ルート」を受け容れれば良いのか?という問いは、常に頭をもたげてきます。

・ある意味では、あるいはある立場の方から見れば、そうした問いは「贅沢な問い」なのかもしれません。

・ですが、僕自身、こうした問いを焦りとともに感じていることは事実です。

・そのような問いを乗り越えるための方法とは、どのようなものであるのか?というのはまだよくわかりません。

・というより、こうした問いには明確な答えがあるわけではなく、模索するという行為そのものが、問いを乗り越えていくために必要なことなのかもしれないなと思っています。

・もしかしたら、そういう模索のひとつが、この音声配信なのかもしれないなぁとも思います。